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1 器用に感心
「よし、完成っと♪」
菜箸をタクトのように振りながら、芙美子は明るい声を上げた。
今日の幸弘のお弁当も、満足できる出来栄えだ。
三月までは、幼稚園に通う沙帆子の分も作っていたんだけど、沙帆子は四月から小学生になった。
給食になってしまって、一人娘のために腕を揮えないのが、ちょっと物足りない今日この頃。
園児のお弁当って、それはもう腕をふるい甲斐があったのよねぇ。
お弁当箱は可愛くてちっこいし、そこにちまちまっとおかずを盛りつける楽しさったらなかった。
沙帆子が小学校に通うようになって、もう三カ月になるのねぇ。
他の子よりも身体の成長が遅いみたいで、クラスでも一番小さい。
その小さい身体で、ランドセルを担ぐと、後ろに仰け反ってひっくり返るんじゃないかと、マジで心配してしまった。
最初のころは、教科書やら筆箱を入れたランドセルを担いで、よたよたしてたけど、この最近は、かなりしっかり歩けるようになったわよね?
小学校まで登下校することで、かなり体力がついたみたい。
ご飯は美味しい美味しいといっぱい食べてくれるんだけど……
芙美子は、夫と自分のお茶碗の上にちょこんと重なっている小さなお茶碗を見つめて、目尻を垂らしてしまう。
このお茶碗を買う時、ものすごーく迷ったのよねぇ。
だって、かわいいのがいっぱいあって、チューリップのにしようかうさぎさんにしようか、カエルさんなんてのも可愛くて……もう迷いに迷った。
芙美子は手を伸ばし、沙帆子のお茶碗を手に取った。
ピンクのうさぎさんを見て、しまりのない笑みを浮かべてしまう。
にまにましていた芙美子だが、ハッと我に返った。
いけない、いけない。こんなことしてたら朝食が間に合わなくなっちゃうわ。
ぺろりと舌を出して反省し、朝食の準備に取り掛かろうとした芙美子は、おかしな行動をしている幸弘に気づいた。
こそこそと一人娘の部屋に近づいて行こうとしている。
幸弘さんったら……また。
もおっ、娘を溺愛しすぎなんだからぁ。
いまのところひとりっ子なんだから、甘やかせて欲しくないのに。完璧に甘々なパパになってしまってる。
幸弘さんがそんなだから、わたしが厳しい態度を取らなきゃならなくなる。
わたしだって、甘々なママでいたいのに。
小さい身体をきゅーっと抱き締めて、かわいいほっぺたに、ちゅっちゅっと……
いや、そんなことを考えてる場合じゃなかった。
芙美子は顔を引き締め、幸弘を睨んだ。
「幸弘さん!」
注意するように呼びかけたら、芙美子が気づいているとは思っていなかったらしい幸弘は、ぴょんと飛び上がった。
その姿があまりに滑稽で、笑いたくないのに笑ってしまう。
「も、もおっ、何やってるのぉ?」
「……だ、だってさ……早く起きてこないかなあって……」
「もうすぐ起きて来るわよ。ちゃんと目覚しで起きて欲しいんだから、起こしになんていかないでよ」
「えーっ」
「えーっじゃない!」
「だ、だってさぁ、待てないんだよぉ。芙美子ちゃんはいいよ、家にいるんだから、学校に行く沙帆子を送り出せるし……。僕なんて、会社に行かなきゃならないから、お姫様と一緒に過ごせる時間が極端に短いんだぞ」
まあ、それは確かに、その通りなのよね。
身体に合わない大きなランドセルを背負ってる沙帆子は、それはもう愛らしいのだ。
こんな可愛いものは、もうほかにはありはしないとマジで思う。
目の中に入れても痛くないとは、このことよね。
「ランドセルを背負ってるところだって、そんなに何回も見られてないんだぞ」
まったく幸弘さんときたら……
大の男がほっぺたを膨らませちゃって……
可愛いけど……
いや、そういうことじゃない。
もっと父親の貫禄を見せてもらいたいんだけど。
家以外での幸弘さんは、超凛々しくてかっこいいのに……
まあ、わたしの前では緩んでてくれたほうが嬉しくはあるけど……
「だからって、担いで見せてくれって、ランドセル片手にあの子を追いかけ回すのもどうかと思うわよ」
「……」
幸弘は、しょぼんとしてため息を吐く。
ちょっと言い過ぎたかしら?
「わかったわ。なら、起きてきたら、沙帆子にランドセルを担がせなさいな。でも、お願いするのはやめてね。父親なんだから、『ほら、沙帆子。こいつを俺に担いで見せてみろ!』ってな具合に、居丈高に」
「い、居丈高? 『パパ怖い!』って、怖がられたら、どうするんだよぉ。嫌だなぁ」
「嫌だなぁ、じゃない!」
「ふ、芙美子ちゃん、怖いよぉ」
「わたしは怖くありません! もおっ、怖いなんて思ってないくせに」
そう指摘したら、幸弘がにやりと笑う。男らしい笑みで、内心ドキリとしてしまう。
まったくもおっ、自分を器用に使い分ける幸弘さんには敵わないわ……
「そうそう、沙帆子はそろそろ前歯が抜けそうだな」
「ああ、ええ、そうね。今日にも抜けるかも」
ぐらぐらになった前歯が気になるようで、無意識に舌でつついてるのよね。
それをやってるときの沙帆子の顔は妙に真剣で、それがまた可愛いのだ。
「前歯が抜ける瞬間、できれば見たいなぁ。一生に一度のことなんだもんなぁ」
「だからって、抜けるのを待ってもいられないわよ。ああ、ほら、目覚しが鳴ってるわ」
沙帆子の部屋から、ひよこの目覚しの音が微かに聞こえる。
「よーし、様子を見てくるよ」
幸弘はいそいそと娘の部屋に歩いて行く。
芙美子は、そんな夫を笑って見送ったのだった。
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