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第十話 触れられたくない話題
ひたひたにお湯をたたえている湯船に歩み寄り、ひざをついてしゃがみ込み、沙絵莉は右手をお湯に差し入れてみた。
ちょうどいい温度だ。
それに、お湯がとてもやさしい感じ。
まるで温泉みたいだ。この広さったら…
沙絵莉は風呂場をもう一度眺め回して、くすくす笑い、湯船に入った。
そして、そのまま湯船の反対側まで進んでいった。
「はあっ、気持ちいい」
両手で水面のお湯をすくい、沙絵莉は至福の気分でゆっくりと後に向いた。
広々とした水面…淡い光にキラキラと光って見える。
壁面ではお湯が流れ落ちているし、部屋の中にいると思えない。
「なんか、このお風呂、泳げちゃいそうだけど…泳いじゃっていいのかしら?」
沙絵莉は悪戯な笑みを浮かべ、両手を差し伸べて身体を浮かした。
お風呂の中を泳ぎまわった沙絵莉は、少し息を切らせ、笑いながら足をつけた。
面白かった。明日家に帰る前に、もう一度入らせてもらえるかしら?
アークときたら、まさかこんなお風呂のある家に住んでるなんて…
でも、案外、この世界ではこれが一般的なのかもしれない。
彼の父親は魔法使いで、アークはその弟子をしてる。
テレポーテーションのできる能力を持った彼は、色んな世界を飛び回ってて…
国交なんてものも、してるって言っていた。
彼女の世界は魔法の世界じゃないから国交は結べないけど…
アークの世界のように魔法が使える世界はいっぱいあるらしい。
もしかすると、魔法の使えない世界の方が少数だったりするんだろうか?
沙絵莉は、湯船の中に、表面が丸い石があるのに気づき、歩み寄った。
よく見れば、あちこちにこの丸い石があるし、てっぺんは、お尻を据えるのにちょうどいい具合のくぼみになっている。
これって、腰を据えるためのもののようだ。
沙絵莉はなんとなく周りを見回しつつ、その石に腰かけてみた。
わあっ、いい感じだ。
両足を動かしてお湯を感じつつ、沙絵莉はまた考え込んだ。
花の祭りのときに、たくさんのひとたちを見たけど、それぞれの持っている能力はまちまちのようだった。
アークは、テレポーテーションと、癒しの技と、幻が少し使えるらしい。
どの魔法ももちろん凄いなと思うけど…もっと、ド派手な魔法が使えたら面白かったのに。
アークのお父さんは、いったいどんな魔法が使えるんだろうか?
魔法使いなんだものね。もっと色々なことができるのかもしれない。
たとえば…
見世物小屋でのことを思い出し、沙絵莉は考え込んだ。
念力で物を持ち上げたりとか。
しかし、魔法使いって、この世界でどんな職種なのだろうか?
仕事にならなきゃ、やってられないだろうし…
あっ、わかったかも。
きっと、魔法を教えてるんだ。
魔法学校の教師。
沙絵莉は、貫禄のあったアークの父を頭に思い浮かべ、ひとり納得して頷いた。
「サエリの身体には、魔力の核が存在していなかった。そのことに、アーク、お前は気づいていたか?」
真顔で問いかけられ、アークは眉をひそめた。
「魔力の核が…?」
「ああ。そのせいで、治癒者たちの技で注ぎ込まれる癒しも、意味を成さず……」
「父上、ちょっと待ってください。魔力の核がなければ、人は生きられない」
「そうだな。我々にとっては…。だが、サエリは現実として核を持つことなく生きていた」
「そんな…確かにサエリの国の種族は、魔法を使えません。が、身体に流れる魔力は微量ながら感じました。それは核が存在している証でしょう?」
「核はない。だが魔力は持つ」
確信を持った父の言葉に、アークは顔をしかめた。
「核が無いのであれば、どこで魔力を作り出しているというんです?」
「それは特定できなかった」
父の言葉に、アークは眉を寄せた。特定できなかったということは、特定しようとしたと言っているのか?
「父上?」
「本題に入ろう」
「本題? ちょっと待ってください。特定しようとしたとは、誰が? マラドスですか?」
「私とポンテルスだ」
カーリアン国の、もっとも偉大な大賢者と聖賢者のふたりが?
それでも、魔力をどうやって作り出しているか、特定できなかった…?
