友情と恋の接線
その1 無謀の片棒



「ねえ、ちゃんと聞いてる?」

希美のとがめるような口調に、マスコットに目を縫い付けていた沙由琉は、仕方なく手を止めて顔を上げた。

ふたりは今、三日後に学校で行われるバザーに出すための、マスコットを作っているところだ。
希美がフェルトを切り抜き、沙由琉が針で縫う。

沙由琉の負担がかなり大きいけれど仕方がない。
なにせ、これを作る提案をしたのは沙由琉であり、希美は決して器用ではないからだ。

「聞いてるよ!」

気のなさが悟られぬようにと思ったら、いやに力を入れて答えてしまった。

希美が上目遣いに、恨めしげな視線を向けてきた。
沙由琉はやれやれと首を振った。

希美は新城という男に、一ヶ月ほど前に告白してその場でオッケーを貰い、ふたりは付き合い始めた。

その時の希美の喜びようは凄かった。
だが、付き合いだして二週間目、こともあろうに新城は、希美とのデートに女の子連れで来たのだ。

女を馬鹿にするにもほどがあると、沙由琉も腹が立って腹が立って仕方なかった。

腫れぼったい瞼をまだ濡らしながら、希美がそう話してくれたのが一週間前のこと。
だがいま、彼女は沙由琉にとんでもないことを持ちかけてきていた。

「私、希美がそんな突飛なことマジで計画してるの、さすがに許容できないよ」

「だってぇ…、日を追う毎に怒りが増してきてさ、自分でもそう思うけどさ」

そこまで言って、はさみを持ち直してピンク色のフェルトを丸く切り抜く間集中して黙り込んでいた希美だったが、切り抜き終わって顔をあげると口をすぼめて言葉を続けた。

「どうしても、あの女が気に障って仕方ないんだもん。だってね、あの女ったら、なんていうかさ、ひとの神経逆なでするような目で見たんだもん、私のこと。全身に視線這わせて、侮辱したような目でっ。絶対一泡吹かせてやりたいんだもん。自分でも褒められた考えじゃないって…、お、思うけどさっ」

希美の唇がわななき、声が震えだした。沙由琉は慌てた。

希美の言い出したことは、どう考えても常軌を逸していると思う。

彼女が、そんなことを思いついたこと自体には納得できる。
でも、それは空想の中でだけ通用することで、それを実行に移すというのは…。

だが、沙由琉としては、傷ついている希美をそうむげにもできないのも事実だった。

「ねえ、もう少し冷静になりなよ。そんな最低男のことなんて、もう忘れちゃったほうが…」

途端に、希美はむっとし、目を三角に尖らせた。

「新城君は、最低男じゃないもん」

憤慨して元彼をかばう希美に、沙由琉は思わずよろけそうになった。
あんたは凄いよと、手を叩きたくもなった。

希美はどこまでも新城の肩を持つ、彼をけして悪く言わない。
ただただ、相手の女だけを悪者と思い込みたいらしい。

沙由琉には、そんな彼女はまったく理解出来なかった。
状況から見れば、悪いのはどう考えてもその新城とかいう男ではないか。

しかし、それを口にすると、希美は冷静さを失い感情的になって怒り出すのだから始末が悪い。

「わかった。わかったから」

途端に希美の頬に明るみが戻った。
あ、言葉を間違えたかなと、不安に思った時にはすでに遅かった。

「それじゃやってくれるのね。やっぱり沙由琉は親友よ。かけがえのない親友だわ。ウウウッ……」
身を捩って泣く。

沙由琉は愕然とした。

このままでは本当に希美の言い出した、アホな計画に乗らなきゃならなくなってしまう。
だが、いくらなんでもそれは出来ない相談だ。

慌てて訂正しようとした沙由琉は、手をぎゅっと握りしめられた。

涙でくしゃくしゃになった顔で、希美が頭を何度もこっくりこっくりさせた。


希美の帰った空しさの残る部屋で、沙由琉は頭を抱えていた。

まさか、本気ではないのだろう。
そう思う一方で、あの一本気な希美の性格を思い浮かべる。

「嘘、じゃ終わらないかも。どうするわたし?」

途方に暮れて呟き、沙由琉はベッドに仰向けにひっくりかえった。

「あーあ、会ったこともない男のせいで、なんで私がこんな風に思い悩まなくちゃならないのかなぁ」

希美の作戦に荷担するとなると、沙由琉はその男と会わなければならなくなる。

正直言って、この時の沙由琉は、この事態をそれほど危惧していなかった。

希美は感情的になっているのだ。
数日過ぎて冷静に戻れば、そんなことを考えた自分を笑うだろう、と。





「あのことまだ本気で考えてたっての?」

沙由琉は、希美から携帯で呼び出されて、のこのこと出て来たことを後悔していた。

図書館で借りてきた本を、自分で作った焼きたてのバタークッキーをほおばりながら、この休日を満喫していたのというのに。

希美に背を向けてため息をつく。
さも当然だという表情でいる希美には、脱力感を感じる。

「やってくれるんだよね」と希美が念を押してくる。

縋るような目と、強ばった顎から洩れる情けないぐらいの必死な声に、沙由琉は抗えなくなった。

なんかなー。冷静になろうよ。と、心の底では思っていたが。

ここまで希美を駆り立てるものは一体なんなのだろう。
沙由琉にはとても理解出来ない何かがあるのだろうか?

「そりゃ、言ったけど…」

ぼそぼそ声の沙由琉におかまいなく、希美は書棚の影から、立ち読みをしているひとりの男を指差した。

「彼、新城君。淡い黄緑色のシャツに、焦げ茶のブレイカー着てる」

あれか。と思う。

たしかにハンサムである。
そのハンサムさゆえか、凄く軽薄な感じの印象を持った。

希美のことがあったからかもしれないけど。

「ね、沙由琉、もちょっとおしゃれしてきた方がよくなかった?」

希美にそう言われて、初め沙由琉はぽかんとした。

おもむろに自分の服を見下ろす。
スリムなグレーのジーンズに黒いTシャツ。

Tシャツの胸のところには、英文字で二行の文が印刷してあるが、英語の苦手な彼女には何が書いてあるかだなんて知りもしないし、和訳の興味もない。

「ま、いいけどね。沙由琉が恥ずかしそうに楚々としててくれれば。新城君はそういう子、好みだと思うんだ」

沙由琉は顔が引きつるのを感じた。

この格好で『恥ずかしげに楚々としろ』というのがどれだけ無理なことか、分からないのだろうか。
それもこの自分に、それを求めるのか。

だいたい、希美の言った女の子には、希美本人がぴったり当てはまる。
それも気になる男の子を前にした時の希美に。
もちろん、希美はそれと気づかずに言っているのだが。

「それじゃ、頼むね。私行くから」

おずおずと希美は言い、無理に背を向けたように見えた。
この場を立ち去りがたく思っているのが動作に現れている。

希美の名を呼んだ沙由琉の声に弾かれたように、彼女はすごい勢いでそのまま走り去って行った。

一人になってみると、改めて、これから起こす行動に嫌気が差した。

当然だろう。自分の意志ではないのだから。
あくまで希美の頼みで事を起こすのだ。

迷いが嫌がる思いに拍車をかける前に、沙由琉は新城のところへとまっすぐに近づいて行った。




  
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