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第五話 秘儀
バッシラの中心部。いまや住む者もなく、あたりは茫漠としている。
バッシラ族の無惨な遺体の山も、すでに焼却されていたが、その臭いたるやすさまじいものだ。
アークもジェライドもシールドを張って難を逃れられているが、周りでは吐き気を我慢しきれずにそこここで吐く者が後を絶たない。
ほとんどが、賢者の弟子たちのようだ。
秘技を前にしてのこの事態に、ゼノンと賢者達が固り、困った様子で話し込んでいたが、話がついたのか、その輪が乱れた。
何かやるようだ。
アークは、ジェライドに話しかけようと顔を向けたが、彼の瞳が金色になっているのを見て、口を閉じた。
どうやらジェライドはこの場にいる大賢者たちと、意識を繋ぎあっているらしい。
周囲に漂っている匂いを、なんとかするつもりのようだが…いったい?
様子を窺っていると、大賢者バイラが腰に下げた杖を取り、左手に掴んだ。
そしてすぐ側から何事か指示を与えるゼノンに向かってこくこくと数回頷くと、両腕を大きく開き、そのままピタリと動きを止めた。
杖の先が金色に光り始めると、バイラは杖を高く差し上げた。
その瞬間、杖は巨大な閃光を放った。
バイラの身体がぐらりと揺れて地面に倒れたのを見て、アークは駆け寄ろうとしたが、すでに賢者たちがバイラの周りを取り囲んでいた。
その中にはジェライドもいる。
賢者達は差し上げていた両手を激しくパンと叩いた。
そして何かを感知しようとするかのように数分そのままで目を閉じていたが、ゼノンの「よし」と言う声を合図にさっと動きはじめた。
倒れたまま置かれていたバイラの傍らに数人が急いで駆け寄る。
バイラを抱き上げた賢者の一人が顔を上げ「大丈夫のようです」と告げると、周囲にほっとした空気が流れ、緊迫した雰囲気が消えた。
バイラは木の下に敷かれたやわらかな敷物の上に慎重に横たえられた。
シールドを解いて確かめてみると、悪臭はまったくとまではいかないまでも和らいでおり、おかげで秘儀の作業はスピードを増してはかどり始めた。
大勢の騎士達が二十メートル四方を透明の板で囲って行く。
その中心には不気味に揺れるバッシラ草のひと群があった。
昼過ぎには全部の作業が終わり、バッシラ草は透明のドームの中に閉じ込められた。
ドームには小さな入口がつけられている。
その扉を閉めたのを確かめてから、ゼノンの命ずるまま、賢者たちがドームを背に等間隔に並んで立った。
ゼノンに呼ばれないアークは、じりじりとして囲みの外で、騎士団や賢者の弟子達と立っていた。
ゼノンもその様子を見守っているところを見ると、秘儀はまだなのだろう。
賢者達が全員両腕を高く差し上げた。
精神を集中するように皆瞑目していたが、その内の何人かが目を開けてゼノンに顔を向けた。
「どこだ?」
「この先、六百メートルほどのところに残っているようです」
ゼノンの問いにひとりが答えると、後の者たちも、同じように残っているバッシラ草の位置を特定して告げる。
バッシラ草は、騎士たちの手で焼却処分されたのだが、まだ見つからずに残っているものがあるようだ。
そのすべてを始末しなければ、この秘儀の意味がなくなる。
この作業は相当に手間取りそうだ。そう思うと、ため息をつきたくなる。
秘儀は早く終わって欲しいが、ここは我慢だ。
万に一つの間違いも起きてはならない。
今回の秘儀、無事に終わるだろうか?
