白銀の風 アーク

第四章

第六話 不本意な接触



差し出された首飾りを受け取り、その感触を味わいながら、アークはさまざまな感慨に浸った。

秘儀によるさまざまな出来事。意識を無くした若者のこと。

ポンテルスは、彼は救われると言ったが、ことはそう簡単ではないようだった。

バイラとポンテルスに、彼のことは託されたが…

ようやく回復したゼノンとも話をしたが、父も若者のことをひどく気に病んでいる様子だった。

父はすっかりよくなったとは言えないようだが、今朝は朝食を一緒にとり、国務に就くため、シャラティ宮殿に出向いて行った。

「何を考え込んでいるんだい、アーク。君はこのときを待ちに待っていた筈だろう?」

首飾りにじっと目を凝らしていたアークは、ジェライドに視線を向けてから、また首飾りを凝視した。

たしかにその通りだった。

彼女と花の祭りを楽しんでから、すでに半月が過ぎている。

許しが出たいま、すぐに飛んで行きたいと急く気持ちの中に、漠然とした気後れを感じるのだ。

彼女の心が彼を求めていたときに、自分は行けなかった。

いや…行かなかったのだ。

あの状況では行けるはずもなかったことを、理性は納得しているのに、彼の感情はアークを責め続けている。

いまの彼にとって、彼女よりも大切なものはないのに、サエリの心の叫びに自分は応えなかったのだ。

サエリがいまどういう状況下にあるのか…

それを知るのが恐ろしくて、首飾りを手にしたまま躊躇している。

『小心者よの』大賢者キラタの言った言葉が、今こそ彼の心の核を突く。

たしかに、私は小心者だ。

成すべき事を成す…か。

そしてこの先には…時の大きな波が向かってきているのだ。

「時の大波は、サエリに危難を招かぬだろうか?」

「否定したいけど、それはできないな。予知はとても不安定なものだ。君も知っての通り万能ではない。わからないとしか言えないな」

「彼女は、私がなんとしてでも守って…」

守ってみせる?

本当にお前はそう約束できるのか? 

「ジェライド、サエリを、このまま彼女の国にそっとしておいたら、彼女に危難は訪れないのだろうか?」

不安が言葉になって表れた。

「そうしたら、悪を呼ぶよ。その悪が彼女に降りかからないかなど、誰に判る。たとえ苦境を迎えても最前を尽くすことだ。我ら予知者は絶望を見てはいない。我らは未来に、さらなる希望を見ているんだ」

