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1 ティラ 〈初めてのお使いに〉
「やっぱり、まだ早いと思うのよね」
色濃い不安を顔に張り付けた母が、暗い声で呟く。
その母に作ってもらった温かい朝食を美味しく味わっていたティラは、ため息をついた。
母がこんな様子なのは、ティラのせいなのだ。
「お前なぁ、もう決めたことだろ」
見かねたように父が声をかける。
すると母は、キッとなって父を睨む。そして夫に歩み寄ると、右耳をむんずと掴み、自分の口に力任せに引き寄せた。
ティラはさっと両耳を塞ぐ。
「あなたは不安ではないのっっ⁉」
強烈な一撃を込めた叫びに、耳を塞いだティラですら鼓膜が破れそうな衝撃を受ける。
なのに耳を塞ぐこともできず、その衝撃をまともに受けた父の顔は、とんでもなく歪んでいた。
あーあ、ご愁傷様です。
まあ、それはいいとしてだ。
実は、今日これから、ティラはひとりでお使いに行くことになっている。
そうお使いよ。
十五にもなって、初めてひとりでお使いにいくとか……
そのうえ、送り出す母親がこんなにも不安がってるとか……他人様が聞いたら失笑ものだろうけどね。
とはいえ、初めては初めてなわけで、母は滅茶苦茶心配してるわけだった。
今日まで、何度もお使いに行こうとしたのだが、そのたびに、心配症な母による妨害で、お使いは現実とならなかった。
たとえば、この朝食の皿に載っている、見た目はとても美味しそうな団子……これは毒入りだ。
これ食べたらたぶん、今日のお使いは、またも中止になるんじゃないかなぁ。
もちろん母は、娘を殺すつもりはない。毒の耐性は十分あるので、これを食べたところで死ぬことはない。
それでも、外出できる体調ではなくなるだろう。
そんなわけで、その団子を一つ残し、ティラは両手を合わせた。
「ごちそうさまぁ」
すると予想通り、母が大股で近づいてきた。
「ティラ、まだ残ってるじゃないのっ!」
母が力強く指さすと、ちょっとした爆風が起こり、団子が飛び上がった。けれど、何事もなかったように皿の元の位置に戻る。
どうせなら消し飛んでくれたらよかったのに、と思ったのは内緒だ。
「ちゃんと残さず食べなさい。好き嫌いはダメよ!」
叱られて顔をしかめる。
確かに残しちゃったけどさ。
「だってこれ、毒の濃度が限界値を越えてそうなんだもん」
「確かに隠し味にちょっぴり入れたけど……」
ちょっぴりだと? 激しく物申したいねっ!!
「だからこそ美味しいんじゃない。苦みと毒の成分が、こう舌の上で格闘して……ふふっ、刺激が堪らない一品よ」
ふふっじゃないし。だいたい、ちょっぴりでもないよ。
「そんな刺激いらないから」
「もおっ。頑固なんだから」
これは頑固とかそういうことじゃない。
「十五にもなって、そのくらいの苦みに閉口するようじゃ、まだまだ子どもってことよね」
眼差しと言葉で煽ってくる。が、ティラは無言を貫く。
そんな煽りには乗りませーん。
ここで大人だと主張すれば、これを食べろと無理強いしてくるだろう。
そうなったら毒のせいで体調を崩し、またもお使いは中止になる。
まあでも……子どもだと認めても、今日のお使いはなしにされてしまうのかなぁ?
なんだそれ! 八方塞がりじゃん!
まったくこの母親、どうにかならないものか?
父の方は、もういつでもティラひとりで出かけられると認めてくれていると言うのに……
「ティラ、これを残すのなら、お使いは中止よ」
母がきっぱり言う。
やっぱりそうくるか。
くっそぉ。こうなったらヤケだ!
どんなことになっても、絶対にお使いに行ってやる! という意志を固め、団子を口に放り込む。
うぐっ!
「にっぎゃーーーーーっ!!」
◇ ◇ ◇
「ティラ、忘れ物はない? 地図はちゃんと持った? ハンカチとお弁当もちゃんと入れた? ああ、あと水筒と……」
出発しようとするティラを幾度も引き止めては、母は同じ確認をしてくる。
「もおっ、があざん。だいどうぶだっでば」
毒のせいで舌の痺れがまだ収まらず、思うようにしゃべれない。
あの団子の毒の分量、かなりとんでもなかったようだ。
「で、でも……体調がよくないんじゃない?」
体調がよくないように見えるのは、あなたに無理強いされた毒団子のせいですよ、母さん!
しかし、解毒剤を飲み、なおかつ自力で解毒治療も施したというのに、これほど時間が経っても症状が完全には治まらないとは……
どんな複雑な毒を調合したんだか?
すると父が、母の肩に力強く手を当てた。母はビクンと肩を揺らし、気まずそうに父を見上げる。
わかってるね? という無言の威圧がティラにも伝わってくる。
「……ティラ、これ」
母が嫌々何かを差し出してきた。小瓶に緑色の液体が入っている。
こいつは、あの毒物専用の解毒剤……だろうね。
ティラは黙って受け取り、それを飲み干した。
すーっと身体が解放されたような気分になる。
「母さん」
じーっと見つめて呼びかけたら、再び母はビクンと肩を揺らし、それから「てへっ」と舌を出して笑った。
「「てへっじゃないっ!」」
夫と娘から突っ込まれ、母はシュンと萎れる。
「ごめんなさい。けど……今日を境に、ティラが遠くに行っちゃう気がして……」
今度はしくしく泣き出した。そんな母を父は慰めるように抱きしめる。
なんなんだろうなぁ、たかがお使いくらいで……
どうしようもなく笑いが込み上げるとともに、仲の良い両親の様子にほのぼのした気分になる。
「それじゃ、行ってくるねぇ」
さっさと行かねば、いつまで経っても出かけられない。
ティラは振り返ることなく、大きく手を振りながら駆け出した。
つづく
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