思いは果てしなく 
その9 勝手な解釈



ベッドインはさすがに無理だったが、初日のデートでキスが出来たのだからよしとしよう。
シャワーを浴びながら鼻歌が出るほど、響は上機嫌だった。

彼女とのキスは、記憶にあるものより、さらに桁違いに良かった。
それと同時に、不安が忍び寄っていることに彼は気づいていたが、それを故意に無視した。

しかし、なんで泣くかな?
響はシャワーのコックを絞めながら、首をひねった。

後悔してたわけじゃないようだったし、彼のキスで、がっかりさせたとも思えない。

成道に見つかるとうるさいから、彼女の家からちょっと離れた場所に車を止めて、別れのキスをした。
その余韻はいま、彼の身体の芯をうずかせている。
冷たいシャワーもあまり効果がなかったようだ。
彼は裸のままベッドに突っ伏した。

妄想と戦っていたら、携帯が鳴った。
尚かもしれない。そう思って気持ちははやるものの、いまいち身体の反応が鈍い。
響はのろのろと起き上がって携帯に出た。
成道だった。

なんだ。と肩を竦めたものの、こいつはいま尚と同じ家にいるんだよなぁと、うらやましさが募る。

「姉貴情報だ。聞いて驚け。彼氏と別れて一週間経たないってのに、また男が出来ちまった」

呆れたような口調に、いくぶん口惜しそうなニュアンスが含まれている気がして、首をひねった。

「そうか」

それって俺のことだよなと、まだとりついている妄想を必死で払いのけながら考える。

「響、寝てたのか?」

「まあな」とけだるく答える。

「…」

成道が黙り込んだ。
何か考えているような様子だ。

疑問符が湧いて、思考がはっきりしてきた。
姉の新しい彼氏が彼であることに気づいたのか?と一瞬ひやりとする。

成道の勘の鋭さには恐れおののくことが多い。
時々、こいつにはひとの感情が読めるのではないかと本気で疑ってしまうことがある。

「お前、マジで好きな女が出来たんだな」
と、成道が唐突に、しかもひどく嬉しそうに言った。

「は?なんで?」

「いや、それならいいんだ。それじゃ、姉貴情報もこれで御終いだな」

「……」

今度は響が黙り込んだ。
成道の言っている意味がまったく理解できなかった。

「お前、何言ってるんだ?」

「まあ、いいって。それじゃあな。彼女とうまくやれよ」

ぷちんと電話が切れた。
ものすごい気になった。
なんのことだか、いくら考えても成道の意図することがわからない。

響は手にした携帯をプッシュした。

「もしもし」

その声に、響の心がとろけそうになる。
重症だなと彼は自嘲した。

「やあ」

「うん」

こんな短い一言にも欲情する。

「キスしたい」

響の掠れた声に彼女の潜めた笑い声が響き、下半身が熱を帯びる。

「今日、どうして泣いたの? 気になって仕方ないんだけど」

しばらくの沈黙の後で、彼女が口ごもるように言った。

「…キス、うまいなと思って」

信じられないほど悲しげなのが伝わってきた。

「え?」

「いっぱいしたんだなって、その…ほかの子と。そしたら涙が…」

「ち、ちょっと、尚、泣くなよ」

妄想爆走中に、彼女のことをいつもそう呼んでいたものだから、思わず呼び捨てにしてしまったが、どちらもそんなささいなことには気づかなかった。

「いっぱいなんかしてないって」

「ほんと」と言う、すがるような含みのある掠れた声が聞こえた。

彼の胸がきゅんと締め付けられた。
響はうんうんと大きな声で請合った。

少し落ち着いたらしい彼女が、「ごめんね」と言い、続けて「おやすみなさい」と、彼の心臓を鷲掴みにして握りつぶしてしまいそうなほど恥ずかしそうに言った。
響が無意識に「おやすみ」と言ったとき、電話が切れた。

響は胸を押さえたまま、時の変わるほどぼーっとしていた。





「俺らは高校生かよ。あの会話は、ありえないだろう」

あくる日、焦がしてしまった最後の食パンを、苦味にたえつつ食べながら、響は罵るように言った。

なんか、違う。
こういう風じゃないはずだ。
二十六の女と二十三の男の会話だぞ。
それも相手は男経験がわんさとある女だ。

何で泣く?
ちょっと俺のキスがうまかったくらいで。

それに、その事実を考えると気持ちが萎えるが、彼の提案で付き合うことなっただけで、好きとかそういう感情はないはずだ。
少なくとも彼女の方には。

『誤情報』 一瞬そう頭にひらめいた。
成道の奴、いままで俺に嘘を…

そう考えてから、それは都合の良すぎる解釈だと頭を振る。
成道はけして嘘をつかない。

とすると、どの男にもああやって泣いて見せるのだろうか。
そう導き出した結論に、彼は萎れた。

やっぱ、悪女か。

彼女の演技に翻弄された自分にひどい怒りが湧いた。
今度こそ、ねじ伏せてやる。俺の下に。
こぶしを固め、響は誓いを新たにした。




   
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