アークはジェライドの決然とした瞳を見返した。

互いに重いさだめを担っている身。

不安はぬぐい去れない。だが、未来を思って苦慮していても始まらない。

アークは頭上でキラキラと輝いているシャラの木を仰ぎ見た。

神聖な温かな光を全身に感じ、進めと叱咤する本能に突き動かされるように、アークは彼女のもとへ飛んだ。





目の前にサエリの後ろ姿があった。

歩いている彼女は、徐々に遠のいて行く。

アークはなにより、彼女の無事な姿を目にしてほっとした。

だが、姿を現して呼び止めようとして彼はためらった。

彼女の両隣には、ふたりの女がいる。

邪魔者がいたら、充分な話もできないに違いない。

そう考えてアークは姿を消したまま、サエリの後について行くことにした。

サエリが一人になったところで姿を現すことにしよう。

通廊を進みながら、アークは窓の外に視線を向けてみた。

そこには例の乗り物がたくさん置いてあり、その辺りを歩いている人も大勢いる。
進んで行くうちに通廊の中も混み合ってきた。

姿を消しているアークは、前後から急ぎ足で来る者たちとぶつからないように、極力注意しなければならなかった。

そうこうするうちにサエリを見失い、アークは肩をすくめて、人波を逃れていったん外へ飛んだ。

木陰の一つに腰を据え、建物の全景を眺める。

つまりこれが、サエリの通っていると言っていた学校なのだろう。

カーリアン国では、部族によっても違いがあるが、だいたい五歳から十八歳まで学校に通う。

初めは初等科。そこでは遊びながら魔力のなんたるかを身体で覚える。

そして中等科に進み、あらゆる知識を学びながら自分に適した魔法の使い道を学び、高等科では、個々の魔法をみいだし、それを磨く。

学校を終えると、自分の技を発揮できる職業につく。

また魔法の種類や、魔力の伸び、魔法の技、それぞれの成長に合わせてクラスが別れている。

教師の判断で伸びが限界に達したと思われる者は、それに従って学校を終えるのだ。

それでも例外もいて、まだまだ勉学と鍛錬が必要と教師が判断した場合、かなりの年齢まで学校に通う者もいる。

もちろんこれは一般庶民の場合で、アークやジェライド、ルィランなど魔力が卓越した者たちは、シャラドに設けられている特別な学校、シャラダム学院で学ぶ。

頭の後ろで手を組み、アークは仰向けに寝転がった。

日がさんさんと降り注ぎ、ぬくもりがいい心地だ。

いつのまにかうとうとしていたのだろう、人声にまばたきして目を開けると、三人の女が彼を囲んでいた。

一人の女が、彼が目を開けたのを見定めて声を掛けてきた。

「あなた、日本語は、話せるの?」

なぜか三人とも、妙に興奮している様子で、アークは不審げに眉をひそめた。

ニホンゴ?

「なんのことだ?」

「なんだー、よかったー、話せるんだー。ねえあなた、留学生なの? 学部はどこ?」

そう言った女を片手で押すようにして、今度は横にいた小太りの女が声を掛けてきた。

「名前はなんていうの?」

今度はそのまた隣の女が小太りの女を押しのけて、アークの前に顔を突き出してきた。

「私たちこれからお茶しに行くの。ねえ、一緒に行かない?」

「ここで転がってるより楽しいわよ。行きましょうよ、ねっ」

初めの女がパチパチまばたきしながら言い、意味深ににっこりと笑った。

もちろん、ついてゆく気などさらさらない。

顔をしかめたアークは、すぐにでも消えてしまおうかと思ったが、この場で騒ぎを起こすのはまずいと判断して立ち上がった。

何を勘違いしたのか、一人の女が彼の腕に手を掛けてこようとする。

「触るな!」

アークは抑えた口調で言い、その手を払った。

女達はしばし呆気にとられた様子だったが、次第に険悪な雰囲気になっていった。

一瞬謝ろうかと思ったが、彼はそのまま歩きはじめた。

背後から女らしからぬ罵声が飛んでくるのも無視して、アークはその場を去った。





サエリは一番後方の机についていた。

たぶん先ほどと同じと思われるふたりの女が、また両脇にいる。

彼はそのまた隣を見て、不機嫌になった。

あの男だ。

変な女達との不愉快な場面で嫌な思いをし、サエリの顔を見てやっと気分を回復したところだというのに…

男はサエリの横顔に視線を当てて物思いに浸っている。

隣の女はそれに気づいていて、ちらりと見て呆れたように肩を竦めた。

もちろんサエリも気づいている。彼女の不安定に揺れる眼差しがそうと語っている。

面白くない。

アークは人差し指を突き出し、男の額めがけて軽い衝撃波を放った。

ピンと指で弾かれたようなショックを感じたに違いない、男は額に手を当て、目をぱちくりさせた。

いい気味だ。

にやりと笑ったアークと、サエリの目が一瞬かち合った。

彼女はすぐに視線をそらしたが、驚いたアークは、自分の身体を確認するために見下ろしてしまった。

もちろん見えてはいないはずだ。

それにしても彼女の表情が沈んでいるように思うのは光線の加減だろうか?

彼はサエリの視線の先に目を向けた。

壇上にいるのは教師だろう老齢の男は、ゆったりもったりした口調で延々と喋り続けている。

言葉は理解できるはずなのだが、教師の語っている言葉の意味を、アークには理解できない。

サエリは理解できるのだろう、手にしたノートになにやら文字を書き込んでいるところを見ると…

彼は一番近いところにいる男の手元を覗き込んだ。

意味不明の文字の羅列だ。

それよりも紙質に目を引かれた。

ずいぶんなめらかできれいな紙だ。

手にしたペンも珍しい形を成している。

こいつは、一つ二つ持って帰りたいものだ。

授業はちんぷんかんぷんだが、サエリの顔を見ていられれば退屈しない。

真剣な顔で教師の言葉に聞き入っている様子や、時折髪を掻き上げる仕草、下を向いていた彼女のまつげがパッと上がり、上目遣いに教師を見つめる表情など、いくら見ていても飽きることはなかった。

