白銀の風 アーク


第一章
第十話 忘れ去られた目的



「戻るのが遅かったから心配したよ。アーク」

アークはジェライドの言葉など無視して、災いを払い落とすのかように、自分の全身を叩いた。

「で、女は…?」

言いかけたジェライドの口を手のひらでがっちりと塞いだアークは、口を真一文字に結び、指に渾身の力を込めた。

痛みに涙を浮かべて必死に身をよじり、ようやくアークの手から逃れたジェライドは、手の届かないところまで距離を取り、アークを窺いながら顔を癒すように撫でた。

「で、女は見つかったのか?」

少しくらい遠慮して聞けばいいものを…

平然と同じ問いを繰り返したジェライドを、アークは睨みつけた。

「見つかったかだって、見つかったか? 最悪だ。最悪に…劣悪な種族だ。二度といかんぞ」

両手をばんばんと打ち鳴らして、ただ歩き回っているのは、ここが聖地で怒りを形に出来ないためだ。

そうでなかったら、辺りのものを木っ端微塵に破壊してやっただろう。

「もうやめだ。冗談じゃない!」

その叫びに、ルィランが目を覚ました。

「何の騒ぎだ? ここは…? あっ、そうだったな。俺は…アークどうした?」

のほほんと目覚めた友に指を突きつけ、アークは口元を引きつらせながら愉快そうに微笑んで見せた。

「今の私に…質問をするな」

「本当だ。だいぶ頭に血が上ってる。ジェライドどうしたんだ?」

「さあ、帰って来たらこうなってたんだ。説明出来ないよ」

「アーク様。落ち着かれて、お話しくださいませ」

アークの腕に、パンセがやんわりと触れてきた。

パンセの登場に、アークは苦労の末、頭を冷やし、肩を上下に揺すると、姿勢を正して今の出来事を仕方無しに報告した。

話を聞いた連中はしばらく沈黙し、まずルィランがおもむろに口を開いた。

「そのバッシラのような女ってのは、君が確かに夢に見た女だったのか?」

「そうなんだろう。私はその女をめがけて飛んだのだからな。あのバッシラのような女…。これ以上運命だとか、愛するだとかぬかす奴は、誰あろうとぶん殴るぞ」

「行きたがったのは自分のくせに」

呆れたように呟いたジェライドを、アークはむっとして睨みつけた。

「行きたかったさ。確かに未知の世界だった。女が関わってさえいなければ十分に堪能できたんだ」

「アーク、首飾りを…。ともかく言葉を交わせるようにしなければ」

差し出されたジェライドの手を払い、アークは彼に凄んだ。

「ジェライド。またあの女に会いに行けというつもりじゃないだろうな? 私は二度とごめんだ」

胸ぐらを掴まれそうになったジェライドは、さっとパンセの後ろにまわりこんだ。

「いちいち手を出さないでくれないか。君の方がよほど野蛮じゃないか」

「アーク様、落ち着かれなさいませ。これは大事な事なれば。よろしいですか、アーク様。心鎮めて、ご自分の心にお聞き下さい。目にした女は、確かに夢の女性でしたか?」

アークは肩をすくめた。

「よく分からない」

「それじゃ違うな…。他に女はいなかったのか?」

ジェライドの言葉で、劣悪な女達との関わりが切れたようで、アークは少し気分を直した。だが、それが何の慰めになるだろう。

「どちらにしても同じ種族の女なんだ。たいした違いがあるものか」

「塗りつけた染料を取ったら、それなりに美しいかも知れないよ。幻って手もあるし」

「この私に、幻に恋をしろと言うのか?」

「幻は冗談だよ。アーク落ち着けよ。誰も君に無理やり恋をさせようなんて思っちゃいないって…。まったく逆だ。君は自分から愛するのであって、…その相手が君を好きになってくれるかを心配したほうがいいよ」

