白銀の風 アーク


第一章
第五話 幸言の必要性



「私は何故、最初にマリアナを訪れたんだろう? 次はキラタだった。そして最後が君だ」

「その順番は必要なことだっただろうと思うけど。ところで、あそこに君を歓迎する一団が現れたぞ」

進行方向に目を向けたジェライドが急ににやつきだした。

ジェライドの視線の方向に目を向けたアークは、げんなりした。

「私は興味が無い」

言ってからアークはジェライドを睨んだ。彼がおかしそうに口を歪めたからだ。

「彼女達は、とんでもなく君に興味がありそうだけどな」

長い通廊が終わり、これから出口へと続く広間に入るところだ。

首都シャラダムの象徴、シャラの木を模した丸天井からは光が斜めに差し込み、色とりどりの光線を放って光の輪を床に落としている。

宮殿内へ入るには、全てこの広間から続く七つの通廊を通ってしか入れないようになっていて、各通廊の入り口では聖騎士が守りを務めている。

彼らとは違う通廊の入り口辺りに五、六人の着飾った娘がいた。

中の一人二人にはアークも覚えがある。

彼の視線を受けて娘達の輪から慎ましやかにだが歓声が上がり、全員の顔が一斉に気色ばった。

うんざりだ。

アークは足を早めて広間を一直線に突っ切った。

ジェライドが導く出入り口から外に出ようとしたところで、ずいぶんと大柄な男が入ってきた。
男はアークとジェライドを見て腰をかがめ、頭を下げた。

「やあ、セサラサー」

アークの呼びかけに、男は下げた頭をむんと突き上げ、アークに凄んできた。
そして、ごつい声で呻るような声を上げた。

「俺はセザだ…です。お忘れですか。アーク…様」

相当の努力の末に、彼はアークの名前に様をつけた。

この男セサラサーは、風体に似合わぬ自分の名を嫌い、勝手にセザと名乗っている。

つい一ヶ月前まで彼は魔剣士だった。
いずれ聖騎士となるのが彼の望みだったものを、哀しいかな、今は、賢者の修業者の仲間入りをしている。

彼はどうみても騎士が似合いの風貌で、さらに剣士としての力量も十分、聖騎士になるのは当然と目されてきた。

ところが、聖騎士の称号を得る段階で、彼にとってはあるはずのなかった、またあっても欲しくない、風の魔力が微力ながらあることがわかったのだ。

そんなわけで、彼の望みは無常にも断ち切られてしまった。

全ての魔力を持つものは、否応なく賢者としての道を歩まねばならぬのがこの世の定め。

どんなにか断腸の思いだったろうと察せられるが、剛気なセサラサーは、憤りを無理に抑え込み、憮然とした面もちながら、ここ一ヶ月賢者の修練を積んでいるところ、の筈なのだ。

「修練は、どんなだ?」

セサラサーを気遣って問い掛けたアークは思わず身を引いた。

しっかりと結んだ口を、セサラサーが怒り顔でうごめかしたからだ。

ずいぶん恐ろしい形相だった。
だが彼は、憤激たるありさまの顔をあっさりと引っ込め、にやりと笑うと落ち着いた声でこう答えた。

「修練。いやはや、そんなものもありましたか?」

上目越しに考える振りをし、「俺は、無駄なことはしない主義なんですよ」と言い及び、そして身長差から、上からふたりを見下ろしてきた。

そんなセサラサーを見上げて、ジェライドが話しかけた。

「セサラサー…もといセザ。君はなすべきことをすればいいんだよ」

「なすべきこととは?」

皮肉のこもった、けれどどこか縋るような目つきで、セサラサーはジェライドを見つめ返してきた。

「うーん、そうだなぁ」

答えを求められたジェライドは、唇を噛んでセサラサーの瞳をじっと覗き込んだ。

「まあ…」

セサラサーは一縷の望みを託すように、ジェライドの顔を見つめている。

ジェライドは嘆息し、ひどく真面目な顔でセサラサーを見返した。

「幸言を聞くかい」

そのさりげなく口にされた言葉に、アークはひどく驚いた。

セサラサーも幸言と聞いていったんは驚いたようだが、その表情に明るい希望の光がさした。

神妙にこくりと頷いたセサラサーは、息を詰めてジェライドの言葉を待った。

ごにょごにょと何かしら呟いたジェライドは、セサラサーの額に焦点を当てた。

ジェライドのターコイズ色の瞳が一瞬金に光る。

額に何か感じたらしく、セサラサーは耐えるかのように、頬をヒクヒクと動かした。

ジェライドの顔が目も露わに青ざめた。

よろけた彼の細い身体を、アークより一瞬早く、セサラサーが受け止めた。

ジェライドはセサラサーに凭れたまま、しばらくの間、目を閉じてじっとしていた。

アークは眉を寄せてその光景を見ていた。

確かに幸言は魔力をとんでもなく消費するものらしいが、ジェライドがこんな風に、魔力を使い過ぎて倒れる様など見たこともないし、そんなことなどありそうもないと思っていた。

