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第十話 大事な話
キッチンで母と並び、母が洗った皿を拭きながら、沙絵莉はこれからどう話をするのが一番かを考えた。
アークたちが異世界のひとということを、母はちゃんと信じてくれただろうか?
信じるしかないはずだ。なにせ不思議な魔法も見たんだし……
ジェライドが小さくなったり大きくなったりしたのも見た。
あんなこと現実にはありえないんだから、彼らが魔法使いだってことや、異世界のひとだということを信じるしかないはずなのだ。
そう思うものの、不安が拭えない。
沙絵莉にしたって、アークが異世界のひとだということを、そう簡単には信じられなかった。
アークたちはいま、この家で数少ない洋間である応接間にいる。
和室より、ソファのある部屋のほうがくつろいでもらえるだろうと、俊彦が提案して移動したのだ。
岡本家の応接間は、和風の屋敷の端っこに位置している。
なかなかくつろげる感じの部屋なのだが、キッチンから一番遠いため、普段家族が使うことはない。純粋に来客用になっているらしい。
沙絵莉は手を動かしながら、母親の横顔をちらりと見た。
いまがチャンスよね。
そう考えて、思わずごくりと唾を呑み込んでしまう。
ふたりきりのいまなら、お母さんと気兼ねなく話せる。
でも、どう話を切り出せばいいのかしら……?
「あの……お母さ……」
「沙絵莉」
遠慮しつつ話しかけたのに、母は沙絵莉の言葉をさえぎるように呼びかけてきた。
「は、はい。なに?」
戸惑ったものの、沙絵莉は母の呼びかけに応じた。
「どういう気持ちでいるの?」
「そ、それって……あの、アークのこと?」
「会ってひと月って言ったわよね?」
水音をさせて皿をゆすぎ、母は綺麗になった皿を彼女に差し出してくる。
まだ皿を持っていた沙絵莉は「う、うん」と答えながら、急いで皿を置き、母から濡れた皿を受け取った。
「あのひとの髪と目、変わった色っていうか……かなり不思議な色してるわよね?」
きゅっきゅっと皿を拭きながら、沙絵莉は「う、うん」と答えた。
「めちゃくちゃ美男子よね?」
母が何を目的として聞いてくるのかわからず、沙絵莉は戸惑いながら、また「う、うん」と返事をした。
「テレビで見る俳優なんかより、綺麗な整った顔してるし……背は高いし、足は長いし……」
確かにその通りで、また「う、うん」と相槌を打ったが、話の内容のせいで、沙絵莉は次第に落ち着かなくなってきた。
「女がほっとかないわよね?」
「ま、まあ、そうかも……」
母は、沙絵莉とアークじゃ釣り合わないということを言いたいのだろうか?
「そのうえ、あのひとの言葉を真に受けるとすれば、魔法が使える異世界人」
母は顔をしかめてその言葉を口にする。
どうしてか気まずい気分になり、沙絵莉は俯いて「う、うん」と言った。
「信用できないわ」
きっぱり言った母に、それまでの流れで、思わず「う、うん」と言いそうになった沙絵莉は、危ういところで口を閉じた。
「まるきり信用できないわ!」
「お、お母さんっ!」
責めるように呼びかけると、亜由子は皿を洗う手を止め、沙絵莉に顔を向けてきて、じっと見つめてくる。
「そりゃ、お母さんの気持ちも、言いたいこともわかるけど……」
「けど……なに?」
「わたし、好きだから!」
思わず勢いで口にしてしまい、沙絵莉は顔を赤らめた。
母は、そんな沙絵莉から目を逸らさず、じっと見つめてくる。
沙絵莉は大きく息を吸って、言葉を続けた。ここで負けていられない。
言うべきことを、言わなければ……
「お母さんがどんなに反対しても、私はアークと一緒に彼の世界に行く。もう決めてるの」
「あのねぇ。頭冷やして、冷静になりなさい。そんなファンタジーみたいな世界に行くって……そんなあやふやで現実味のない世界、行かせられるわけないでしょ?」
「でも、行く。アークが好きなの。私は、彼がいない世界でなんか、しあわせになれないもの」
パリンと音がし、母との言い合いで肩に力を入れていた沙絵莉は、ぎょっとして自分の手元を見た。
皿が真っ二つに割れていた。
それだけじゃなく、皿が光っているし、腕がビリビリと震えている。
「さ、沙絵莉!」
「サエリ」
その呼びかけにびくりとした瞬間、沙絵莉の真横にアークがいた。
彼は沙絵莉の手にしている皿を見て、彼女の両手にそれぞれ手を添えてきた。
「落ち着いて」
アークのソフトな呼びかけに、沙絵莉の手から力が抜けてゆく。アークは沙絵莉の手から割れた皿を取り上げ、流し台の上に置いてくれた。
「い、いったい? な、なんなの? いまのは?」
