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10 忠告にため息
ああ、眼がくらむ……
目の前の笑顔を見つめ、一瞬目眩をおこしそうになり、柊二はぐっと足を踏ん張った。
いま彼の前には、浴衣を身にまとった、清楚すぎる歩佳がいる。
髪は緩くアップにして、少し大きめの和風の髪飾りがいい感じだ。いや、実のところ、彼女を直視できたのはほんの数秒なのだが……
「さあ、準備は整った。ほんじゃ、お母さん行ってくるね」
「行ってらっしゃい。柊二、ボディガードしっかりね」
姉と母の会話が、照れ臭すぎて扱いに困る彼の甘い気持ちに水を差す。
「わかってる」
母にそっけなく返し、柊二は姉の美晴に目をやった。
「さあ、蛍ゲットだぁ!」
楽しそうに叫びながら、お子様のように騒いでいる姉は、すでに見覚えのある金魚柄の真っ赤な浴衣だ。
金魚柄とはいえ、けして子どもっぽい柄ではないのだが……
赤という色がな……
この赤い浴衣を歩佳さんが着ても、姉貴ほど子どもっぽくは見えないだろう。
カランカランと下駄の小気味いい音を立てて、美晴が玄関から出て行く。そのあとを、柊二のことを気にするようなそぶりを見せつつ歩佳も追って出る。
そんな彼女の態度に、柊二はさらに確信を深めた。
歩佳さん、俺の勝手な思い上がりとかではなく、俺に好意を寄せてくれてるよな。
そして俺の気持ちも、歩佳さんは気づいていると思うのだ。
相思相愛……ならば、うまくいかないわけがない。
舞い上がった思いは、告白も視野に入れ始めていた。
いくら歳の差があっても、気持ちが通じ合っていれば……絶対にうまくいく。
そんな思いを柊二は膨らませながら、蛍が見られるという場所まで、浴衣のふたりを見守りながら薄暗い中を歩いて行った。
目的の辺りは、たくさんの人であふれていた。
「びっくり。こんなに見物人がいるなんて」
歩佳が驚いたように口にした。
「ほんとだよ。蛍、たいして飛んでないのにさ」
ふたりの会話を耳に入れつつも、柊二は闇夜を舞う光に視線が釘付けになった。
人でごった返している状況であっても、飛んでいる蛍は幻想的だった。
「数はちらほらでも、充分感動的な眺めだと思うけど」
「何、柊二あんた、これっぽっちの蛍で感動してんの?」
ここの蛍を腐しているようなセリフに、柊二は顔をしかめた。
「姉貴。もう少し言葉を選べよ」
叱るように言ったら、歩佳が「そうよ、美晴」と、援護するように言ってくれる。
「ご、ごめん。ふたりして怒んないでよぉ。本気でそんな風に思ったわけじゃなくて、わたしは柊二をからかっただけなんだからさ」
美晴は両手を合わせて謝り、遠いところで空を舞う光の帯を見つめる。
「正直に言えば、わたしも充分感動してるよ。我が家の近くに蛍がいたなんて……」
空を見上げている姉に苦笑し、柊二は歩佳に視線を向けた。そのタイミングでこちらに視線を向けて来た歩佳と目がかち合う。
目が合った瞬間、驚いた歩佳に、柊二はやわらかく微笑みかけた。
歩佳の表情から驚きが消え、恥ずかしそうな笑みが浮かぶ。
暗い中ではっきりとは捉えられないが、歩佳の頬が赤みを増した気がする。
胸が甘く膨らんだ。その甘い空気は、ふたりを包み込んでいる。
もし、この場に姉がいなければ、膨らみすぎて困るこの思いを告げてしまったかもしれなかった。
蛍見物を終え、ボディガードの務めを無事に果たして帰宅した柊二は、自室のベッドに転がり、天井を見上げていた。
楽しかったな。
歩佳さんに告白して付き合えるようになったら、一緒に過ごす時間を持てるようになるし、もっと会話もできる。
ふたりの未来を想像して口元をしまりなく弛めていたら、電話が掛かってきた。
偕成からだ。
ベッドから身を起こしながら、柊二は「よお」と呼びかけた。
「蛍は見られたの?」
「ああ見られた。蛍より、人の方が格段に多かったけどな」
「へーっ、やっぱり、みんな行くんだね」
「それはな。この辺りで蛍が出るところって、やっぱ、そうないんだろうからな」
「おやおや、柊二君、ずいぶんと声が弾んでるね。そんなに楽しかった?」
からかうように言われ、一瞬顔をしかめた柊二だが、すぐに笑みが戻る。
「まあな」
「お……」
なぜかひと声口にしたっきり、偕成は黙り込んだ。
「偕成?」
「うん。なんというか……君さ、これでもう何もかもうまくいくと思ってるね?」
ズバリ当てられて焦りを抱いたが、相手は偕成だ、「まあな」と開き直って答える。
「柊二君、やめといたほうがいいよ」
「やめ? ……何を?」
「言わなくてもわかってるでしょ? 告白だよ」
頬が赤らんだ。
柊二はむっとして携帯を睨み、「……なんで?」と聞き返す。
「うまくいかないよ」
その言葉には反論を抱いた。
そして、自分に対する今日の歩佳の反応をあれこれと思い返す。
上手くいくに決まってる。
「そんなことはない」
言い返したら、ため息が聞こえ、イラっとする。
「偕成!」
「怒らないでよ」
なだめるように言われ、ますます苛立つ。
「けど、いま告白しても、絶対にうまくいかないよ」
「どうしてそう言い切れる?」
「互いに好き合っているなら、上手くいくと思ってるの?」
「あ、ああ」
「やれやれ、いまの柊二君は、まったく見えてないね」
見えてない?
「何が見えてないって?」
「そのひと、年下の高校生と平然と付き合えるような人なの?」
その問いは、柊二の心にぐさりと突き刺さった。
「付き合いを申し込んだりしたら、その時点で君の恋は終わるよ」
きっぱりと宣言され、苛立ちが頂点になる。
「嫌な奴だな」
いい気分でいたところを台無しにされ、思わず悪態をついてしまう。
「君のために言ってるんだよ。まあ、わかってるんだろうけど」
くそっ! その通りだ。実際はわかってる。
柊二は深く息を吸い込み、「はあっ!」っと勢いよく吐き出した。
「……すまん」
謝りの言葉を口にしたら、偕成が小さく笑った気配がした。
ちっ!
思わず舌打ちしてしまう。
「いまのままで、愛を育んでいくことをお勧めするよ」
いまのまま、か……
もどかしい思いも湧いたが……そうするのが正しいのだろうと思えた。
電話を切り、柊二はまたベッドに寝転がった。壁越しに、ぼそぼそと美晴と歩佳の話し声がする。
柊二は目を閉じ、歩佳の声だけに意識を向けた。
姉の友達……そして歩佳さんにとって俺は、友達の弟……
偕成の忠告を聞き入れ、思いは伝えず、いまのまま……でいくしかないようだな。
『愛を育んで』と入れるのは強烈に面はゆく、言葉をあてはめられない。
そんな自分に柊二は小さく笑い、そして心の底からため息をついたのだった。
つづく
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