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ナチュラルキス
natural kiss
「ナチュラルキス」番外編
沙帆子視点
『特別がいっぱい』
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※このお話は、2013年の5月に、
どこでも読書さんのエタニティフェア用として、書かせていただいたお話です。
サイトでの掲載の、了承をいただけましたので、掲載させていただきました。
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第2話 とんでもなくしあわせ
走って近づいてくる三人に、まず佐原が気づいたようだった。
こちらに佐原が向き、沙帆子の胸はドキンとする。
自分を注目しているわけではないとわかっているのだが、見つめられているように感じられて、顔が赤らむ。
もおっ、わたしってば、自意識過剰だよぉ~。
「金ちゃん、何してるの?」
詩織が十数メートル手前で金山に呼びかけた。
佐原目当ての筈なのに、詩織も金山のほうが呼びかけやすいらしい。
「柵の点検だけど……君たちも佐原先生目当てか?」
金山がからかうように言うと、佐原は顔をしかめた。だが、何も言わない。
沙帆子は、佐原のしかめっ面をしっかりと目に入れたあと、顔を逸らして脳内で堪能した。
しかめた顔もかっこいいなぁ、佐原先生。
「金山先生、君たちもってことは、もしかして?」
千里が笑いながら聞くと、金山はわざとらしく疲れたようにため息をつく。
「ああ、すでに何組も来たぞ。こっちは昼飯もまだで、邪魔になるからおっぱらったがな」
「金山先生」
会話の内容に苛立たされたらしく、佐原は金山に呼びかける。
「それじゃ、わたしたちもおっぱらわれるわけですか?」
「そうなるな。ねぇ、佐原先生?」
「えーっ。わたしたちは佐原先生目当てってわけじゃないですよぉ」
詩織ときたら、しれっと嘘を言う。
「そうなのか、江藤? だが、すでに飯沢が認めたじゃないか。ねぇ、佐原先生?」
いちいち自分に話を振る金山に、佐原は迷惑そうな顔を向けるばかりで返事をしない。
けど、この迷惑そうな顔も……いい。
気を抜くと、ぽわんと見惚れそうになる。
この表情とかも、寝る前に、しっかりと日記に書き留めておかなきゃ。
あー、写メとか撮れたらなぁ~。一時的に時間を止める魔法でも使えたら……
「あれっ、佐原先生、『さっさと戻れ』って叱らないんですか?」
金山が不思議そうに佐原に聞く。
どうやら、沙帆子たちより前にやってきた女子生徒たちは、佐原に追い返されたらしい。
「このままじゃ、時間までに点検が終わりそうにないですからね。昼飯も食いたいし……」
そっけなく佐原が口にする。少々苛立っているようだ。
先生たち、お昼まだなんだ。佐原先生、お腹がひどく空いてて、機嫌が悪いのかな?
すると佐原が、急に詩織に目を向け、「江藤」と呼びかけた。
「はいっ?」
急に呼びかけられた詩織は、戸惑いながら返事をする。
もちろん沙帆子は、佐原に呼びかけてもらえた詩織が羨ましくてならなかった。
「あそこ、校舎の側に大きな木があるだろ」
「は、はい。あの、あれが?」
「君には、あそこからこちら側に向けての柵の点検を命じる」
突然の指示に面食らっていた詩織だが、「さあ、行け!」という佐原の有無を言わせぬ号令に、慌てて駆けて行った。
し、詩織……
沙帆子も面食らい、遠ざかって行く詩織の背中を見つめる。
わたしたち……て、点検のお手伝いをすることになったの?
「飯沢」
「はい。わたしはどのあたりの点検を?」
聡明な千里は、自分から申し出て、笑いながら佐原の指示を待つ。
「四人いるんだから、当然四分の一ずつだ。君はあの辺りからだな、江藤の方向に向けてってことで頼む」
「了解しました。お手伝いの報酬に、ジュース一本ずつ。佐原先生、金山先生、お願いしますね」
千里はちゃっかりと報酬を催促し、ふたりの教師の返事を待たずに指示された位置に向けて走って行った。
「相変わらず飯沢君は頭が回るなぁ。それにしても、佐原先生、さすがですね」
「では、金山先生は、この位置からお願いします」
金山の言葉をあっさり受け流し、佐原は金山にも指示を出す。そして、すぐさま沙帆子に向いてきた。
「榎原、俺について来い」
「は、はいっ」
憧れの人から言葉をかけてもらえ、心が踊る。
佐原はさっさと駆け出し、沙帆子は慌ててついて行った。
な、なんかわかんないけど……佐原先生に『ついて来い』って声をかけてもらえるなんて。
指示を受けるのが一番最後で、ラッキーすぎるんですけど。
まあ、つまりは、佐原先生にとって自分が一番印象薄いってことなんだろうけど……その事実は、この際置いておこう。
「それじゃ、お前はこの位置から向うに向けて点検頼むぞ。俺は向こうからこっちに向かう」
佐原はそれだけ言って、駆けて行ってしまった。
昼休みはそんなに残っていないし、さっそく点検を始めなければならないが、ちょっとだけ佐原先生の後姿を見送る。
走るお姿も、素敵だあ~。
佐原をたっぷり堪能し、おかげでパワーは満タンだ。
よーしっ。ではさっそく柵の点検のお手伝いを。
佐原先生のお手伝いなんだもの。しっかりやるぞぉ。
この突然の幸運を噛み締めながら、柵の点検を始めて二メートルほど進んだところで、彼女はハタと気づいた。
そ、そういえば……いま、佐原先生……わたしに、『お前』って……
佐原先生がそんなふうに女子生徒に呼びかけてるの、聞いたことないよね?
も、もしかすると、『お前』って呼んでもらえたの、わたしが初めてなんじゃ?
これって、す、すごいかも。すごいよね?
いやいや、すごいことだよ!
こ、この特別も、忘れずに日記に……
もう、今日は特別だらけだ。
佐原先生に呼びかけてもらえて、先生の作業のお手伝いをせてもらえて、お前って……親しげに呼びかけてもらえてぇ~。
もう、特別がいっぱ~い♪
「おいおい、サボってんなよ、榎原ぁ」
背後から、笑い交じりの金山の声が飛んできて、知らぬ間に両拳を口元に当ててにやついていた沙帆子は、我に返った。
慌てて金山に振り返り、ぺこぺこと頭を下げ、真っ赤な顔で点検を再開する。
あーん、恥ずかしいよぉ。大失敗だ。
佐原先生に、他の先生に叱られてるところを見られちゃうなんて。
恥ずかし過ぎて、佐原のほうに視線を向けられない。
なんとか名誉挽回しようと、沙帆子は一生懸命点検をした。
憧れの人と同じ作業をしていることを、とんでもなくしあわせに感じながら……
――この半年後、彼女は佐原啓史と結婚することになるのである。
そんなとんでもない運命が自分を待ち受けていることなど……そして、いまがいま、佐原が特別な思いを胸に自分を見つめていることも、このときの沙帆子には知る由もなかった。
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プチあとがき
どこでも読書さんにて、
2013年の5月に掲載していただいた番外編「特別がいっぱい」です。
ようやく、やさしい風に掲載させていただけることになりました。
夏休みが終わり、体育祭の前あたりですね。
偶然に胸をときめかせている沙帆子です。
沙帆子は知らないけれど、啓史にとっても、嬉し過ぎる偶然だったことでしょうね。
読んでいなかった方、すでに読んでくださっていた方にも、楽しんでいただけたら嬉しいです♪
fuu(2013/12/19)
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