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第四話 ありがたき助言
「こんにちは。ルィラン」
ドアを開けて顔を見せたルィランは、アークの隣にいるジェライドを見つめ、「何かわかったのか?」と前置きなく問いかけてきた。
「まあね、入ってもいいかい?」
「ああ。もちろんだ。理由がわからないままだからな。話を聞きたくてウズウズしていたんだ」
理由がわからないとは、バッシラ族のことだろう。
彼らがどうして絶滅したのか?
アークは、父親のゼノンやジェライドから、いま現在わかっているだけの情報を得ているが、その情報はまだ一部の人間にしか知らされていない。
「バッシラ族のことなら、まだ何も…」
「そのことは中で話そう」
アークはルィランに向けて言った。
ルィランはアークの声に一瞬ぎょっとし、すぐに顔をしかめた。
「アーク、いるのか?」
ルィランは、彼には見えていないアークの顔に視線を向け、苦い顔で言った。
「いるさ」
「ともかく、ちょっとお邪魔するよ」
ジェライドはドア口に立っているルィランをすり抜けるようにして中に入っていった。
アークは彼の後に続き、ドアが閉じるまでに姿を現した。
「姿を消して俺を驚かそうなんて…」
アークは後ろからついてきながら、ブツブツと文句を言うルィランに振り向き、肩を竦めた。
「別に君を驚かそうとしたわけじゃない。屋敷からここまで歩いてきたんだ。わかるだろう? 私は姿を消していたほうが、町中を歩きやすいんだ」
「わざわざ姿を消してくるくらいなら、いつものようにテレポで飛んでくればいいことだと思うが…」
「気分転換に歩くことにしたんだ。それと、私の姿を消していたのはジェライドだ」
アークは、大きなクッションを引き寄せ、座り込みながら答えた。
ジェライドはすでに別のクッションに座り込んでいる。
「ルィラン、飲み物とかの心配はいらないよ。君も、ほらくつろいで」
ルィランは余計なお世話だと言わんばかりに、むっとした顔で彼の気に入りの椅子に座り込んだ。
「疲れは取れたかい?」
「まあな。昨日の昼、バッシラ族の領地から引き上げてきて、事後処理は色々あったが、夕方にはここに戻ってこられた。君らは?」
「私は、ゼノン様や大賢者たちと今回のことについて話す場を持った」
ジェライドの言葉に、ルィランは強い興味を見せて姿勢を正し、「それで?」と聞いてきた。
「バッシラ族は狂っていた。戦の形を取って攻め入ってはいたが、その一方で多くのバッシラたちは、すでに自分達の領土で殺しあっていたんだ」
「そうなのか?」
「ああ。結局、我々に向かってきていたバッシラは、最後の生き残りだったのさ」
アークは苦い戦となった数日を思い返しながらルィランに向けて語り、さらに言葉を付け加えた。
「テレポでバッシラの領土に生き残りを飛ばしたことで、彼らはもう一度攻め入ってくることもなく、自滅した」
「そういうことか。突然、撤退ということになって、さっぱりわけがわからなかった」
バッシラを飛ばした後、騎士団は今後の戦について話し合う一方で、バッシラの領土内の様子を探った。そして、同族同士で殺しあっているバッシラを確認することとなったのだ。
「彼らに、いったい何が起こったんだ?」
「そのことについては、慎重に調査中だよ。なんらかの手掛かりがつかめるまで、いまのところ我々は待つしかない」
ルィランはまだ気難しい顔をしつつも、納得したように「そうか」と答えた。
ジェライドは、「それでだね」と口にしつつ、アークに意味ありげな視線を向けてきた。
「ルィラン。疲れも取れているなら、ちょっと付き合ってもらいたいところがある」
ジェライドの言葉に、アークは眉を上げた。
「ジェライド、ルィランを誘って、これから何処に行くというんだ?」
サエリのことを考えて、気が滅入ってばかりのアークに、ジェライドが気分転換に行こうと突然言い出し、彼らふたりはルィランのところにやってきたのだが…
どうやらジェライドには、何やら別の思惑があったらしい。
「マリアナのところだよ」
は? マリアナ?