秘儀について語られたゼノンの言葉は、不安をかき立てようとしてのものではない。
秘儀にともなう危険が想定できないからこその発言。
だからこそ、大賢者達はかなりの不安要素を抱えているはず。
フィゼル団長の指図で、騎士たちはふたり一組になり、賢者達の示す方向へ馬で駆けて行く。
その作業は夕方近くまで及び、ようやくバッシラ草のすべての焼却が終わったようだった。
二十メートル四方にぎっしりと人が入り、ドームの中は人いきれでかなり熱かった。
アークはバッシラ草を挟んでゼノンと向かい合わせに立った。
ふたりの後にはそれぞれ三人ずつ大賢者が立ち、彼らの周りを賢者らが幾重にも輪を描くように位置についている。
中心はゼノン、そしてアーク。
すさまじいばかりの魔力がドーム内をかけめぐっているかのようだ。
そのためか、緊張に筋肉がフルフルと震えているような感覚を覚える。
熱気も手伝って、全身がじっとりと汗ばんできていた。
ドームの外側で見守っている騎士団の顔も緊張に張りつめ、気を失っていたバイラも、いまは眉間に皺寄せて厳しい眼差しで秘儀の進行を見つめている。
「よいか?」
ゼノンの短い言葉が重い。
アークはゼノンと目を合わせて頷いた。
ゼノンと魂を合わせて魔力を投ずる。
秘儀を行うのはゼノンであり、アークは持てる魔力を父親へと注ぐことに徹しなければならない。
空気がブルブルと激しく振動するのを肌で感じ、アークの緊張はさらに増した。
ふっと身体が浮いたように感じた一瞬後、アークはゼノンに同化したような感覚を覚えた。
父親が行っているすべてを、まるで自分の意思で行っているようにリアルに感じた。
すっと現実に立ち戻れたアークは、秘儀が終わったと悟った。
魔法消去の秘儀は、数秒のことだったろうと思う。
ゼノンが膝を折り、その身体が前屈みに倒れてくるのを目にしたアークは、己もまた倒れそうになるのを踏ん張って耐え、父親に手を差し伸べようとした。
「アーク様。我らが」
激しい口調とともに両脇を取られ、アークはゼノンから無理やり引き離された。
「は、離せっ!」
アークを掴んでいる者達は、彼の命令などまったく耳を貸さず、後方へと引きずるように連れてゆく。
彼はあっという間にドームの外に連れ出されていた。
「離せ、父上が」
アークは怒りで肩が震えた。
父親が倒れたというのに…
「離せ!」
アークは歯を軋らせ、怒りのまま何度も叫んだ。
その剣幕に驚いたのか、ドームから連れ出し終えたからか、アークは自由になった。が、それでも取り囲んだ連中は動かず、アークの行動次第ではまた押さえ込もうという算段らしく、彼の一挙手一投足をじっと見守っている。
見ると、抱えられたゼノンもドームの外に運ばれてきた。
アークは怒りを秘めたまま、ゼノンを介抱する様子を目を凝らして見ていたが、聖騎士らがゼノンを囲むと、全員の姿がふっと消えた。
誰かに指示を受けたのか、アークの傍らに聖騎士達が急いで近づいてきて、アークに許しを請うように頭を下げ、彼の身体に触れた。
癒しの使い手達だ。
重石をのせられていたようだった彼の身体から重みが徐々に抜けてゆく。
ことを終えて聖騎士達が下がると、今度は大賢者たちが揃ってアークの元にやってきた。
全員疲労の色が凄まじい。
それでも彼らは膝をついて頭を垂れ、先ほどの無礼を詫びてきた。
彼を引きずり出した賢者の弟子達も、大罪を犯したという顔で、賢者達の後方で同じく頭を垂れている。
アークの中から怒りが消えた。
みな秘儀のために魔力を使い果たし、先ほどのアーク同様、倒れ込みそうなほどの疲労感を抱えているはずだ。
なのに…アークへの無礼を罪と思い、頭を下げている。
キワトが青白い顔を上げた。
彼が口を開く前に、アークは彼に尋ねた。
「父上は、大丈夫なのか?」
キワトがこくりと頷くのをみて、アークはほーっと長い息をついた。
「アーク様の怒りも最もなれば、我らはいかような処罰も受けましょう。ですが、まだドームの封印をいたさねばなりませぬ。明日にでも、アーク様の魔力の回復をお待ちして、最後の封印を願います」
「どうして私を退けた?」
キワトは少しためらってから口を開いた。
「あのままアーク様がゼノン様を助けに駆け寄られていれば、さらに魔力を消耗されたことでしょう。我らはゼノン様より、アーク様をお守りするようにと天命を受けておりますれば…」
「わかった。咎めたりなどしないさ。とにかく全員、大事に至らずによかった」
アークは近くにいる聖騎士達を呼んだ。
「この者達に早く癒しを施してやってくれ」
いつの間にかジェライドが傍らに来ていた。
少しよろめきつつ立ち上がったアークは、ジェライドとともに、ドームから離れた場所に行って座り込んだ。
「ジェライド、君は大丈夫か?」
神妙な顔でジェライドは頷いたが、ためらいのようなものがその表情に走ったのをアークは見逃さなかった。
