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第五話 謎の玉
沙絵莉は、心を決め、背筋を伸ばしてサリスと向き直った。
「あの…」
言葉を口にしようとして、躊躇いが湧き、沙絵莉は口ごもった。
「なあに、サエリ?」
温かなサリスの微笑みを見つめ、沙絵莉はぎゅっと目を閉じてから息を吸い、なんとか言葉を口にしようとした。
「あの…。あの方って…あ、あの…、その…」
「あの方?」
「む、紫の髪の…ひと…」
「ああ、ジェライドね」
「は、はい」
頷いた沙絵莉は、このあと、なんと質問しようかと迷った。
あの女性は、アークの友達なのですか?
親戚のひとですか?
幼馴染とかですか?
アークの恋人でなければ、もうなんでもいいのだが、それを気にしているのだとアークの母に気づかれるのが恥ずかしくて、どの質問も口にしづらい。
サリスは、沙絵莉の言葉を待っているというのに…
ど、どうしよう?
「サエリ? 彼がどうかして? ああ、もしかして、彼は何者かと聞きたいのかしら?」
沙絵莉は眉をひそめた。
いま、アークの母は、“彼”と言わなかったか?
「あの…彼って…あの方は…紫の髪の…もちろん女性ですよね?」
「いいえ。ジェライドは女性ではないわ」
沙絵莉は目を丸くして、サリスを見つめた。
どう考えても、あのひとは、男性には見えなかったのに…だが、アークの母が嘘をつくはずはない。
ということは…本当に男性?
現実を受け入れられず、ちょっと眩暈を感じた。
「サエリ、大丈夫?」
「す、すみません。あの方のこと、女性としか思えなくて…」
沙絵莉の反応に、サリスはくすくす笑い出した。
「確かにね。外見は女性と間違えられやすい容貌ね。中身は男性そのものなのだけど。ジェライドは賢者なの。賢者は知っているかしら?」
…賢者?
魔法世界の秀でたひとってこと?
それって、かなり凄いひとってことじゃないだろうか?
魔法使いと賢者って、やっぱり、賢者の方が上よね?
アークのお父さんが魔法使い、アークは魔法使いの弟子、あの紫色の髪の外見女性のような男性は、賢者。
つまり、一番格が上ってこと?
あっ、でも、あのひとは、アークのお父さんを出迎えるとき…わざわざ膝を床につけて、頭を下げて出迎えてた…それって?
この世界の賢者って、それほど偉くないってこと?
考え込んでいた沙絵莉は、自分を見つめているサリスの眼差しに気づき、慌てた。
「すみません。あの、わかるようなわからないような…」
さんざん考え込んでいたというのに、こんなあやふやなことを言っている自分に、沙絵莉は赤くなった。
「私も同じだったのよ、サエリ。私も生まれた土地には賢者なんていなかったもの」
「そうなんですか?」
一瞬アークの母に親近感を覚えたものの、それでもアークの母だって魔法は日常のものだったはずだ。
自分とは根本的に違うだろう。
「この国のことは、これから少しずつ覚えてゆけばいいわ」
「は、はい」
それにしても、あのひとのことを女性だと思って、ずいぶんと大きな焼き餅を焼いてしまったものだ。
『君は、私が他の女と親しげに話していても平気でいられるのか?』
頭の中にアークの声が響き、沙絵莉は小さく笑った。
とても平気では、いられなかったわ…
「サエリ?」
頬を桃色に染めたまま、沙絵莉はサリスに微笑み、大きくかぶりを振った。
「やっと微笑んでくれましたね」
「アークのお母様。あの、ごめんなさい。わたし…」
照れつつジェライドというひとを女性だと思っていたのだと告白しようとしたのだが、どうしてかサリスは焦ったように、沙絵莉の手をぎゅっと握り締めてきた。
「サエリ、今夜のところは、ともかくここで休んでほしいの。身体はまだ万全ではないし…アークも、まだ魔力が回復したばかりで…」
「ああ、そうでした。私のせいで、アークは倒れてしまったんですよね?」
「ええ。あなたの怪我が酷くて、癒しの力を使いすぎて…」
「も、もう大丈夫なんですよね?」
「もちろん大丈夫なのよ。それでも回復したばかりだから、無理はさせられないの。だから…」
「わかりました。アークが本当に大丈夫になるまで…。あの、私、ここでお世話になっていいんですか?」
「もちろんだわ。ずっといてくれてもいいくらいよ」
歓迎を込めて言われ、沙絵莉はほっとした。
この世界に、ほかに身寄りなどないのだ。ここよりほかに行くところはない。
「アークには迷惑をかけてしまって…。本当にすみませんでした」
「謝ることはないわ。アークはもっと冷静に対処するべきだったの。あなたのせいではないわ」
そうなのだろうか?
「そろそろ、アークを呼んであげたいけど…? サエリ、いいかしら?」
「ああ、はい」
そうだ。由美香と泰美のこともアークに聞いてみなければ。
私が階段から落ちたところを、あのふたりは間違いなく見ている。
アークはここに私を連れて来る前に、ふたりと話したのかしら?
いったい、どういうことになったのか、早く彼に聞きたい。
まさか、何も言わずにふたりの前から姿を消したなんてこと?
ありそうな気もする…。
沙絵莉は気が落ち着かなくなった。
もしそんな風に飛んできたとすれば、あのふたりは?
