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第十七話 お祝いに花びら
「わあっ!」
沙絵莉が居間に入った途端、陽奈が大きな歓声を上げた。
「沙絵莉お姉ちゃんの髪、ピンクになっちゃってる」
陽奈の喜びっぷりに、沙絵莉は安堵した。
拒絶のような態度を取られたら、ひどく落ち込んだところだ。だがもちろん、俊彦のほうは陽奈のようではない。度肝を抜かれて口をぽかんと開けている。
これは開口一番の台詞が気になるところだ。
「さ、沙絵莉ちゃん。そ、その……」
「俊彦さん、驚いた?」
沙絵莉の背後から母が顔を出して言う。俊彦の驚きっぷりを楽しんでいるようだ。
「あ、亜由子さん。こ、これはいったい?」
「驚いたでしょう? わたしも驚いちゃったわ。それにしても、魔法っていろんなことができるのねぇ」
そんなことを言いながら、母は沙絵莉の横に立ち、しみじみと見つめてくる。
い、いや、これは魔法でなんとかなったものってわけではないのだが……
いや、原因が魔法というのは間違いではないのか?
けど、この髪は元に戻ったりはしないんだぞ、母よ。
楽しんでいられる場合じゃないのだぞ。
心ではそう思っても、母のショックを考えると、とてもじゃないが真実は言えない。
沙絵莉はこの思い違いをどうすればいいかわからず、半笑いをしてしまう。
「いいなー。陽奈も変えてほしいなあ」
陽奈は沙絵莉のところまで走り寄ってきて、まとわりつきながら言う。
「ねぇ、陽奈ちゃんも変えてあげてくれないかしら」
母は軽く言う。だがその視線は、なぜかアークでなくジェライドに向いている。
「はい。望みとあれば」
ジェライドは少し戸惑いながらも、頷く。そんなジェライドに、陽奈は顔を逸らし気味にしながらも、チラチラと視線を送る。
「陽奈ちゃんは、どんな色がいいの?」
沙絵莉は陽奈の頭に手を置き、問いかけた。陽奈は「うーん」と考え込んだが、やはりジェライドをチラチラ見ている。
「そ、そんなに簡単に変えられるのかい?」
俊彦が戸惑いながらアークに聞く。アークはすぐに頷いた。
「色が変わったように見せるのは簡単です。ですが、サエリの場合は……」
アークが真実を語ろうとしているのに気づき、沙絵莉は慌てて「ア、アーク」と呼びかけた。
「うん?」
「陽奈ちゃんの髪、変えてあげてちょうだい。ほらほら、陽奈ちゃん好きな色は?」
陽奈にせっつくが、陽奈は恥かしそうに俯いてしまった。
「ジェラちゃんと同じ色もいいんじゃないの、陽奈ちゃん」
亜由子が陽奈に勧めると、陽奈は顔をしかめて必死に首を振る。
「あら、淡い紫でとっても綺麗な色よ。嫌なの?」
陽奈は亜由子の言葉にびくりと肩を揺らしてジェライドを見る。そして、「い、嫌じゃない」と叫ぶように否定した。
ジェライドは、陽奈ににっこりと微笑みかけた。
「それでは、私が……」
だが、陽奈はジェライドから後ずさろうとする。
「あらまあ、陽奈ちゃんってば、そんな恥ずかしがらなくても」
「恥ずかしくない。ひ、陽奈……やっぱり、いい」
小声でぼそぼそという。
陽奈は、同年代のジェライドを意識してしまっているのだろうか?
幼い恋の芽生えだったり?
ジェライドは陽奈の態度が理解できず、少々困惑気味だが、沙絵莉にしてみれば微笑ましい。
「それでは私ではどうかな? ヒナさん」
アークが陽奈に向き、やさしく声をかける。
陽奈は迷いを見せるように、沙絵莉にぎゅっと抱き着いてきた。
「ジェラちゃんにやってもらうのが恥ずかしいなら、アークさんでもいいんじゃない、陽奈ちゃん。でも、ジェラちゃんの方が、アークさんより魔法は絶対上手だと思うわよお」
「亜、亜由子様っ!」
ジェライドは度肝を抜かれたような声で叫んだ。
「アーク様に対して、な、なんという言葉を、アーク様は聖なる……」
「ジェライド、落ち着け。構わない」
「で、ですが」
このままにはしておけないというようにジェライドはもどかしげに言うが、アークはジェライドを制し、陽奈の前にしゃがみこんだ。
「それでは、お姫様。ご要望の色は?」
「そ、それじゃ……ピンクにする……」
陽奈は恥かしそうに、沙絵莉の頭を指して言う。
頷いたアークが陽奈の髪に触れた途端、陽奈の髪は淡いピンクになっていた。
「まあっ。陽奈ちゃんすっごく可愛いわよ。アークさんも、あなたもやるじゃないの。見直したわよ」
「お褒めの言葉を頂き、ありがとうございます」
アークは嬉しそうに頭を下げる。
「驚くな。ほんとになんでもできるんだね、君らは」
笑いを滲ませて俊彦が言い、場はずいぶんと和んだ。
「ねえお母さん、お父さんたちって、何時に来るのかな?」
朝食を終え、母と並んでキッチンで洗い物をしながら沙絵莉は母に小声で問いかけた。
母の家で父の話は、やはり気持ち的に、おおっぴらにできない。
「ああ、言うのを忘れてたわ。あんたの髪やら、陽奈ちゃんの髪やらで、すっかり。もう三十分もしたらくるわよ」
「そう」
あと三十分か。どぎまぎするが、すでに母も俊彦もアークたちを受け入れてくれている。昨日よりは信じてもらいやすいとは思うが、そりゃあ、驚くんだろう。
