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その3 必然の再会
いつまでも過去に縛られてやしないぞ。
あの時、そう息巻いたものの、響の決心は鈍り始めていた。
詳細に練った作戦を、頭の中で反芻する。
いまにも彼女がやってくるはずだった。
だが、激しい動悸が止められない。
響はきちんと結わえたネクタイを、ほんの少し緩めた。
一番自分に似合うと思うスーツの襟を撫で付けて、心を静める。
額ににじんだ汗を感じて、彼は髪を掻きあげた。
その時、ビルの角に立っていた響に誰かがまともにぶつかってきた。
突然のことで、大きくよろめいて、尻餅までついてしまった。
驚いたことに相手の女性は響の腕の中にいる。
「あっ。ご、ごめんなさい」
懐かしい声に、響は相手の顔をまじまじと見つめた。
「急いでたものですから」
彼の胸に当てられていた両手が、焦ったように外された。
どうやら、彼が誰だか気づいていないようだ。
響は深く息を吸った。
相手の焦りに接したおかげで、少し気が静まってくれた。
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫かな、たぶん」
尚が手を差し伸べてきた。
彼はその手を握り返し、立ち上がる振りをしてわざと力を込めて引っ張った。彼女が、きゃっという叫びとともに、また腕の中に転がってきた。
「あ、ごめん」
さも悪意はなかったというように、申し訳なさそうに言う。
「尻餅ついてしまって、かなり痛くて」
「あ、どうしよう。立てますか?」
「すみませんが、もう一度手を貸してもらえますか?」
そう言って、じっと彼女の目を見つめる。尚の目が大きく開いた。
やっと気づいた。
そう思った途端、彼女が言った。
「あなた、私のよく知ってる人に、とても似ていらっしゃるわ」
響の心臓がどくんと跳ねた。
俺に気づかないのか?
「そうですか?同じ人物かも知れませんよ」
含みのある彼の言葉に、彼女が強く否定するように首を振り、ふっと笑った。
「彼は私より三つも年下なの。良く似てるけど、あなたじゃないわ」
起き上がりながら彼女は言って、彼の腕と背に手を掛けて、よいしょという掛け声とともに立ち上がらせてくれた。
「どう。立てます? 病院に行かなくて良いかしら?」
「うーん、どうかな。痛むけど、どこかで少し休めば…」
それから数分後、ふたりは近くの喫茶店に落ち着き、天気がどうとかどうでもいい会話を弾ませていた。
そんな中、尚はまだ互いの名前を名乗り合っていないことに気づいた。
「あ、私、相沢尚と言います」
相手の言葉を待つ間、自分の心がこうまで弾んでいることに、尚は冷静な部分でかなり驚いていた。
こうやって前にしていると本当に良く似ていた。
どちらかというと、冷たく感じられる顔全体の印象。涼しげな目元。
だがここにいるのは彼女と同じくらい大人の厚みを持った男性だ。
その全身から発散している男性独特のオーラが、彼女に圧迫感を与えるくらいなのだから。
それに、顎のラインも響のほっそりしたものとは違うし、髪も後ろに撫で付けられているし、手足も太くはないががっしりと力強い。
そこまで考えて、尚は気づいた。自分の中にある響は15歳であることに。
いま彼は23歳のはずだ。とうに成人して。
口を開く前に、男性が微笑んだ。唇が右側だけ少し上向く笑み。
尚はどきりとした。響と同じ。
「俺…、葛城です」
「葛城!…さん?」
驚きすぎて、脳が活動をストップした。
かすかな笑みを浮かべて彼女をじっと見つめている彼から視線を外せない。
驚きの感情がじわじわと湧いてきた。
「名前は、響、影響の響の字ですよ」
彼が尚にとどめを指すように重ねて言った。
「ぐ、偶然…」
震える声でそこまで言って、それ以上言葉が続けられなくなった。
堪えきれないと言うように相手がくすくす笑い出した。
「偶然?それって、他人の空似の上に、名前が一緒だったことが?…それとも、俺に逢ったこと…?」
尚はぎゅっと目を閉じて、椅子の背に凭れると、右手で顔を覆った。
顔がかっと熱くなった。
「ひとが悪いわ、響君」
「気づかないあなたが悪いんですよ。僕はすぐに気づいたのに」
「ほんと?もう長いこと逢ってなかったのに」
「そう、八年かな。あれ以来ですね」
さりげなく語られた言葉に、反射的に尚は立ち上がった。
まるで予期していたかのようなすばやい動作で、響に腕を掴まれた。
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