ジェライドはしばらくして、セサラサーから身を離し、やっと口を開いた。

「書庫に行くことです、宮殿内の。あそこで…」

ジェライドは、また口ごもった。

そして大きく息を吸い込み、ごくりと唾を飲み込んだ。

「あそこで、君の欲する物が見つかるだろう。調べ上げることだ。隅から隅まで。それが…君を…救う手だてとなる」

セサラサーは晴れ晴れとした顔になり、ジェライドに深々と頭を下げて礼を言った。

これまで幸言など授かったことのないセサラサーには、今の事態がただごとではないなど思いもしないようだった。

幸言は、予知の一種だが、相当の魔力を消耗する技だ。

予知はただ未来を見るだけ、だが幸言は、未来を見据えた上で、相手にとって最良の道を探るのだ。

予知者は世にいくらでも存在するが、幸言を導き出せるほどの能力者はそんなにいないし、信用できる幸言を導き出せる予知者は、この国にも片手ほどしかいないだろう。
そのうちの三人は、アークの知人なわけだ。

セサラサーとは対称的な萎えた顔で、ジェライドは礼の言葉を無言の笑みで受け取った。

セサラサーは繰り返し礼を言い、その足でまっすぐ向かうつもりか、書庫へと通ずる回廊へと歩いていった。

彼を見送ったふたりは、宮殿の外へとゆっくり歩いて行った。

「大丈夫か?」

「…ああ。この先で…少し休むかな」

アークは頷き、ジェライドを気遣いさらに歩みを遅くした。

宮殿の正面の出入り口は、だだっ広い庭が南門まで続いているだけの殺風景さだが、彼らが選んだ出入り口の庭は、青々とした木々が植わり、そのところどころには、椅子やあずまや様のものもあちらこちらに設置されている。

ジェライドは、しばらくその一つに腰掛けて身体を休めた。

「何を見た?」

「…予見について学ばなんだか、小僧」

アークはぎっとジェライドを睨み据えた。

ジェライドの透視に長けたことといったら。まったく、いまいましいったらない。

まだ青い顔で、クククッとおかしそうに笑っている友を見て、アークは不服そうに口を結んだものの、ほっとした。

先ほどのセサラサーとのやりとりでジェライドが見たものを、どうにかして聞き出したかったが、予知者のジェライドが口をつぐんでいる以上、どう探りを入れても洩らしはしまい。

少し身体が楽になったのか、ジェライドは腰を上げて歩き始めた。

「もういいのか?」

「こんなところでいつまでも休んでいられないよ。やることがあるんだから」

アークは何も言わず、彼に従った。

まだまだ消耗しているジェライドの身体を支えてやりたいところだが、彼は拒否するだろう。

口さがなく冗談を言い合える仲であり、心から友としての情を交わし合っているふたりだが、人目のある場で、聖なる血筋のアークが、自分の供人であるジェライドの身体を支えてやるなど、あってはならない行為である。

かえってジェライドに迷惑を掛けることになりかねないし、ジェライド自身もけして受け入れないだろう。

こんな時、アークは心のままに行動出来ない自分の身分が心底嫌になる。


宮殿の東門から出ると、何故か女性の群があちらこちらにあり、さざめき合っていた。

「なんだ、どうしてこんなに女ばかり集まってるんだ。ジェライド、今日はここで何かあるのか?」

怪訝な顔で尋ねたアークに、ジェライドは失笑した。

「君の登場を待ってたのさ。さっき宮殿の中にもいたろ」

「私?」

「町の予見者からでも、君がここから出て来るのを知ったんじゃないのか。君が町中に現れるのは久しぶりだし…」

「私は見世物じゃない!」

「アーク」

むっとしてテレポの玉を使おうとポケットに手を突っ込んだアークだったが、ジェライドからやんわり止められた。

「駄目だよ。ほら、向こう」

ジェライドの指さした方向に目を向けると、数人の聖騎士と共に、ルィランがやってくる。

「ルィランに用があるのか?」

「ああ、彼は私たちと行く」

「いったいどこに行くと言うんだ?」

「まあまあ」

ジェライドは楽しげにアークの問いをかわし、歩を進めてルィランの側へと近づいた。

「やあ、ルィラン」

ジェライドに向けて微かに頷いたルィランは、アークに片膝を折って頭を下げてきた。

一緒にいた聖騎士の連中はすでに頭を下げていた。

「アーク様。珍しく、女性の群とともに、お散歩しておいでですか?」

聖騎士の挨拶をすませたルィランは、わざとらしく丁寧に言い、笑いに口を歪めた。

「嫌な奴だな…」

「なんと! 私の言葉の選択に、誤りがございましたか?」

「誤りだらけだろ」

「これは失礼を…アーク様を侮辱するつもりなど…」

「聞いてる方が馬鹿馬鹿しいよ。ふたりとも早く行こう」

ふたりに向かって呆れたように言い、ジェライドはさっさと歩き出した。

「ジェライド、私もか?」

「当然でしょ。そのためにここで会ったんだからね」

アークはルィランと顔を見合わせ、どんどん歩いて行くジェライドの後ろ姿に眉を上げ、同時に肩を竦めた。

ルィランが連れの聖騎士に言葉をかけている間に、アークはジェライドと肩を並べた。

「ジェライド、いい加減どこに行くのか教えろ?」

「ついてくれば分かるよ」

答えをはぐらかされて眉をしかめていると、ルィランが駆け足で追いついて来た。

女達の群もさざめきながらぞろぞろとついて来ていたが、警備兵たちがいるので困るほどには近寄って来ない。

「何処へ?」

ルィランの問いにアークは無言でジェライドを指さしたが、ルィランはジェライドに問うなどというような、無駄なことはしなかった。

彼らの向かう方向には、アークの家がある。

聖なる館と呼ばれる聖賢者の住まいだ。

どうやらそこが、彼らの目的地のようだった。






   
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