「彼女のところに何しに行くんだ?」
「助言を貰いにさ」
「助言? なんの?」
「マリアナ様のところに行くのか? どうして私を誘う?」
アークとジェライドのやり取りを聞いていたルィランは、意味がわからないという表情で、横合いから言葉を挟んできた。
「僕らふたりより、歓迎してもらえるかなと思ってね」
「マリアナに、いったい何の助言をもらうと言うんだ?」
アークは首を傾げてジェライドに問いかけた。
予知者の能力はジェライドの方が上、何の助言か知らないが、わざわざマリアナを訪問しなくても、ジェライドで充分なはずだ。
「君がもっとも必要な助言と言ったら、ピンと来ないかな? もちろん女性を口説くコツを聞きに行くんだよ」
アークは、笑みを浮かべているジェライドの顔をまじまじと見つめた。
「ほお、女性を口説くコツ」
ルィランの声には、強い興味の色が込められていて、アークは顔を引きつらせた。
「私は行かないぞ!」
「アーク、それなら君は自分で何とかできるというのかい? 何度も彼女に会いに行ったというのに、君は…むぐっ」
アークは、慌ててジェライドの口を押さえた。
いまだ彼女と一言も口を聞いていないなんて、ルィランの耳に入れたくない。
口を押さえ込んだままのジェライドと目を合わせ、アークは仕方なしに、むっつりとして頷いた。
「行けばいいんだろ」
アークは吐き捨てるように言いながら、ジェライドから手を離した。
「けど、ルィランが一緒に行く必要はないだろ」
「アーク、ルィランを連れて行ったほうがうまくゆく」
その言葉には、反論を受け付けない強さがあった。
「ジェライド。これで有意義な助言がもらえなかったら、キュラのパイ程度じゃ済まさないぞ」
脅しを込めて言ったのに、ジェライドは楽しげに笑い出した。
「あの攻撃は、悪くなかったよ。おかげでキュラのパイを、ひとりで全部食べられたからね。アーク、また頼むよ」
「キュラのパイってのはなんだい?」
なんの気なしに尋ねてきたルィランに、アークは腹の虫が収まらず睨みつけた。
「キュラのパイについては、ルィラン、道々話すよ。それより、いいかいアーク、僕らふたりが、女性をくどくコツを教えて欲しいとマリアナに頼んだとしたら、マリアナはどう出ると思う?」
ジェライドから真顔で聞き返され、アークは不本意ながらも返す言葉がなかった。
マリアナのことだ、助言をくれるにしても、その前にまず、さんざんアークをからかうに違いない。
「ジェライド、マリアナのところに行っても意味はないさ。止めよう」
「いや、彼女は役立つ助言をくれる」
ジェライドの確信のこもった言葉に、アークは反論の余地をなくした。
ふたりのやりとりを見ていたルィランが、アークの肩を軽く叩いてきた。
振り返ると、にやついているルィランがいて、アークは顔を歪めた。
「アーク、是非、私も同行させてもらおう」
大きな門を抜け、青い屋根の屋敷の前に立ったアークは、玄関の呼び鈴を鳴らした。
リンリンリンと軽い鈴の音が響き渡る。と頭上でかわいらしい子どもの笑い声がした。
上を見上げると、マリアナの兄であるライドの息子シェイが、母親のミッシェラに抱かれ、二階のベランダから身をのり出すようにしながらはしゃいでいる。
「ミッシェラ様。シェイ、元気かい?」
ジェライドが大声を張り上げたその時、玄関の扉が開き、よく見知った老齢の執事が満面の笑みを浮かべて、三人を歓迎してくれた。
執事の案内で、マリアナの私室へ向かっている途中で、シェイが突風のように駆け抜けていった。
彼らには見向きもしない。
シェイは三歳になったばかりのはずだ。
シェイを追いかけて、息子の名を呼びながらミッシェラが小走りに駆けて来たが、アークの姿を見て慌てて足を止めた。
「ア、アーク様。皆様も…」
「挨拶はいいですから、ミッシェラ、行ってください」
「あ、はい。すみません」
「ミッシェラ様、シェイは厨房だよ。テーブルの下の荷物の間に潜り込んで隠れてる」
「まあ。あ、ありがとうございます。ジェライド様」
「私に対して、様などの敬称は必要ありませんよ。ミッシェラ様」
「ああ…で、でも…」
無意識にシェイにフォーカスしていたアークは、眉をきゅっと寄せて、シェイの母親に視線を向けた。
「ミッシェラ、早く行った方がいい。君のやんちゃ坊主は、いま、とんでもないものを狙っているぞ」
「と、とんでもないもの?」
「小麦粉の袋のようだね。このままでは、真っ白なお化けになりかねないな」
「まああっ!」
ジェライドの言葉に仰天したミッシェラは、慌ててすっ飛んでいった。
「シェイが何をやっているのか、そんなにはっきりとわかるのかい?」
驚きを込めて尋ねてきたルィランに、アークは眉を上げた。
「シェイのような小さな子は思考が単純だからね。フォーカスしやすいのさ」
「フォーカス? いったいどうやってやるんだ?」
「そんなことはいまはいいから、ほら、マリアナのところに行こう」