麗しの聖なるプリンスと称えられるのを、普段は嫌がっているアークだったが、ジェライドの言葉にはかなりカチンとくるものがあった。

「もう一度行って来るかい? かなり魔力を消費するようだけど、大丈夫か。…聖なる地にいるから回復も早い筈だけど」

「行かないと言ったろう!」

「尻込みするとは、お前も案外臆病者だな」

ルィランが嘲るように言った。
もちろん彼の魂胆はわかっている。

「行くよりないようだな」

憮然としたアークから首飾りを外し、ジェライドはパンセと視線を交わした。

首飾りは大賢者パンセの手に渡り、彼は慎重に両手で包みこむと、気の魔力を発した。

「これでよかろうと思えます。アーク様、導きがあるのです。それを信じ、導かれるままに任せることです。さすれば必ずや、うまくいくことでしょう」

パンセの手から首飾りを受け取り、アークは渋い顔をしながらも素直に頷いた。

「うん、今度こそうまくいくさ」

アークは脳天気なジェライドを睨み、首飾りを嫌々首に掛けた。

「女を…」

「繰り返されなくても、分かってる!」

噛み付くように答えたアークは、なんの期待感もなく飛んだ。

最悪の気分だった。





周囲が見えた途端、目の前を凄いスピードで何かが移動して行き、アークは遠ざかってゆくものを、目で追った。

白い箱型のものだ。黒い車輪がついていることから乗り物だと分かる。

魔力を原動力にした乗り物が、この国にもあるらしい。

それにしても奇体な形状をしている。

それがまた、数の多いことときたら唖然とするほどで、右に左に絶え間なく列をなして続いて行く。

念力を極大に消費する乗り物の類は、アークの国では金持ちにしか手に入れられない代物だというのに、この国の魔力は相当に強いようだ。

車の列を飽きず眺めていたアークは、立ちこめる匂いに気分が悪くなってきた。

「どうかしましたか?」

口を覆っていたアークの背後から、おずおずとした声を掛けてきた者がいる。

どうやら、パンセのおかげで言葉にも不自由しないで済むようだ。

奇妙な柄の衣服を着た男は、片手に数冊の本を抱えていた。

言葉が違えば文字も違う、表題に印された文字を、アークは読めはしなかった。

「少し気分が…」

「ああ、良かった。日本語が話せるんですね。この中で少し休んではどうですか。すぐそこに椅子がありますから」

男が指したガラスのドア越しに、水色の椅子が見える。

男はお大事にと言ったものの、付き合ってくれるつもりは毛頭ないようで、そのまま歩いて行ってしまった。

見送っていると、青い大きめの箱型の乗り物のドアを開けて乗り込んだ。

そして器用に車を動かし、先ほどの車の列に入り込み、すぐに姿を消してしまった。

「かなりな魔力の使い手だな。あれほど重そうな乗り物を自由自在に動かせるとは…」

一人呟いていた彼の真向かいに、四十半ばほどの婦人がガラス越しに立ったかと思うと、命令されたようにガラスのドアが左右に開き、婦人は建物の外へと出てきた。

バッシラ族に類似していた先ほどの女達とは違い、婦人が程良い化粧であったことに、彼はほっとした。

様子を窺っていると、建物の中から出てくる人々は、誰しも触れもせずにドアを開け、そして閉めていく。

人通りが途絶えたところで、アークはドアの前に進んでみた。

なんの魔力をどのように必要とする利器なのか分からず、探るつもりで一歩踏み出した途端、ドアが開いた。

ぎょっとして、すぐさま足を後ろに引っ込めると、ドアは微かな音とともに閉じてしまった。

もう一度繰り返してみて、彼の魔力など必要とせず、ドアは開閉する仕組みなのだと分かった。

人が通る度にドアが自然に開閉するよう、ドア自体にまじないが掛けられているのに違いない。

アークは笑みを浮かべて、もう一度ドアを開け閉めして楽しんだ。

面白い。

このまじないも、先ほどの乗り物と同じに、相当量の魔力が必要なはずだ…

いったいどんな仕組みになっているのか?

魔力の元を感知してみようとしたが、さっぱり分からなかった。


アークは建物の中に入って行き、水色の椅子に腰掛けた。

素材は変わっているが、座り心地は悪くなかった。

少し離れた場所に、老人と呼ぶに相応しい男が座って本を開いていた。

何を読んでいるのかかなり熱心で、アークの存在など気にも留めない。

見れば壁に設置された本棚に、同じような本がたくさん置いてある。

アークは立ち上がり、本を手に取ってみた。

表紙を見つめたアークは唖然とした。

これは…?

気分の悪さなどどこかへ吹き飛んだ。

もう一つの大切なことも、頭の中からすっ飛んでいたが…

うすっぺらな紙に人が写っている。

アークを見つめて微笑んでいる女性はかなり美しかった。

手で撫でさすってみたが何の反応もない。幻とかでもないようだ。

紙の映像は動かないらしいことはわかったものの、映像を紙に留めておけるとは、どんな魔法なのだろうか?

本は、めくるたびにまた違った映像や文字が埋め込まれていて、それが何枚にも重なっている。

文字と映像の取り合わせなぞ、アークの国では作り上げられない。

この国に関する印象を塗り替えるより仕方なかった。

ここはバッシラどころか、かなり文明の発達したところと言わねばなるまい。

胸を躍らせながら、アークは胸に光る玉を握りしめ、姿を消した。


後に残された週刊誌がパラパラとなびき、老人は抱えていた雑誌からふと目を上げた。

「だれだ、こんなところにほおりっぱなしで…。読んだ本は自分で片付けるもんだぞ」

老人は一人きりの空間で小言を言い、アークの引っぱり出した週刊誌を、元の場所に戻した。


「女はどうしたんです?」

目を輝かせたアークの報告を聞き終わったジェライドは、ひどく疲れを帯びた声で尋ねてきた。

「女?…。忘れていた」

女の事など、もうどうでもよかった。

未知の世界、まったくその通りだった。

彼はついに新しい国を見つけたのだ。これが興奮せずにいられようか。

「女はそのうち捜すさ。とても風変わりな世界なんだ。探索して回るのに、かなり時間がかかるな…ふぁっ…」

アークはわくわくしたような表情のままあくびを噛み殺した。

三回のテレポはさすがに身体に負担が大きすぎたらしい。

全身が重だるく、上瞼がどう抗ってもさがってくる。

アークは瞼を押さえ、地面に腰を下ろしたと思うと、ごろんと転がってそのまま眠り込んだ。






   
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