友情と恋の接線

その2 『もてる男、もてない男』



新城は一冊の本を手に、読んではページをめくる動作を続けている。

しっかりと読み進んでいるわけではないらしい。
時折にやついたり口の端を曲げたりしている。

落ち着きのない男だ。

男ならしっかりした固い表情で読めばいいのだ。などと理不尽に思いながら、沙由琉は新城との間に、二人分ほどの間隔をあけて立った。

手近な本を掴むと隠れ蓑に開き、横目で新城を観察する。

最初のきっかけを作るのは難しかった。

彼がいま手にしている本をきっかけにするか。
それとも間髪を入れず、付き合って欲しいと宣言するか。

沙由琉は、たじろいだ。
嘘だとはいえ、自分はこれから告白しようとしているのだ。と、あからさまに納得したからだ。

好きでもない男に、したこともない告白をするだなんて。
なんでこんなことになっちゃったんだろう。

さっき走り去っていった、希美の後ろ姿を思いだし、迷いを断ち切ると、沙由琉は肝を固めた。

「あのー」

本から目を外せず、顔よりも幾分遅れて来た視線に真っ向から対決し、沙由琉は言わんとした言葉を口にしようとした。

途端、頬がカッと燃えた。

くーっ、言えない。やっぱり言えないよー。

「なに、僕に用事?」

何が僕だよ。でかい図体してるくせに。

頬が燃えているために冷静でいられず、心の底で絡んでいる自分が情けない。

新城は180センチ近いであろう身体の上半身だけひねって、沙由琉を上から下に眺めた。

見下されているような気がしてムッとし、そのお陰か少し火照りが収まった。

「その、本、面白いですか?」

剣のある出だしになり、沙由琉は努めて語尾を和らげた。

相手は持っていた本の表紙に視線を戻した。
「ああ」と頷き、もの問いたげに沙由琉を見つめる。

どうやら彼女の言葉を待っているらしい。

「私も読んだんです。その本。面白かったから、その…その本のこと、話せたら楽しいかなぁなんて…思って」

読んだというのは本当。
新城が持っている本はファンタジーの冒険もので、つい先ごろ沙由琉が魅せられたように読みあさった本だったのだ。

全16巻からなる壮大なスケールの本。
もし読んだ人がいたなら、どのような感想を持ったのかを聞きたいと思っていたのも事実。

だが、最後の方の言葉がものすごくわざとらしくなってしまい、なにもかもをおじゃんにしたような気がした。

「話…かい?」

苦笑しつつ新城が言った。
瞳の中になんらかの含みが感じられる。

「普通そんなこと、初対面の奴にいきなり言わないんじゃないかな?」

言葉に嘲りの色が含まれていて、沙由琉の胸中をいやーな気分で満たした。
自分の頬が引きつっているのが分かる。

作戦は大失敗だ。
これ以上言葉も見つからない。

希美にはやはり無理だったと言おう。

「スペルが違うな」

新城が沙由琉の胸に視線を当てて呟いた。

沙由琉も自分の胸に書かれた英語のスペルに目を落とした。

「ほら、'Tis impossible to love and to be wise.'最後のwise、iがlになってる。げっ」

最後のげっの一言が発されたときに、沙由琉の目が点になった。

間違っているスペルに新城が指差し、信じられないことに彼女の胸の突端をプッシュしたのだ。

「ブ…してない?」

ブラジャーをしていないのかと言いたかったらしい。

スポーツブラはふわりとやわらかい素材で…
なんて呑気な台詞が、回路フリーズした頭の中を横スクロールしてゆく。

沙由琉は回れ右すると、無言でその場から退却した。

ドアの横に設えてあるレジから非難の声が上り、沙由琉は驚きに我に返って振り返った。

「お客さん、本っ」

さっき手に取った本をまだ胸に抱えている。

沙由琉は二度驚いてレジに駆け寄ると、怒った顔の店員に頭を何度も下げ、その本を買って逃げるように飛び出した。

店から遠く離れてから、やっと走るのをやめた。
思ってもいなかった災難に、がっくりと肩を落とす。

もうあの本屋には行けなくなってしまった。

本好きの彼女は、あの店をとてもひいきにしていたのだが、店員はお得意さんだった沙由琉のことは覚えていなくとも、不審な客のことはしっかりと記憶に残すだろう。

悔しさと恥ずかしさで、手にした袋を本ごと捨ててしまいたかった。でも、本に罪はない。
彼女はいまさら袋の中身を確かめた。

あまり好きではないサスペンスものでなければいいと思いつつ、本の表紙を一瞥した沙由琉は、腹にずんと一撃食らった気がした。

『もてる男・もてない男』

「新城の野郎、今度逢ったら、殺す」

沙由琉の低い呟きを耳にして、すれ違う直前だった通行人が一歩飛びのいた。





   
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