思いは果てしなく 
その1 痛みのない失恋



喫茶店の椅子に深く腰掛けて、相沢尚(あいざわ・なお)はため息をついた。
これで今年、三人目かぁ。

「もう、君とは付き合ってらんないよ」
さっきまで、彼女の前の椅子に座っていた男の台詞。

喫茶店の窓から、その男が車に乗り込み、駐車場を出てゆくのを目で追う。

あぁあ、せめて家まで送ってくれればいいのにな。と、恨めしく思いはしたものの、去ってゆく彼に、なんの未練も湧かないことが哀しかった。

誰と付き合っても、長く続かない。
いまの彼とは二ヶ月くらいだった。それでも長いくらいだ。


尚はよっこらしょっと呟きながら立ち上がった。
自分の呟きに気づいて苦笑いする。なんか、すでに若さが枯渇してる。

別れはいつも相手から。
彼女から言い出したことはほとんどない。
嫌がっているのにキスを無理強いされて、こちらから手を切った男が数人いるくらいだ。

尚はレシートを掴んだ。
女に残してゆくとは…と苦笑したものの、別に腹は立たなかった。
これまで彼女に散財したことに、いま、彼の方が腹を立てているところだろう。

身体を許すどころかキスひとつさせない女は、二ヶ月弱で捨てられる運命なのね。

そう考えて笑った彼女だが、本当の理由が別にあることもちゃんと分かっていた。
愛がないからだ。
このひとなら愛せるかもしれない。そう思って、真剣に付き合いを始める。
だけど、彼女の心の奥底に定住しているもどかしい存在がそれを拒否する。

この邪魔な存在を、心から追い出してくれるひとはいないのだろうか。
いつも相手にそれを期待しては失望している。





駅から家までの道をゆるゆると歩いていると、後方で車の軽い警告音が鳴り、尚は振り返った。

見慣れたシルバーメタの車。
弟の成道(なりみち)だった。

「尚、どうしたの? 歩き? 彼氏は?」

尚は小さく肩を竦めた。
成道は昔から彼女のことを呼び捨てにする。
どうも、彼の中で尚は姉だという意識が欠落しているようだ。
物心ついた頃からすでにふたりの背丈は逆転していたから、見下げる視界にいる尚は、彼の中で妹の位置に据えられているのだろう。

「なんだ、またかよ」

嫌味なほど頭脳明晰な成道はすぐに、すべてを察して言う。

彼女は弟の呆れたような目を無視して、了解も取らず後部座席に乗り込んだ。

「なに勝手に乗ってんだよ。お前は礼儀を知らんのか」

「おっさんみたいな言い回し、やめなさいよ。それより早く車出せば」

「あー、嫌だ嫌だ。これが自分と血の繋がった姉弟だなんて」

色々難点のある弟だが、文句を言いつつも頼み事は聞いてくれるし、姉思いのありがたい存在だ。恋人の存在は皆目謎だが、弟に彼女がいようがいまいが、尚に興味はない。

でも、いないんだろうなぁ。休日、いつでも家にいるもんなぁ、こいつ。
そう考えて笑いが口から零れる。

「ははは」

「何、笑ってんだよ。相手の男は傷心抱えてるってのに…」
バックミラーで睨まれた上、自分のこっちゃないのに、苦々しく言う。

成道の見当違いの言葉に、尚はぷっと吹いた。

「いつも言ってるでしょ。フラれたのはわ・た・し」

「気の毒でなんないよ」

弟の目に侮蔑の色がにじんでいるのをみて、尚は目を上向けた。
ふっと息を吐くと、シートに深く凭れた。




    
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