白銀の風 アーク

第六章

第十一話 身から出た錆



澄み切った水の中を光魔法で照らしながら、アークは水底に目を凝らした。

五メートルほど離れた場所にはルィランが見える。周りを照らすのに、彼は灯りの玉を使っているようだ。

ジェライドはアークの後方にいるようだった。
後方から明るい光が差してくる。

こちらの光源は杖なのだろう、周囲を広範囲に渡って明るく照らしている。

泳いでいたアークは、不意に重力を感じ、それとともに水底に両手足をついた。

「余計なことだったかい?」

苦笑混じりにそんなことを言ったのは、ジェライドだ。

「突然すぎるぞ。驚くじゃないか?」

ジェライドは、水の中にドームを作り出していた。

ドームは徐々に前へと伸びてゆき、水の中からこちらを怪訝そうに見ているルィランの身体を飲み込む。

すでにことに気づいていたルィランは、アークのように無様に両手足をつくことなく、うまい具合に足をつけ、身体を立てた。

「ジェライド、凄いことができるもんだな?」

自分が入り込んでいる水の壁に囲まれたドームを見て、ルィランはくすくす笑う。

「水圧はそうとうのものだけど、シールドを使えばけっこう簡単だよ。やろうと思えば君でもできるさ」

ジェライドはルィランに向けて言ったが、やろうと思わなかったアークはいささか面白くなかった。

「そうか? どうやってやるのか、私には見当もつかないが」

いくぶん疑わしげに自分を取り巻いている空洞を眺めながら、ルィランは言う。

「私は賢者だからね。賢者は防御の魔法の習得が必須だから、飽きるほどやらされてきたんだ。うまくもなるよ。要は練習だよ」

ルィランは「練習ねぇ」と言いつつ、ドームの壁に手を差し伸べてゆく。

「触るな!」

ジェライドの性急な叫びに、ルィランは慌てて手を引っ込めた。

「ジェライド、心臓が跳ねたぞ」

「ごめん。でも、ほんの少しでも触れてしまうと、均整が崩れてしまうかもしれない。そうなったら、大量の水に襲われることになるよ」

「わかった。気をつけよう」

「あと、空気の心配も無用だよ。ちゃんとてっぺんに穴を開けておいた」

空を指すジェライドに、アークは視線を上に向けた。

確かにドームのてっぺんは水面の上のようだ。

「さあ、探し物にかかるとしよう。記憶では、沈没したのは…」

アークはそう口にしつつ、前髪から滴ってくる水滴を手で払い落とした。

ルィランも同じように髪の雫を落としている。

だがジェライドは、飛び込んだときから自分の全身をシールドしていたらしく、ずぶ濡れのアークやルィランと違って、袖の片端すらも濡れていない。

アークとルィランは、ドームを操っているジェライドの動きに合わせ、ゆっくりと水底を移動していった。


「ほら、あったぞ」

ルィランが指しているほうへ、アークは目を向けた。

「そうだな。これに間違いない」

小舟はかなり壊れていたものの、まだ舟とわかるだけの姿を保っていた。

アークはルィランと、舟として原型を保っている両端をそれぞれ掴み、ゆっくりと持ち上げたが、その途端、舟はばらばらになった。

舟の残骸の中を探してみたが、指輪の箱はみつからなかった。

やはり、泥の中に埋まっているのだろうか?

ドームを維持しているジェライドは、泥をかきわけての宝探しには参加できず、アークはルィランと頭をつき合わせて泥の中を探った。

「ないなぁ」

かなり深くまで掘ってみたが、指輪の箱らしきものは出てこない。

「やっぱり、箱が脆くなって壊れたんじゃないか?」

渋い顔をしつつアークは言った。

もしそうだとすると、小さな指輪を、この泥の中から探さなければならないことになる。

「たぶんそれはないよ」

アークは自分の後ろにいるジェライドに顔を向けた。

それが本当なら、いいのだが…

「だが、箱の中はどうしたってボロボロだろう? 水の中に沈んでいたんじゃ、水が箱の中に浸透していないわけが無い。それとも防水になってるのか?」

「さあどうだろう。でも、その可能性は低いかもしれないなぁ。水の中に水没させることを前提に魔力がかけてあるとは、さすがに思えない…。普通は、家の中に置いてるだけだろうし…」

「わからないだろ。屋根が雨漏りすることだってある」

「水没と雨漏りじゃ、比べる方が無理ってもんだと思うけど…。ともかく、箱は壊れたりしないはずだよ。水の中にあったとしても、指輪が錆付いたりすることもないと思う。きっと、そのままの状態なはずだよ」

「そうは言ってもな…」

どのみち、ろくでもない指輪なのだ。
それは作った本人が、痛いほど知っている事実…

いっそのこと、錆びて壊れていてくれた方が、いいような気がする。

そうなった場合、作り直しをさせてもらえる可能性が…

「アーク、手が止まってるぞ。ぼーっとしてないで手を動かせ」

ずっと休まず、指輪を探し続けてくれていたルィランから小言を食らい、アークは気まずく頷き、探索を再会した。


舟の残骸があるあたりすべてを掘り返してみたというのに、指輪の箱は見つからなかった。

「アーク、どうする?」

ルィランから問われ、アークは困り果てた。

どうすると言われても…

「サエリ様が気になるんだろう? もう夜も遅いし、明日にするかい?」

アークは眉間を寄せ、考え込んだ末に頷いた。

確かにサエリが気にかかる。
もう目覚めているのではないだろうか?

