|
第六話 王の呟き
(時は現在)
カズマとの思い出が、一瞬にして真子の頭を駆け巡った。
トモエ王に見つかった時はどうなることかと思ったが、あの後、カズマとマコは場所を変えて、言葉に出来ぬほどしあわせな時を数回過ごした。
次に逢った時のカズマは、妖精の姿となって待ち合わせの場所で待っていて、彼女をひどく驚かせた。
いつだって、彼はビックリ箱のようなひとだった。
そして、カズマが約束の場所に現れなかった日を境に、逢えなくなった。
トモエ王はカズマのことをけして語ろうとしなかったし、もし、カズマがマコの友達と会っている事実がなければ、彼女はカズマの存在は、彼女の空想がもたらした幻の存在だったのではと、心を揺らしたかもしれない。
もちろんマコはカズマを信じていた。
どうして突然に来てくれなくなったのだろうと思いはしたし、理由が分からずに苦しみもした。
もしかして、彼の身に何か…と。
けれど、彼が生きてさえいれば、必ず、彼女を迎えに来るとマコは信じて疑わなかった。
ふたりの心は、けして揺るがぬ強い絆で結ばれたからだ。
カズマが生きていますようにと、ただそれだけ祈りながら、時を過してきた。
そして…カズマはやってきた。姿を変えて…
なのに、なのに…
地べたにひざまずいて、身体中を震わせながら認めたくない出来事から逃れようとするように頭を抱えている自分に気づき、はっとして顔を上げたマコは、やっとこの恐ろしい現実を受け止めた。
カ、カズマ様…
背中を刺されて血が噴き出し…ものすごい衝撃を浴びて吹き飛ばされたのだ…
マコは自分でも気づかないうちに、無我夢中で走り出していた。
カズマの消えた方向に向かって…
「マコ!ダメだっ!!」
その声の近さに、マコは恐怖に目を見開いた。
ドンという衝撃とともに、マコはトモエに掴まえられていた。
「いやっ!放して!」
「これより先はダメだ!死ぬことになるぞ!」
荒々しいトモエ王の叫びに、マコの胸は絶望に引き裂かれながら、王から身を振りほどいた。
「カズマ様!カズマ…」
叫んだマコは、首を両手で押さえた。
息が苦しい。呼吸が出来ない。
「マコ!」
「来ない…でっ!触ら…」
マコは引きつる喉に、細く空気を吸い込んだ。
「マコ、あいつはこんなことくらいじゃ死にはしない」
「それ…を…信じろ、と?」
苦しみが突き上げ、涙がポロポロと零れ始めた。
「ああ」
トモエは歪めた顔で、マコから視線を逸らして答えた。
「あいつは…死んでなんかいないさ」
トモエ王はいらだたしげに言った。
死んで…いない?ほんとうに?
「あいつは、死なない。…助けがある、いつだって。…神に守護されてるやつさ!」
吐き出すように口にされたトモエ王の言葉を信じたい…
彼は死んでいないと信じたい…
マコは、カズマが吹き飛ばされた岸の方向に目を向けた。
岸は見えなかった。
「な、なぜ?」
延々と川が広がり、向こう岸など初めからなかったかのようだ。
「マコ、私は…」
「岸は?岸はどこ!!」
トモエ王は黙り込んだ。
「岸にいた人たちは?どこに?」
「あんなものは、まやかしだ」
「まやかし…」
マコの名を呼んだ女性と男性の声が、マコの心でこだました。
切なくマコの胸を震わす声だった…
「カズマ様は、私の両親だと…」
「あるわけがない!」
激しい叫びに、マコは身を竦めた。
「自分の姿を見ろ、君は妖精族だぞ。あいつらは人間。君の親であるわけがない」
そのとおりだ。確かに…だが…
「私は、カズマ様の言葉を信じます」
トモエ王は、マコのその言葉に全身を強張らせた。
王の身体から湯気のように立ち上っている激しい憤りが、目に見えるようだった。
「貴方は…もう、信じられません」
マコはトモエの全てを否定するように言葉を投げかけ、よろよろと立ち上がった。
突き上げる怒りに歯を軋らせながら、トモエ王が手を伸ばしてきた。
マコはぞっとして後ろに退き、スノーの身体にぶつかった。
スノーは、彼女に寄り添うような位置にいたらしい。
トモエ王に触れられるのは恐ろしかった。
彼は、今度は彼女の記憶を消そうとするかも知れない。
恐怖に足をよろめかせながら、マコはスノーに飛び乗ろうとしたが、身体が竦んでうまくゆかない。
「マコ、待ってくれ!」
トモエ王の叫びに、マコはびくりと身体を揺らし、身を固くして振り返った。
ふたりはじっと見つめ合った。
トモエ王の瞳を見つめ、苦しいほどの悲しみが突き上げてきた。
友だったトモエ王…信頼していた。
彼はとてもやさしく、親身に相談に乗ってくれ…いつだって紳士だった。
なのに…
彼はカズマに魔法を掛け、彼女との記憶をすべて忘れさせたのだ…
「トモエ様が、こ、こんなことをなさるなんて…」
マコの哀しみに満ちた言葉に、トモエ王が怯んだのが分かった。
頬を伝い落ちる涙をマコは乱暴に拭った。
泣いている場合ではないのに…
マコはスノーに飛び乗った。
「マコ…私は…よかれと思って…やつとは結ばれぬ運命なのだ。種族が違うのだぞ」
マコは立ち尽くしている王を見つめながら、距離をとった。
周りにはトモエの護衛兵たちが、ふたりを見守るように囲っている。
だが、彼らは…立ち去るマコを引き止めたりはしないだろう。
トモエ王も…
…これからどうすればいいのだ。
カズマの無事を確かめに、傷を負った彼を探しにゆきたい…
けれど、彼女はこの川を渡れないのだ…
「人間国に行くには、どうすればいいのですか?」
マコはすがるようにトモエに尋ねていた。
「君は行けない…」
トモエは硬い声で答えた。
「何か方法があるはずです」
「ああ。だが、君には無理だ。君には魔力がない…」
その言葉は真実なのだろう。
マコは自分を落ち着かせるために、深く息を吸った。
もうひとつ疑問が胸に湧いていた。
それはここを去る前に、どうしても答えを聞いておきたい疑問だった。
「どうして…私の記憶を消さなかったのです?貴方なら、たやすかったはず…」
トモエは、背をブルブルと震わせた。
「カズマの記憶を…私が、なんの罪の意識も躊躇いも無く、消したと思うのか?」
マコはトモエを見つめ、目を閉じ、その答えに対して頷いた。
トモエ王は、残忍なひとでも、冷血なひとでもない。
「私は君の記憶を消したりしない。…マコ、家に帰るなら送ってゆこう」
「いえ、必要ありません。スノーと帰れます」
マコはそう言うと、もう一度カズマが消えた方角を見つめた。
「まだ終わっていない…」
トモエの口から洩れた微かな呟きを、マコの耳は聞き取った。
終わっていない?いったいどういう意味なのだろう?
この場から去りがたい気持ちを必死に抑え、マコはスノーを駆けさせた。
|
|