白銀の風 アーク


第一章
第十二話 父母の思い



連れて来られたのは、父親の書斎だった。

ゼノンに勧められるまま、アークはがっしりとしたソファに軽く腰掛けた。

真向かいのソファに座ったゼノンは、相変わらず考え込んだ様子で、肘掛けに寄りかかり、話を再開した。

「戦後、平穏な時を迎えた時、私は十二になっていた。私は魔力と秘技とに育てられたようなものだった。生あるものを殺すことをなんとも思いもしない残忍な私は…父母に甘えることも、父母と話すこともあまりなかった」

誇張して語られているわけではないはずだ。

アークは彼の知る父の人柄と、過去の父の違いに、言葉なく耳を傾け続けた。

(いくさ)が終わりを迎えほっとしたのか、無理を重ねすぎたのか、年老いた父は寝たきりになって三年後に死んだ。父は私にとって戦場の大将であり、指揮官だった。その大将である父よりも強大な力を持っていることを私は認識し、愚かな私はそれを喜んでもいた」

大きく嘆息したゼノンは、何かを拭いさろうとでもするように、額を手のひらで撫であげた。

「私は愛というものを見下していた。それがどれほど得難く大切なものか、戦に身を置いて育った私には理解できなかった。…父が亡くなり、母が先ほどの父の昔語りを聞かせてくれたとき、私は鼻であしらった。その時の母の……絶望的な顔は……、今も私の心に針をさすようだ」

最後の言葉を、ゼノンは胸の中から絞り出すように口にした。

アークは慈愛溢れる父親しか知らずに育った。

父の苦渋に満ちた過去に対面し、アークは組み合わせた指に力を込めた。

「母は愛する男を亡くし、残されたわが子に愛の息吹を吹き込もうと色々と手を尽くした。けれど…。私が母にどんな仕打ちをしたか、お前に語る勇気が、私にはない。アーク、…母はまだ三十九だった。私が殺したようなものだ。生き甲斐をなくし、心を絶望に蝕まれて、母は死んだのだ」

「けれど、今の父上は慈悲深い人です!」

アークは黙っていられず、叫ぶように言った。

父親と目を合わせたアークは、照れを感じて目を伏せつつ、後の言葉を続けた。

「私は…父上と母上の…愛に育まれて育ったのですから…」

「お前はサリスによく似ている」

「そうですか?」

アークは後頭部に手を当て、照れ隠しに頭を掻きながら視線を上げた。

「父上にそっくりだと、自分では思いますが」

「お前と同じ歳の頃の私には、似ても似つかない。…世が太平を極め、退屈になった私は職務を放り出し、あちらこちらさまよった。シャラティー宮殿にいれば、賢者どもがさまざまな煩わしい職務のことや、伴侶のこと、世継ぎのことだのひっきりなしに持ち出したからな」

そう口にしたゼノンは身を起こし、部屋の中をゆっくりと歩きながら語り始めた。

「前国王のロードライは私を忌み嫌っていた。私がなげうった職務は全て彼に回っていったのだし、あの頃の私の性格では当然だと私も思うが、いや、かなり辛抱強かったと言わねばなるまい」

確かに、亡くなった前国王のロードライは、アークに対しても、あまり愛想がよくなかったといえる。

偏屈な老人だと思っていたのだが…

どうやら、あの愛想の悪さは、いま父が語った過去のせいらしい。

「ロードライは次期国王となるわが子、ローデスを心配していた。私が彼を共にして連れ歩いていたからだ。聖賢者の私に面と向かって文句も言えず、憤っていたことだろう」

「父上はローデス国王と懇意であられるから」

「言い方もあるものだな」

くすくす笑いながらゼノンは言った。

「ローデスは呑気だが希にみるいい奴だった。悪鬼と呼ぶに相応しい私に怯えず、意見した者は少ないが、ローデスもその一人だった」

悪鬼だったという父と、目の前の父とが、アークの中ではどうにも重ならない。

「一部の大賢者を除き、誰も彼も私の魔力に怯えているばかりだった。それが無性に私の癇に障るとは思いもしないようだった」

ゼノンは部屋を一巡し、ソファに座り込んだ。

「私は孤独だった。青年期に入った私は、孤独に身を引き裂かれそうだった。それでいて、自分が何を欲しているのか、自分自身を理解出来ずにいた。それで、唯一私についてくるローデスを側に置いておきたかったのだ」

眉間に皺を寄せた父は、ひどく精神的な疲れを感じているように見える。

アークはなるべく言葉を挟まないように配慮していた。

彼の一言で、話の流れを変えてしまうことのないように…

父が己の生い立ちを語るのは、今回が最初で最後かも知れない。

普段寡黙な父が、これほどあからさまに自分の過去を語るのは、今の彼のために必要なことだと判断したからに違いないのだ。

「私より一つ年上のローデスが二十四になったとき、奴に縁談が持ち上がった。美しい女だった。だがそれだけの女だった。私はその縁談を、それから次々と沸いてくる縁談を片っ端から破談にした」