「それじゃ。ふたりとも浮遊の技で浮き上がってくれるかい。シールドを解くよ」

アークはルィランの腕を取り、彼を連れて浮かび上がった。

「浮遊の技、もっとしっかり、練習しておくべきのようだな」

アークの手を借りていることが落ち着かないのか、ルィランは顔をしかめて言う。


岸辺に立ち、元通りになった水面を見つめ、アークはため息をついた。

「ふたりとも、早くお風呂に入った方がいいよ。いつまでもそのままじゃ、風邪を引くよ」

ジェライドから言われ、アークはルィランに向き直った。

「ルィラン、付き合ってくれてありがとう」

「いや。役に立てなくてすまなかったな。 明日も探すなら、公務を休んで手伝わせてもらうよ」

「助かるよ。その時は、ルィラン頼む」

「ああ。アーク、元気を出せ。きっと見つかるさ」

肩を叩きながら気掛かりそうに言われ、アークは照れくささに顔をしかめつつ、困った笑みを浮かべた。

「ルィラン、お詫びに、直接君の部屋の風呂場に送ってあげるよ。君のテレポじゃ、微妙だろうからね」

「ああ、助かる」

頷いたルィランは、次の瞬間もういなかった。

「相変わらず、やることが早いな。ジェライド」

ジェライドに話かけたアークは、誰かから、唐突に肩を掴まれ、ぎょっとして振り返った。

マリアナの兄である、ライドだった。

「ラ、ライド。こんな夜に、何故君がこんなところに?」

「それはこちらの台詞だよ。アーク、それにジェライド。それにしても、アーク、君のその姿は? まさか、この時期に泳いだのかい?」

ずぶぬれのアークは、気まずく自分の姿を見下ろした。

「実はちょっと捜し物を…。アーク、そろそろ戻りましょうか?」

「だな」

さっさと退散しようと、急いでテレポしようとしたアークだったが、ライドに腕をつかまれた。

無視して飛ぶことはできるが、さすがにそれは無礼なことだ。

「ふたりとも、ちょっと待てよ。いったい何を捜しているんだ?」

気のせいか、ライドの口許がヒクヒクと痙攣しているような気がする。

…勘ぐりすぎだろうか?

「君こそ、なぜここに来たんだ」

突然ライドは声を上げて笑い出した。

その笑い声に女性の笑い声が混じる。声に向くと、マリアナがいた。

「まあっ、アーク様ってば、すてきな格好ね。殿方というのはときおり、女には不可解な行動をなさるものなのねぇ」

彼女のからかいにむっとしたものの、言い返す言葉がない。

「すでに知っているんだろ? わざわざふたりして見物にきたのかい? からかうつもりで来ただけならもう用事は済んだだろう。さっさと消えてくれないか」

「あら、そう? あなた方の欲しがっている物のありかを教えて差し上げようと、この夜中にわざわざ出向いて来たというのに…。追い払われるとは思いもしなかったわ。ねえ、兄様?」

「ふむ。邪魔だと言うなら、帰るさ」

ライドはわざとらしく笑い、マリアナとともにぱっと消えた。

「それって指輪のことか!」

出遅れたアークの言葉は宙に浮いた。

すぐさまふたりの後を追おうとしたアークだったが、ジェライドから腕を掴まれ、引き止められた。

「アーク、ありかはわかったも同然だ。ここはひとまず帰ろうよ。それに、君はずぶぬれなんだよ。そのまま彼らの家に飛ぶのはまずいよ」

確かに、ジェライドの言うとおりだ。

「明日、時間を見つけて、彼らに会いに行くとしよう」

アークが頷いた瞬間、彼の身体は自分の風呂場の中にいた。

「アーク」

浴室のドアの向うから、ジェライドの声が聞こえてきた。

「着替えを持ってきます。ようく身体を温めるんですよ」

「ああ。頼む」

ジェライドに返事をしたアークは、泥で汚れた服をその場ですべて脱ぎ捨て、滝のように上から水が落ちているほうへ歩いてゆき、頭から水を被った。


温かな湯に浸かり、ようやく人心地のついたアークは、ライドとマリアナのふたりに対して、ぶつぶつと罵りの言葉を吐いていた。

あのふたりは、彼が指輪を捜して右往左往しているのを知っていたのだ。

いや、泥にまみれて池の底をさぐっていたのすら面白がって見ていたのかも知れない。

そう考えて腹立ちが募ったが、文句を言えた立場ではなかったと思い直した。

からかいの言葉はいただけないとしても、とどのつまり、ふたりはいい知らせを持って来てくれたのだ。

以前、ライドに対して、ジェライドとアークが面白がってやらかした悪戯を考えれば、このくらいのこと、取るに足らないことかもしれない。

つまりは、身から出た錆。

湯船につかったまま、アークは声にして笑い出した。

なんとも自分の無様さがおかしくてならなかった。

さて、さっさと風呂から上がり、サエリの元にゆかなければ…






   
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