大パニックに陥っているはず。沙絵莉が観も知らぬ男性が現れて、大怪我をしたサエリとともに消えただなんて…
ま、まさか、今頃大騒ぎになってたり?
両親にまで話が飛び火してたりは?
青くなった沙絵莉は、おろおろと瞳を揺らした。
「アークのお母様。私、アークに聞かなくちゃいけないことがあるんです。彼はどこに…」
「ジェライドと一緒に、自分の部屋にいると思いますよ」
そう言ったサリスは、どこかから玉を取り出した。
通信の玉だろうか?
沙絵莉がアークにもらったものとは色が違う。こちらは青い玉だ。
指につまんだ玉に向けて、サリスが「アーク」と囁きかけた。
二秒ほどの間のあと、アークが目の前に現れた。
その早さに、玉を手に持ったままのサリスが笑い声をたてた。
「…呼びましたよね?」
現れたアークは、母に向けて気まずそうに言い、沙絵莉に目を向けてきた。
「ええ、サエリが話があるそうよ」
沙絵莉の様子を窺うようにしながら、アークは近付いてくる。
さきほど手を払われたことを気に病んでいるのだろうと思えた。
沙絵莉は、アークに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
まったく、見当違いな嫉妬にかられて、彼に悪いことをしてしまった。
「あの、さっきはごめんなさい、アーク」
沙絵莉は、おずおずと口にして、目を伏せた。
恥ずかしすぎて視線が合わせられない。
「き、気にしてなどいないさ」
いくぶん無理をしているようなアークの返事に、沙絵莉は顔を上げて彼と見詰め合った。
アークはほっとしたような色を浮かべている。
その彼が手にしているものに気づき、沙絵莉は目を瞬いた。
これは? 透明な玉だけど、ずいぶんと大きい…
「アーク、あの、それはなんなの?」
「えっ? あ、あっ!」
沙絵莉の指摘に、アークは大慌てで大きな玉を背中に隠した。
「アーク? 私も聞きたいわ、それはいったいなんなのです?」
「い、いえ。別になんでもありませんよ」
「あら、別になんでもないことはないような気がしたけれど…どこかで見たことのある…」
「母上!」
「大事になさいと、あれほど言って置いたのに…」
「母上…」
情けない声を出し、アークは気まずそうに沙絵莉に目を向けてくる。
その玉はなんなのか、気にならないではないが、そんなことより由美香と泰美のことだ。
「ねえ、アーク。あなたは、いつ怪我をした私のところにやってきたの?」
「いつと言われても…君が地面に倒れていて、君の側にふたりの女が屈み込んでいたから…」
「私の友達の由美香と泰美よ。彼女たちとは何か話した?」
「いや。何も話してはいない」
「それじゃ、どうやって私をここに?」
「私は君が倒れているのを見て、すぐさま駆け寄った。それで…まあ、君の友達ふたりは、いささか邪魔で…」
アークは、言いにくそうに口ごもってしまった。
「それで、どうしたの?」
続きを早く聞きたい沙絵莉は、催促した。
「つまり…どいてもらえそうになかったから…突き飛ばした…かもしれない」
「まあっ! あなた、泰美と由美香を突き飛ばしたの? そ、それで謝ったの?」
「いやそれが、君の状態があまりにひどくて、すぐに癒しを施して、こちらに飛んできたんだ。ただ、騒ぎになってはまずいと思って、直前の記憶は封じてきた」
き、記憶を封じた?
沙絵莉は目を丸くした。
「あなた、凄いことが出来るのね」
だが、それだと、どういうことになるのだろう?
由美香と泰美は沙絵莉が怪我をした記憶を封じられているから、彼女がいなくなっても心配はしていないということ?
つまり、誰も大騒ぎはしていないということなのか?
そう考えて、沙絵莉はほっと胸を撫で下ろした。
ともかく、今夜のところは彼女が戻らなくても大丈夫そうだ。
「アーク、明日には帰れるかしら? 明日になったら、私の世界に送ってくれる?」
「私の魔力はかなり回復しているから、君を送ることはできると思う。だが…」
「アーク?」
「君に施した癒しの技は、傷を治すのに比例して体力を消耗するんだ。いま、疲労感がないかい?」
言われて、沙絵莉は頷くしかなかった。
アークの母や彼と話している間に、身体が重くだるくなってきているのは確かだ。
「傷が深ければ深いほど、癒しの反動で体力は著しく低下する。いま元気だと感じても、君はまだ完治しているわけではない。無理をして君の国に帰ったりしたら、癒しが災いに転じる結果になるだろう」
「そ、そうなの?」
「少なくとも三日は安静にしていた方が言い。できれば一週間」
「そ、そんなにはいられないわ。学校もあるし…」
「ともかく今夜のところは、ここで休んでくれるね?」
「ええ、今夜は」
沙絵莉の返事に、アークは安堵を滲ませて微笑んだ。
「アーク、これは取り出せるのでしょうね?」
いつの間にやら、アークの背後にサリスが回り、彼が背中に隠しているものを見つめていた。
アークは、母親の目から玉を隠そうと、横を向いたが、その方向だと沙絵莉の目にも玉が見えた。
取り出せるとサリスは言ったが、玉の中身をということだろうか?
透明な玉の中の真ん中には、何か箱のようなものが入っているみたいだった。
「アーク、その箱はなんなの?」
彼女の問いにアークは顔を引きつらせ、その次の瞬間、姿が消えた。
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