「ローデス王は黙っていたんですか?」

「ああ、黙っていたさ、もちろん」

「…そうなんですか」

「奴には好きな女がいたんだ」

「そうでしたか」

ローデスに対して抱いた気の毒な表情が消し飛び、アークは安堵して微笑んだ。

その女とは、いま王の妃となっているミュライに違いない。

「お前もよくよく表情の読み取りやすい奴だな」

アークは父に向けて渋い顔をしたものの、小さく噴き出した。

「そのようです」

「サリスもそうだった。彼女は、私と初めて逢ったとき、可憐な顔をしかめて、『あなたには優しさのかけらもないようですね』と言ってのけた」

「父上はなんと返事を…」

「私か、私はその通りだと答えたさ。事実そうだったのだからな」

「父上は母上を夢に…?」

「そうだ。夢に見た。それが、我ら聖なる血を引き継ぐ者の運命らしい。私はその運命とやらに牙を剥くつもりだった。夢に見た途端、何故か憎悪が燃え上がった。女を捜し出して手酷い目に遭わせてやろうと思った」

「それで…?」

アークは眉を寄せ、急くように父に問い掛けていた。

「現在の私達を知っていても母親が心配か?」

「え、ええ…。話を聞いてみるに、その頃の父上はかなり無謀だったようですから」

「お前の言う通りだ。まさに私は…。聞くか?」

アークは肩を竦めて、首を左右に振った。

「いえ、やめておきます。父上は語りたくなさそうですし、私はこのようなことで父上を苦しめたくない。今、父上は母上を愛しておられる。それが私にとって最も大切な事です」

「アーク、私はお前にとっていい父親だったろうか?」

「もちろんです」

アークは力を込めて答えた。

心持ち口の片端をあげたゼノンに対して、一種憐れみのような奇妙な感情が湧き、何故かアークを泣きたい気持ちにさせた。

「お前が生まれるまでの私は、サリスにとって良き夫ではなかった。アーク、生まれたばかりのお前の顔を初めて見たとき、私は生まれて初めて愛ゆえの涙を流し、無垢な顔に私の心は奥底から震撼した。お前が引き金になったのだろう、分かち持つ聖なる血が熱くたぎり…私を…目覚めさせた。そして私は、それまでの自分を抱えて苦悩することになった」

ふーっと息を吐き出したゼノンは、椅子に深くもたれ、握り合わせた自分の手を長いこと見つめ続けた。

気を取り直したようにゼノンは身を起こし、微かに指を動かした。

焦げ茶の液体が入ったボトルと、美しい色合いのグラスが二つ、カチッという小さな音を立てて、テーブルの上に現れた。

「私は聖なる者としては、誤った育てられ方をされた。考えてもどうしようもないことだ。私は生まれねばならなかった。生まれし間が悪かったとも、生まれし間が良かったとも言えるだろう」

ゼノンはボトルを取り上げて栓を抜いた。

アークはグラスに興味をそそられた。

「美しいグラスですね、父上」

「うむ。宝石を変形させるのが得意なジュドという若者がいただろう。彼の作品だ。ジョヘンから届いたのだよ」

アークは頷いた。

ジュドとはほぼ同年齢であり、学校で一緒だった。

彼はゼノンの言うように宝石の変形がうまかった。

しかし、どんな種類であれ、宝石というものは魔法の利器として重宝されるため、宝飾品として所持するのはかなりの贅沢である。

したがって、彼の技はあまり必要とされなかった。

「ジョヘンでは、このような色鮮やかな石が沢山産出されるらしい。彼は二年かけて、試行錯誤の末に、それらの石を魔力で変形させられる術を見出したのだ」

「凄いじゃないですか。このような石は魔力に弱く砕けやすいものだ。この石は変質しているのかな。もしかして魔力に耐えられるんだろうか?」

「アーク」

ゼノンがたしなめる間もなく、グラスはアークの手の中で粉々に砕けてしまった。

「すみません、父上」

「グラスはお前の疑問に答えたか?」

「答える前に、私が壊したようです」

アークは破片に視線を凝らし、指先を軽く動かした。

散らばった破片は浮かびあがり、彼の手のひらに集まってくる。

割れた断面は美しかった彩りをなくし、すっかり色が褪めてしまっている。

「そうだ。明日にでもジュドのところへ行ってみよう。この石を魔法の利器に使えるようにできたとしたら、素晴らしい発明となりますよ」

見つめていた破片が手のひらから消えてしまった。

ゼノンが飛ばしてしまったのだろう。

「そして、ジュドの仕事を無くすのか? 魔法の利器はそんなに必要ではなかろう、アーク。民は、生活に必要なだけの魔力を持つ。それ以上の魔法の利器は、人の生活を危ういものにしないだろうか?」