「どうした? 具合が悪いのか?」
「いや、私は大丈夫だ。ただ…」
ジェライドの肩をぐっと掴んできた者がいた。
顔を上げて見ると、大賢者バイラだった。
彼はジェライドに向けて小さく首を横に振り、それを見たジェライドの表情が暗く翳った。
「なんだ、どうしたんだ?」
「弟子の一人が…。呼んでも応えぬのです。…魂の存在が…感じられぬのです」
大賢者バイラのかすれた声と唇が、感情を堪えているために震えている。
「…助けるすべは…ないのか?」
がっくりと肩を落とし、バイラが頷く。
「蘇生させる技はありますが…それでは役に立ちませぬ」
アークは茫然とし、緩慢な動作でジェライドに向き、ゆっくりと口にした。
「その者は…。どの位置についていた?」
「アーク、位置など関係ないさ」
叱責のようなジェライドの口調から、懸念が裏付けされたような気がした。
私が魔力を減じたせい…なのか? とすれば、私の落ち度…
バイラが大きく息を吐きだし、アークは顔を歪めたまま彼に振り向いた。
「私が…。私が彼を選んだのです。まだ年若く、経験浅き者で…。魔力の強さから選んだのですが。内面の弱さを推し量れなかった私の責任です。私が…彼を死を追いやったようなもの」
苦しげに悔やむように口にするバイラを見て、アークは胸にキリキリと刺すような痛みを感じた。
「大賢者バイラ。誰のせいでもありません。それに、あの若者は自分に誇りを持っていますよ。秘儀に参加してゼノン様を助けたのですからね。彼の魔力がなければ、秘儀は成功していなかったかもしれないのです。我らはゼノン様を守りきれなかったかもしれない。彼と同じ立場なら、私だって誇りに思う。我ら賢者は、聖賢者を守るために存在しているのです。そのために死んだなら、なんら悔いはない。そうでしょう? 大賢者バイラ」
ジェライドらしくない、激情にかられたような口調だった。
バイラはいくぶん救われたような顔で下がっていったが、彼の後ろ姿は悲哀に満ちていた。
背筋に悪寒が走り、アークは身を震わせた。
「私は、人の命を犠牲にしてまで、生きていたくはない」
なんとも嫌な味が口の中に広がるのを感じながら、アークは手のひらで顔をこすった。
「君がそんな考えでいたら…。いいかい、聖賢者を守るために、聖騎士も賢者も存在している。君とゼノン様は、この世にとってかけがえのない、どんなことをしても守らねばならぬ存在なんだよ」
そのジェライドの言葉は、さらにアークを追い詰める。
「アーク…そんな顔をしないでくれ…。だからと言って、我らは自分を取るに足りない者と思っていないよ」
大きく息を吸って肩から力を抜き、ジェライドはまた語り始めた。
「君は自分が魔力を減じたせいではないかと考えているようだけど、それは違うよ。君の魔力は充分すぎるほど回復していた」
アークは、ジェライドの言葉を否定して、ゆるく首を振った。
それが真実だろうがなんだろうが、秘儀により、ひとひとりが死を迎えた事実は変わらない。
「死する運命を持った者は、誰にも助けようがない。…それはさだめなんだからね」
その言葉にやりきれなさと苦さがあるのを感じ、アークはハッとした。
もしやジェライドは…
「ジェライド、君には前もって分かっていたんだな? 彼がこうなることを…」
ジェライドは表情を崩し、口許を震わせはじめた。
「予知が間違いであればいいと思った。そうであればいいと。ああー!」
ジェライドは顔を覆って叫び、身を固めた。
彼の肩に手を掛けようとした瞬間、アークは自分の傍らの空間にひとの気配を感じて振り返った。
現れたのはポンテルスだった。
鷹揚な表情をした老齢の大賢者の顔を見たアークは、それだけで大きな安堵を感じた。
「ポンテルス殿」
「顔色がすぐれませぬな」
いたわるように言ったポンテルスは、アークに近づいて彼の背を撫でながら、ジェライドと向き直った。
「起こるべきことが起きただけのことなれば。彼は救われますぞ」
「救われる? ポ、ポンテルス殿、本当に?」
軽く頷くポンテルスに、ジェライドは信じていいのか決めかねるように眉間を寄せている。
「ジェライド殿。疑念は未来へと向かう流れを歪めますぞ」
ポンテルスの厳しく諭すような言葉に、ジェライドは困ったような笑みを浮かべて頭を下げた。
そして、この朗報をバイラに伝えにゆくと言い、駆けて行った。
「ポンテルス殿、父上のことも、ご存知ですか…」
「ゼノン様は心配ご無用ですじゃ。それより明日の封印の技、私が援助させていただきますでのお」
心が安らぐような笑みとともに、語られた言葉。
心強い味方を得られ、アークは心底ほっとして頷いた。
ポンテルスの存在の偉大さに、アークは深く感謝した。
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