「生命体として、サエリの国の者は、我らとは異質なのだろう」
どうやら、そう考えるしかないらしい。
「アーク、本題に入ってもよいか? サエリが風呂から上がる前に話しを終えたいのだが…」
「あ、はい。わかりました。続けてください」
「うむ。魔力の核がないために、施す癒しの技はまったく意味を成さなかった。注ぎ込んだ癒しをサエリの身体は魔力とともに外へと流してしまうのだ」
「流して? 彼女の魔力は微量なものです。高度な技を持つ治癒者たちの癒しが、流されるなんて、ありえるはずが?」
「その常識は、サエリの場合当てはまらない。それと、お前はサエリの身体に流れている魔力は微量なものと言っているが、それは間違いだ」
「間違い? ですが…」
「作り出された魔力を、全身から放出し続けている。いったいどれだけの魔力を生成しているのか…」
「父上、それでどうしたんです? いまサエリは癒しを施され、元気になっています。マラドスは、いったいどんな治療を、サエリに」
「それは、私とポンテルスで行った」
「行った? いったい何を?」
「魔力の核を作ったのさ」
父の言葉がすぐに飲み込めず、アークは父親をまじまじと見つめた。
「魔力の核を…作った?」
「ああ」
アークは唖然とした。
魔力の核は、生まれたときから備わっているもの、それを作った?
「つ、作れるものなのですか?」
「作るよりなかったからな…」
「いったいどうやって?」
「それは私も思いつけなかったんだが…ポンテルスから、シャラの空っぽの玉を使うことを提案された」
「か、空っぽの玉…? ま、まさか、空っぽの玉を彼女の身体に埋め込んだというのでは?」
「ああ。全身をシールドで覆い、彼女の内面にある魔力を徐々に縮めていった。うまくいったと思う」
「わ、私は…安心していいんですか?」
「正直、百パーセント約束はできない。私も、こんな事例は初めてだからな。だが、それをやらねば、いまサエリは生きてはいまい」
アークは、ぞっとした。
「アーク」
サリスが手を差し出してきて、真っ青になっているアークの手をやさしく握り締めてきた。
母親の体温が手の甲から伝わってきて、アークは知らぬ間に止めていた息を吐き出した。
彼が金縛りの術で動けないでいた間、父親とポンテルスは、サエリを救ってくれたのだ。
口惜しいが、アークの力では、助けられなかっただろう。
「父上、ありがとうございました」
アークは深く頭を下げ、父に向けて、心を込めた感謝を伝えた。
ポンテルスにも、礼を言わねば…
「ともかく、しばらくは安静にさせて、経過を見守ってゆく必要がある」
「ですが、サエリはいますぐにでも帰りたがっていますよ」
彼の言葉に、ゼノンが気難しい顔で頷いた。
サリスが口を開いた。
「彼女の気持ちをなおざりにはしたくないけれど、命を危うくするようなことはさせられないわ」
アークは頷いた。
母の意見はもっともだ。
「それはもちろんです。父上、どのくらい経てば?」
「わからないな」
「そうですか…」
父親のはっきりしない答えは、仕方のないものだ。
サエリには、説明してわかってもらうしかない。
「サエリに、魔力の核のことを話してもよろしいですか?」
「そうだな。彼女自身の身体のことだ。これから…」
ゼノンが口ごもり、その事実にアークは不安を感じた。
「父上?」
「たぶん彼女は、これから自分の身体の変化に戸惑うことになるだろう。もしかすると、予想外の副作用が出る可能性もある」
「副作用?」
どうやら、ことは簡単ではないらしい。
「婚儀も、彼女の身体の変化が完了してからということになるだろうな」
「時間があるのはいいことですわ」
サリスがずいぶんと楽しげに話に割り込んできた。
「そうか?」
「ええ。婚儀の衣装もゆっくりと作れますし…」
笑みを浮かべたサリスは、部屋を見回した。
「この部屋も、サエリの好みに改装して、家具を揃えなければ…こんなに殺風景では、サエリも落ち着かないわ」
「ああ、それはそうだな。サエリの体調がよければ、一緒に、あちこち見に行くといい」
「ええ」
「父上、母上、おふたりだけで勝手に話を進めないで下さい」
「あら、アーク」
「母上、なんですか?」
「あなた、忙しいのではなくて?」
「別に忙しくは…」
「あのでっかい玉から、指輪は取り出せたの?」
母親の指摘に、アークはカチンと身を固めた。
そのことには、出来れば触れられたくなかったのに…
「取り出せたとは…サリス、どういうことだ?」
妻に真顔で聞くゼノンに、アークは顔を引きつらせた。
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