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その3 幸せへの近道
成道とふたり肩を並べて、店のある駅前から家に向かうまでの距離は、ほどよい酔い覚ましになる。
響のアパートまでは駅から5分ほど、成道はもう5分ちょいくらい掛けて歩いて帰ることになる。
「なあ、響、お前さ」
「うん?」
響は、ほんの少し頬を赤く染めている成道に振り向いた。
「どうして尚に、指輪を渡して、正式なプロポーズしないんだ。尚、気にしてたぞ」
響は口ごもった。
彼だって、いますぐにでもプロポーズをしたい。だが…
「気にしてた?尚が?」
「そりゃあそうだろ。付き合い始めてもうすぐ一年だろ」
「10ヶ月」
「変わりゃしないよ。お前らより後に付き合い始めた俺が、唯にプロポーズして指輪渡したんだぞ。それを知ってるんだから、どうして自分はって尚が思うの当然なんだよ」
「お前が早すぎるんだよ」
「そんなことあるもんか。結婚を躊躇ってるとか、その気がないならだけど、俺は唯と結婚すると決めてるんだ。少しでも早く婚約して、後は、保科の家族を結婚に踏み出させれば…」
そこまで言った成道は突然言葉を止めた。
「なあ、響。婚約したら約半年で結婚。それが相場ってものらしいぞ。なのに、唯の親父とばあさん、唯を手放したくないもんだから、ちっとも結婚の日取りを決めようとしないんだ。のらりくらり交わしてばかりで…。そんなのあんまりじゃないのか?」
「まあ、そうかな」
どうやら、成道の愚痴は、結婚しない限り、唯と契りを交わせないということに、全てがかかっているようだった。
「そうなんだよ。唯が嫁いだって、あのしっかり者の弟もいるんだから…」
成道の顔がいくぶん強張った。
「海斗のやつ、一筋縄で行かないんだよな。ああ言えばこう言う。…頭の切れすぎる年下は、可愛さがない」
「対等に付き合えばいいだろ。弟とか年下とかってことにこだわって、お前が接しようとするから、おかしな具合になるのさ」
成道は響の言葉に黙り込んだ。
そして肩を叩いてきた。
すでにふたりが別れる三叉路に来ていた。
「とにかく。お前は早く尚にプロポーズしろ」
「なあ、成道、お前、唯さんに幾らの指輪を贈った?」
「え?18万ちょっとだったかな」
「そうなのか?案外安いんだな」
「お前な。安いとか言うなよ。俺の精一杯だぞ」
「ごめん。いや、でもおかげで、ちょっと安心できたよ」
「なんだ…金か?」
「ああ」
「なあ、お前の部屋で話そうぜ。外で立ち話は身体の芯が冷える。せっかく酒のおかげでほこほこ温まってたのに…」
「そうするか」
実のところ、願ったり適ったりだった。
この話の流れで、成道に悩みを相談できそうだった。
ふたりは響のアパートに入り、すぐに暖房器具を起動させた。
リビングは、少し広く温まるのに時間が掛かる。
「あー、やっぱ、寒いな?」
成道は、着込んでいるコートを脱ぎもせず、椅子に座り込んだ。
「いい部屋だな」
「そうか?でも実家に住んでるお前の方がいいに決まってるよ。家賃の分、貯金出来るからな」
突然、成道が笑い出した。
「なんだよ?」
「ならお前だって、実家に住めばいいだろ。お前ん家、広い屋敷なんだからさ」
「あの家が嫌で出たのに、帰れるかよ」
「俺、お前の親父さん好きだけどな」
「確かに親父、お前とは気が合うかもな。似てるから。強引なところとか、押しの強すぎるところとか」
「褒められてんのか、けなされてんのか?俺は」
「別にどっちでもないよ。ほら、コーヒー」
響は、成道の前に大きなマグのカップをトンと置いた。
「サンキュ」
部屋もそこそこ温まってきた。
成道はコートを脱ぎ捨てると、マグカップのコーヒーを啜った。
「尚、もう帰ったのかな?」
「うん?この時間だ、とっくに帰ってるだろ」
尚は今夜、恒例になっている女友達と食事会だ。響はまだ会ったことはない。
その友達はすでに既婚者で、尚によると、可愛いベイビーがいるらしい。
仕事に家事に育児に忙しいその彼女は、月に一度の尚とふたりきりの食事会を、とても楽しみにしているようなのだ。
尚の無二の親友なら、響も逢って見たかったが…尚は一緒にとは言ってくれない。
もちろん、尚が彼を誘わないのは、彼女が出掛ける日に合わせて、彼が成道と飲むことにしているせいもあるだろう。
「18万か…」
コーヒーを口に含んだ響は、思わず口に出して呟いていた。
「金が問題なら、もっと安いのでいいさ」
あっさりと言った成道に、響は首を振った。
「そんなわけにゆかない。俺だって、尚にちゃんとしたもの贈りたいんだ」
「お前、バカか」
響は、成道に頭を小突かれた。
「何するんだ」
「いいか、響。無理をして贈られた指輪を、喜ぶ尚じゃないぞ」
響は、顔を強張らせて黙り込んだ。
成道の言葉は、確かにその通りだ。だが…
長いこと会社勤めをしている尚は、響と違い、相当額の貯金を持っているようなのだ。
ふたりの未来を語っている時、尚がそう匂わせたのだ。
ふたりの貯金だから、結婚資金に使おうと…
響は、その話題を聞き流した。
はっきり言って、プライドがギシギシ軋んだ。
無理をして贈られて…喜ぶ尚じゃない…
成道の言葉が、響の頭の中で響き続ける。
貯金のことも、指輪のことも…彼はプライドに囚われすぎているのだろうか?
「なあ、男として…プライドは大事だろう?」
成道は、口につけていたカップをテーブルに戻した。
「その時の事情による」
そう言った成道は、響をまっすぐに見つめ返してきた。
「俺がお前なら、プライドなんてもの捨てるよ」
「…ほんとか?」
「ああ。そんなものにしがみ付いて、好きな女を失いたくない」
響は成道と視線を合わせていられなくなって、顔を逸らした。
心が軋んだ。
「そうだな…お前の言う通りだ」
「クリスマス。指輪用意して尚に渡せよ。尚もそれで安心する。今まで指輪をくれなかったのは、聖夜の夜に渡そうと考えてくれていたからだって、あの単純姉貴だ、涙流して大感激するさ」
成道は、皮肉めいた口調でそう言ったが、彼の瞳には姉を思いやる温かな光がある。
成道は立ち上がり、コートを掴むと、出口へと向かった。
靴を履き、見送りに立っている響に振り返ると、成道らしい笑顔を向けてきた。
「一万くらいのやつでも、おもちゃみたいな指輪でも、尚の喜びはこれっぽっちも変わらねぇぞ。必要ないプライドなんてもので、一番大切なこと忘れんな、響」
ドアがパタンと閉じ、響は一人になった。
自分がひどく愚かで恥ずかしかった。
最短の幸せな道があるのに、響は自分のエゴのために、必要のない遠回りの道ばかり辿ろうとしていたようだった。
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