「ですが、今日、私の見つけだした国は…」

「それは余所でのこと、お前はまだ、少し首をつっこんだに過ぎない。それが人々の幸せとなっているかなど、住んでいるものでなければ分からないものだ」

「文明は進歩し続けるものです」

「だからと言って、余所の技を無闇に取り入れるのもどうだろう?」

「父上は昔の無鉄砲さなど、全て捨ててお終いになったのですか? 用心深くおなりだ」

「そう腹を立てるな、アーク。年かさの者の配慮だ。突っ走ろうとするものには、引き止める力が必要なのだよ」

気難しい表情で、ゼノンは真剣な眼差しをアークに向けてきた。

「その国はかなり強大な力を持つらしい。それだけの力を持つ国のことだ、ここカーリアンの存在に気付いたらどうなる? 豊かな土地を求めて侵略を考えるかも知れない」

「存在を知られなければ…」

「魔力というものは繊細で、多様な部分にまで影響を及ぼす」

「それは分かっていますが」

「その場所の探索はようよう気をつけて行うように、お前の些細な行動が、その場所にも、また我々の国にも、どんな影響を及ぼすか解らぬからな」

「分かりました。父上のおっしゃる通りにすると約束しますよ」

「探索の結果報告も怠らずに、これまで以上に、詳細なものを提出するように」

「ええ。分かっています」

アークの返事を聞いたゼノンは、替わりのグラスを取り寄せ、二人分の酒をつぎ、アークに差し出してきた。

グラスを受け取ったアークは、父と目を見交わして一口啜った。

「うまい。それにしても、酒とグラスとの色の絡みがまた美しい」

グラスを光に向けて見入り、アークは気になってならない問いを、ためらいつつ父に向けた。

「父上、私は、夢の女を…愛さなければならないのでしょうか?」

「アーク、お前は思い違いをしている。誰も聖賢者に無理強いなど出来ぬ。聖賢者が愛した女にこそ、選択肢がないと言えるのだからな。聖なる血を持つ者は、永遠に愛する女をあらかじめ予知するだけに過ぎない。悲しいかな、それを賢者に知られている」

父親の言葉は、受け入れ難かった。

夢の女に対して、彼はこれっぽっちも愛など感じない。

「お言葉ですが、私は闇の女など愛する気にも、捜す気にさえもなれませんが…。まして妻にめとるなど…」

「ならばそう考えておればいい。時が教えてくれるだろう。…けれど、予知者たちはお前とは違う考えを持っているだろう。お前の夢に女性が現れたのと時を同じくして、賢者達にもさまざまな予知をもたらしたようだ。お前がかの地で夢の女を捜さねば、賢者達はお前の意志に関わらず、なんとしてでも夢の女性を捜し出そうとするだろう。それは彼らの役目の一つだからな」

ジェライドも荷担しているのだろうか?

そんな考えがふと心をよぎり、アークは顔をしかめてその考えを振り払った。

「父上は賢者がお嫌いですか?」

「そう聞こえたか、…嫌ってはいない。彼らは、それぞれに重荷を背負っている。私はパンセに、かなり迷惑をかけたし、ポンテルスには救われもした」

「大賢者ポンテルスに…」

「ポンテルスは、あれで結構、無謀な男なのだぞ。彼はおおざっぱに先を見通すようでな、結末が良ければその過程に拘らなすぎる。人をとんでもない事態に放り込んでおいて…、平然としている。そんな男だ」

「何があったんですか?」

ゼノンは口を曲げ、アークにまっすぐに向けていた目をそらして宙を見据えた。

「ポンテルスは金縛りを得意とし、彼独自の秘技も多種多様に持ち合わせている。まじないも得意だ。そして、人の感情を見抜くのが得意で…心に秘めたものを暴露させる。あの頃、私は彼を嫌い、恨みもしたが、今は感謝している」

ゼノンは姿勢を変え、前屈みになって両手を組んだ。

「お前は何かを引き起こすらしい。私も、大賢者の誰しもそれを感じている。だが、具体的には何一つ分かっていない」

それは、彼が未知の世界の探索に関わるからだろうか?

「なんにしろ、私はお前を信じている。迷ったときは聖なる力に聞くことだ」

そう口にしたゼノンは、残りの酒を口に含んだ。

父の話が終わったことを察し、アークは立ち上がった。

充分熟睡した彼はまったく眠くなかったが、父親には眠りが必要だ。

「父上、ありがとうございました」

様々な思いを込めてアークは一礼し、書斎から歩いて出ていった。


アークが部屋を出た直後、ゼノンの傍らに光が立った。

現れたのはサリスだった。

「あいつにだけは、平穏な人生を送って欲しかった。聖なる血はそれを許さぬつもりなのか…」

「試練は人を強くするものですわ、あなた。あの子にはそれが必要なのでしょう」

サリスは気難しい顔のゼノンの左頬にそっと手を当てた。

ゼノンは頬をゆるませ、妻のあたたかな手を自分の手でそっと覆った。






   
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