彼女が手にしたペンを自分の頬にぽんぽんと軽く叩きながら、宙の一点を見つめていたとき、頭の中に彼の名が響いたように感じたのだが、それが彼女の心の声だったのか、彼がそう思い込みたいが為の空耳でしかなかったのか、判然としなかった。それくらい微少な響きだった。

サエリにつかず離れず、アークは彼女が一人になるのを待っていたが、こう人が大勢いる場所では、そのチャンスもないまま昼になっていた。

二つ目の授業の時には彼女一人だったから、そろそろ姿を現そうと思っていた矢先、食堂らしきところの手前であの女達とまた合流してしまい、彼はがっかりした。

三人は並んで食べ物を買い、混んだ食卓についた。

別段空腹でもなかったのに、あたりのうまそうな匂いを嗅いでいたらお腹が空いてきた。

かといって、この国の食べ物を買う金など、アークが持つはずもない。

こんな形でサエリの前に表れるのも体裁が悪い。

アークは仕方なく外に出た。

いったん帰ることも考えたが、べつに急くこともない。帰ろうと思えばいつでも帰れるのだ。

そうなれば、なるべく人影のないところへ行って時間を潰すしかないだろう。

庭はかなり広かった。

ところどころで弁当を広げて談笑しているグループがいる。

アークはブラブラ歩き、閑散とした場所を見つけて座り込んだ。

そしてようやく姿を現す。

幻の技は不思議と魔力を消費しない。

それでも淡い霧を身にまとっているようで、身体の動きにまとわりつく感じがあまり好きではなかった。

ため息をついて両手を後方につき、身体を支える。

閑散としているだけあって、見るほどの景色ではないが、植物はどれも彼には珍しい。

アークは葉の一つをじっと眺めていたが、人の気配を感じて顔を上げた。

また変な女達が絡んできたのかと思ったのだが…

なんだ、あの男か…

サエリとともにいた男だ。

男はアークに気を向けず、彼の五メートルほど離れた場所に腰を据えた。

バッグの中から大きな包みを取りだしてため息をつくと、ぽんと芝の上にそれを投げてごろりと横たわった。

その時、アークの存在に気づいたらしい。

男はハッとして身を起こした。

素早い身のこなしだと、おかしな所で感心する。

男はためらいがちにアークに向かって頭を下げた。

アークは戸惑ったが、同じように頭を下げた。

「他に人がいるとは思わなかったから、驚いたな」

照れたような笑顔を見せる。

好意的に出られると、不本意だが、敵意など見せられない。

「ここの学生ですか? あ、言葉は、わかりますか?」

ここの住人は、彼を見ると必ずと言っていいほどそう質問してくる。

やはり彼の姿は、この国では異質に映るのだろう。

「言葉はわかるさ。私はここの学生ではない」

アークは律儀に答えた。

「ああ、それじゃ英語の講師の方ですか?」

エイゴの講師?

アークは首を振って否定した。

男はほんのわずか戸惑いを見せたが、結局のところアークの正体などに興味はないらしく、ふーんと意味不明に呟き、手元の包みを持ち上げてまた下ろした。

その動作にも、なんら意味はなかったようだ。

「それは、弁当だろう? 食べないのか? 私がいて迷惑なら席を外すが」

「別に、迷惑なんてことありませんよ。この最近、食欲がなくて…」

男は渋い顔で唇を突き出し、そして引っ込めた。

「残して帰ると母親ががっかりするから、なんとか空っぽにしてかなくちゃならないんだけど。捨てるのも良心が痛むんだよな。ここ一週間くらい牧田の奴に食わせてたけど、あいつ今日は昼からしか出てこないから」

アークに話しているというより、どうやら独り言のようだった。

彼は肩を竦めて立ち上がった。

これ以上、この男と一緒にいてもしょうがない。

「あなた、昼飯はもう食べたんですか? よかったら、これどうです」

アークは眉間にしわを寄せて、首を横に振った。

この男から食べ物を恵んで貰う気はさらさらない。

スタスタと歩き去るアークの後ろで「そうですか」と、男の覇気のない呟きが聞こえた。






   
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