わけがわからず戸惑っている沙絵莉と、彼女を守るように寄り添っているアークを見て、亜由子が叫ぶ。
「サエリは、魔力を制御できないのです」
「ま、魔力?」
怪訝な顔で母が聞き返す。もちろん、沙絵莉自身もこの状況が理解できない。
確かに、アークと彼の父であるゼノンに、沙絵莉とアークは魔力の受け取りとやらをして、結婚したことになるとかって言われて……
「アーク、ほんとに私の身体から、魔力が出てるっていうの?」
「私と、互いの魔力の……」
「そうだったわ」
アークと沙絵莉の会話に、眉間を寄せた亜由子が割り込んできた。
「すっかり話が逸れちゃって、聞きそびれてたじゃないのっ! ちょっとアークさん、あなた、この子に何をしたの?」
「それについて、これから……」
「したのかしてないのか、すぐに答えて!」
亜由子は、噛みつくようにアークに詰め寄った。
アークは自分を睨みつけてくる亜由子の目を真剣な顔で見返し、口を開いた。
「しました」
「何を?」
「魔力の核を作りました。作ったのは私ではありませんが」
「娘に何をしたのかって聞いてるのよ」
「沙絵莉に魔力の核を作りました」
「意味がわかんないわ。どういうこと?」
「我々の国の者は、生まれし時から心の臓と重なる位置に魔力の核があるのです。ですが、沙絵莉にはそれがなかった」
「ないわよ、そんなもの。ないからって、作ったって言うの? どうしてそんな余計なことをしたのよ。そのせいで、娘の手のひらが光ったり、今みたいに皿が割れたりするのね。そんな変なもの、いますぐ娘の身体から取り出して!」
母は怒りをさらけ出し、早口に捲し立てた。
責められているアークに申し訳ないもものの、母の憤りは娘である沙絵莉を思ってのことだとわかるせいで、彼女は母を咎められなかった。
「それはできません」
アークがはっきりと告げる。
それは、亜由子の怒りに油を注いだようなものだった。
「どうしてっ? この子をおかしなことに巻き込まないで!」
アークを激しく責める母に、もう黙っていられず、沙絵莉は顔を歪めて掴みかかった。
「お母さん、落ち着いてよ」
「沙絵莉、あんたこそ……」
「黙って聞いてっ!」
沙絵莉は母の身体を力いっぱい揺さぶりながら叫んだ。
娘の剣幕に、亜由子は困惑して口を閉じる。
「お母さん、いい、この魔法の核を作ってもらわなかったら、私は死んじゃってたのよ」
「な……な、何言って……そんな縁起でもないこと……」
「死んじゃってたの」
沙絵莉は少し落ち着こうとゆっくりと口にし、大きく息を吸ってから話を続けた。
「死んでたのよ。こっちにいたら、私は確実に死んでたの。だって、階段から落ちて背骨が折れたのよ。たった一日で、こんなぴんぴんしてるなんて、ほんとはありえないんだから」
「沙絵莉……正直、それが信じられないのよ。あんたが怪我を負ったという話が本当なのかわからないんだもの。このひとにそう思い込まされているだけかもしれないわよ」
「私は自分が落ちた瞬間を覚えてる。アークは自分のことも顧みずに、私を救ってくれようとした」
沙絵莉は自分の手をずっと握りしめているアークを見上げた。
彼女はアークに小さく頷いて見せ、また母に向いた。
「アークを信じるかどうかは、お母さんの自由よ。でも、アークはとても誠実なひとよ。彼は嘘なんかつかない。それに……」
沙絵莉は大きく息を吸い、姿勢を正して母を見つめた。
「私とアークは、もう結婚したの」
亜由子が眉を寄せた。
あまりに予想もしないことを言われて、まともに受け止められなかったようだ。
「結婚? あんたってば、何を言い出すのよ」
冗談のように受け取りながらも、母の瞳は次第に動揺を帯びてゆく。
「本当のことだもの。アークは私を救うために、私と魔力の受け取りをしたの。それは、アークの世界では夫婦になったってことなの」
「そんなの……あんたねぇ……もう、ついてゆけないわ……」
頭痛でもしているのか、亜由子は顔をしかめ、片手で頭を押さえて首を振る。
だが、まだ大事な話をしていない。
すべて話して、わかってもらわなければならない。たとえ、どんなに母にショックを与えようとも。
「お母さん、それとね。アークの世界には、離婚という概念がないの」
「えっ……?」
「夫婦になったら、もうけして取り消しはできないの。私がアークの世界に行かなかったら、彼は一生誰とも結婚できない」
「そんな……嘘でしょ?」
小さく笑みながら、亜由子はアークに向けて問いかけた。
「本当です」
アークは真摯に答える。
亜由子の顔から笑みが消え、血の気が失せてゆくのを、沙絵莉は固唾を呑んで見守った。
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