午前中に父と美月に話をして、午後には買い物にいかなければ。
ジェライドはあの可愛い服を着ているのがかなり苦痛のようだし、早いところマシな服を調達してあげたい。
着ていた服は母がすでに洗濯してくれていて、七月のこの気候なら昼には乾いてしまうだろうけど、着替えがなければまた陽奈の服を着ることになってしまうだろう。それでは彼が可哀想だ。
「沙絵莉、その髪だけど……」
「あ、う、うん。戻してもらうね」
沙絵莉の髪は、もう元に戻らないらしいが、先ほどアークがやったように元の色に見せることはできるはずだ。
「陽奈ちゃんも、元に」
「陽奈ちゃんはあのままでいいわよ。喜んでたから、すぐには戻すのを嫌がりそうだし……」
母は洗った皿を沙絵莉に手渡し、また口を開く。
「でも、びっくりするんじゃない? お父さんも美月さんも」
そう口にした沙絵莉の顔を、母がまじまじと見つめてくる。
「お母さん? あの、なあに?」
「う、ううん」
母は首を横に振ったが、少し考えた様子で、また口を開く。
「何か心境の変化とか、あった?」
「えっ? どうして?」
「ふたりのことを口にするあんたの様子がね、以前とは違ってたから」
母は口にしていいものだろうかというように、ためらいがちに言う。
「お母さん、さすがにわたしの母だね」
沙絵莉は茶化すように言い、いったん口を閉じてから、改めて口を開いた。
「わたし、凄く卑屈だったって……わかったんだ」
「沙絵莉?」
「みんなに見捨てられてるって思ってた。……けど、そうじゃなかったんだって、ようやくわかった」
「そう」
「うん」
話を終えて沈黙し、ふたりはまた片づけを再開した。
胸にある言葉を、もっと母に伝えいのだが、何をどう話せばいいのかわからない。
もどかしくてならなかった。
「あんた……ほんとに行くの?」
ぽつりと母が言い、沙絵莉は母に顔を向けた。
「行く」
即答した沙絵莉は、口ごもりながら話し始めた。
「お母さん……アークの世界で、色々事情があるらしくて、今度アークの世界に行ったら、そう簡単には帰って来られないかもしれないの。……だから、もし一緒について行かなかったら、次はいつ会えるかわからないって。わたし……」
「アークさん、もうあんたとしか結婚できないんじゃなかった?」
語気荒く言う母に視線を向け、沙絵莉は母と見つめ合った。
「うん、そう」
「……好きなら、ついて行くしかないじゃないの」
怒ったように亜由子が言い、沙絵莉は驚いた。
「い、いいの?」
「引きとめられるの?」
「う、ううん。行くって決めてる」
沙絵莉がそう言った途端、亜由子の目に涙が湧き上がり、ハッとした時にはぼろぼろと涙を零し始めた。
「お、お母さん」
「二度と……なんてことないのよね? い、いつかは、帰って……こ、これるのよね?」
亜由子は泡で濡れた手のまま、沙絵莉の腕を握り締めてきた。
その手が小刻みに震えていて、胸が疼く。
沙絵莉は自分の腕を掴んでいる母の手を、強く握り締めた。
「帰ってくる。絶対。お母さん、わたし……親不孝してばっかで、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「馬鹿ね。あんたが、アークさんとならしあわせになれるっていうんなら、もうついていくしかないじゃないのよ。無理やり引きとめてあんたが不幸なんじゃ、最悪じゃないの。お母さんの望みはあんたのしあわせよ」
そこまで言った亜由子は、濡れている手に気づいたようで、「あ、あら」と言いながら沙絵莉から手を離し、水で泡を洗い流す。そして、タオルを手に取り、手をぬぐいながら、静かに語り出した。
「これまでのあんたはしあわせじゃなかった。そんなあんたを感じるたびに、お母さん辛くてならなかった。胸がねじれそうなくらい苦しかった」
「お、お母さん」
「けど……いまのあんたは違う。しあわせそうだわ。とっても……とっても。それが嬉しくてならないのよ」
母のその言葉を聞いた沙絵莉は、身体に異変を感じた。
胸がドキドキしはじめ、熱くて切なくて甘いような感情がゆっくりと膨れ上がってゆく。
「さ、沙絵莉? どうした……えっ?」
亜由子が驚きの声を上げたそのとき、沙絵莉の胸から桃色のものがゆっくりと出てくる。
「な、なにそれ? だ、大丈夫なの?」
「わ、わかんない」
胸が熱く感じるだけだ。沙絵莉から出た桃色のふわふわしたものは、ゆっくり浮上していく。
そして、唖然として見上げているふたりの頭上でパチンという音とともに弾けた。
「ええっ?」
花びらだ。たくさんの花びらがふたりに降り注ぐ。花びらは、地面に落ちるまでに薄くなり消えていく。
「お祝い」
微かな声が沙絵莉の耳元で聞こえた。『沙絵莉』だ。
「お母さん、次に帰ってくるときには、わたし、いっぱい魔法が使えるようになってるかも。楽しみにしててよね」
「期待できそうもないわね」
つれなく言い、母は泣き笑いする。
苦しいほどの寂しさはある。
けれど、あたたかなしあわせが、それをやさしく包み込んでくれていた。
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