ジェライドが急かすように言った。
彼らのやり取りを黙って聞いていた執事とともに、三人はマリアナの私室へ向かった。
「君の知恵を借りられたらと思ってね」
マリアナからたいした歓迎も受けず、勧められた椅子に座って落ち着いたところで、ジェライドがさっそく用件を切り出した。
「知恵とは?」
並んで座っている三人を順繰りに眺めていたマリアナは、話の続きを促すように言った。
「その…つまり、その…きっかけが掴めないというか…なんと言って彼女に話しかければいいのか、わからないんだ」
マリアナから視線を逸らし、アークは渋々口にした。
「話しかけるとは? …まさか、まだ彼女と一言も口を聞いていないというの?」
「ま、まあそうだ。で、どうすればいい?」
アークは渋い顔で答え、マリアナをチラリと見て問い返した。
マリアナは、ことさら澄ましてアークを見つめてくる。
嫌な予感がして、アークは顔を歪めた。
「女性を口説くこつを、兄に伝授して、無理やり実行にうつさせたのは…誰だったかしら?」
皮肉の笑みを口許に浮かべ、マリアナは冷ややかに言う。
身に覚えのあるアークとジェライドは、気まずく顔をしかめた。
「あれはその。まあ、なあジェライド」
「ええ、あの頃はまだ、我々も若かったから。悪さもしたい年頃で…ねっ、アーク」
「そうだな…若気の至りという奴は、どうしようもないな」
アークは立場の悪さを、なんとか笑いで誤魔化そうとした。
「お前達ときたら、そんなことをしていたのか?」
話を聞いていたルィランが、呆れたように言った。
ルィランの言葉を聞いたマリアナは、同志を得て嬉しかったらしく、得々とした笑みを浮かべた。
「あれを、ただの悪さや、若気の至りで片付けられたと聞いたら、兄様も、たまらないと思うのだけど?」
「ライドにはちゃんと謝ったし、許してくれたよ。それに、最終的に彼は、ミッシェラとうまくいった」
「最終的にはね。私には、貴方がたが余計な事をしなかったら、兄はもっと簡単にミッシェラと結婚できたと思うのだけど」
ネチネチと嫌味を言われ続け、顔を伏せたアークは自分の隣に座って、雲行きの怪しい事態にやたら神妙な顔をしているジェライドを睨みつけた。
助言をもらうどころか、過去の過ちを引き出されて、文句を言われてるだけじゃないか。
「あれ以来、兄の真面目な性格が、少々ねじ曲がったように思えてならないのよね」
「ライド様の魂の成長の助けになったとは考えられないかな。ほら、彼はかなり生真面目すぎたし、堅物過ぎて面白みに欠け…ぐっ」
ジェライドの遠慮会釈ない言葉に、マリアナが顔色を変えたことに気づいて、アークはジェライドの脇腹を肘で思い切り突いた。
「確かに、我々は悪かった。やりすぎた。申し訳なかったと思っている。けれど、ライドはともかく愛する女性と結婚し、可愛い子どもにも恵まれた。幼馴染がこれ以上ないくらいのしあわせを掴んで、ジェライドも私も心から喜ばしいことだと思っているんだ」
マリアナはふっとしかめた顔を緩め、くすくす笑い出した。
「手助けできるものならしてあげるわ。それで、アーク、いったいどんな状況なの?」
アークの説明を聞いたマリアナは、しばし思案していたが、ようやく口を開いた。
「まずは、親しくならなければ。見知らぬ男性に対して、女性はとても警戒心を抱くものよ」
そんなことは、言われなくたってわかる。
「それで、どうやれば親しくなれる?」
「話し掛ければいいじゃないの」
「だから、どうやって?」
「アーク、それくらい自分で考えなさいよ。あなたのそのおつむには、会話文が入っていないの?」
返す言葉もなく、アークはぶすっとしてマリアナを睨みつけた。
彼女も負けじと睨み返してくる。
「いい、アーク。特別な言葉なんていらないわ。ただ礼儀正しく、こんにちはから始めて、焦ったりせずに、少しずつ親しくなればいいのよ。立ち話でいいから、自己紹介して名前を知ってもらって…今日はいいお天気ですねとか、差しさわりのない会話を少しずつ増やしてゆくの。数回顔を合わせてたら、彼女の警戒心も消えて、きっと次の段階に進めるわ」
次の段階まで、どのくらい掛かるのだろうか?
マリアナの言葉を頭に入れていたアークは、そんな問いが頭に浮かんだが、言葉に出して問うことはしなかった。
「話せるくらいに親しくなったら、どこか彼女の行きたい場所に出かけたり、プレゼントというのもいいんじゃないのかしら。高価なものではなくて、花とか本とか」
アークはすこぶる真剣な顔で、マリアナの助言に頷いていた。
彼女の行きたい場所に一緒に出かけるというのも、プレゼントというのも、最高にいいアイディアだと思えた。
サエリは、どんなものを貰ったら喜ぶだろうか?
マリアナの助言はまだ続いていたが、アークの頭の中はその考えに占領されていた。
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