白銀の風 アーク

第十一章

                     
第二話 真実



呼び鈴の音が聞こえ、沙絵莉はハッとして玄関のほうに顔を向けた。
一緒にいる母も同時に振り返る。

「き、来たのかな?」

思わず声がうわずる。

そんな娘を見て母が愉快そうに笑い出し、沙絵莉の肩を叩く。

「何を慌ててるのよ。大丈夫よ」

「で、でも……お父さん」

母に顔を向けると、まるで慈しむような笑みを浮べている。

戸惑っている沙絵莉に、母はわかっているとでもいうように、こくこくと頷く。

「なんかね……。いまのあんたなら……もうわかってくれてるって感じられて……。ふふっ」

ひどく嬉しそうに母は言い、彼女の背を促すように軽く叩いてきた。そして、キッチンから出て行く。

「わかってくれてるって……お父さんがってこと?」

焦って母についていきながら問い質す。

「違うわよ。あんたがよ」

「わたし?」

「そう」

わたしが……わかってくれてるって……どういうことなのか?

もっと突っ込んで聞きたかったが、玄関についてしまう。

すでに俊彦が来ていた。鍵を開けてくれたところで、ゆっくりとドアが開く。

「美月さん、周吾さん、いらっしゃい」

出迎えの言葉を口にする母の後ろに、反射的に身を隠してしまう。

父にも美月にも、ひどく心配をかけてしまって……ちょっと合わせる顔がない。

「あ、ああ。沙絵莉は?」

家に入って来た父が、急くように言う。

沙絵莉は、おずおずと母の後ろから顔を出した。

前回、父と会った時のことを一瞬にして思い出し、ひどく気まずかったのだ。

母の日に、美月にささやかなものでいいからプレゼントを渡してやってくれないかと頼んできた父……

いま思えば、そのくらいの願い、快く応じてあげれば良かったのに……
あんなにも父に八つ当たりして……嫌な思いをさせてしまって。

父のおかげで、快適なアパートに住まわせてもらえて……お小遣いもすぎるほどいただいているというのに……

本当にわたしときたら、自分のことしか考えない、まるきり感謝のない、浅はかな子どもだったと思う。

あのときの自分の態度を思うと、恥ずかしいやら申し訳なさないやらで、どんな顔をすればいいのかわからない。

「あ、あの。ごめんね、ふたりとも。心配かけちゃって」

「えっ!」

驚きの声が上がり、沙絵莉は叫んだ美月に顔を向けた。

「さ、さ、沙絵莉さん……なの?」

仰天したように問う美月の視線は、自分の髪に向いている。

沙絵莉はようやくわかった。

そ、そうか、こ、この髪だ。

しまったぁ。
お父さんたちが来る前に、アークに髪の色を元に戻してもらおうと思っていたのに……

「そうだったわ。ごめんなさい、驚かせちゃったわね。でも、色々あるのよ。さあ、ふたりとも上がってちょうだい」

母はあっけらかんと言い、ふたりに家に上がるように促す。

「さあどうぞ、上がってください。野崎さん」

俊彦も、亜由子のあとから、ふたりを促す。

「その髪は……」

周吾は、ふたりの促しにまるで気づかぬ様子で、沙絵莉の髪を見つめ、目を見張っている。

「このことも、ちゃんと説明するわ。周吾さん、とにかく……」

「い、いや……」

周吾は、上がれというように手を差し出す亜由子の手をかわし、沙絵莉に向けて、そろそろと手を差し伸べてくる。

「ゆ、夢を……見たんだ」

周吾は信じられないものを見るような目をして、沙絵莉に言う。

「お、お父さん?」

「昔の……夢だ」

沙絵莉はハッとして父を見返した。

「昔の夢?」

亜由子が繰り返し、沙絵莉と周吾を交互に見る。

俊彦と美月は困惑してしまっているようだ。

「昔の?」

沙絵莉は三人に視線を走らせてから、父に問い返した。

周吾は信じられないものを見るように沙絵莉のことを見つめながら、そうだというように、ゆっくりと頷いた。

「現れた……あの桃色の髪の娘は……本当に……本当に、沙絵莉……お前だったのか?」

沙絵莉はこれ以上開けないほど、目を見開き、父を見つめた。

ま……さか……今朝の夢……?

塗り替えたい記憶はないのかと『沙絵莉』が言ってきて……

心が震えた。

『沙絵莉』に対して、言葉に出来ないほどの感謝の思いが膨らんでくる。

涙が湧き上がり、頬にポロポロと零れ落ちる。

「さ、沙絵莉? あんた、どうしたの?」

驚いている母に向き、沙絵莉は笑みを浮かべて首を緩く振った。そして、父に顔を戻す。

「わたしよ。お父さん」

周吾が大きく息を呑む。

そんな父に向けて沙絵莉は微笑み、心からの思いを込めながら口を開いた。

「あのとき言葉にしたこと、わたしの本心だから……」

沙絵莉は前に踏み出し、父の手を両手で握り締めた。

涙で父の顔がぼやけ、沙絵莉はぎゅっと目を閉じて涙を払った。

「ごめんなさい。お父さん、いままで……本当にごめん」

「お前……だったのか。本当に? お前……信じられない」

父は呆然としたように口にし、左右に首を振る。

「ち、ちょっと。ねぇ、いったい、なんなの?」

わけがわからないでいる母が、もどかしそうにふたりの間に割って入ってきた。

沙絵莉は母に向き、涙で顔をくしゃくしゃにしつつも、くすくす笑った。

「実は、さっそく魔法使っちゃったの」

涙を拭きながら、沙絵莉は皆に向けて言った。

「ま、魔法?」

美月はいったん周吾と顔を見合わせてから、困惑したように口にする。

「沙絵莉ちゃん、君、いったいどんな魔法を使ったというんだい?」

すでに魔法の存在を疑わない俊彦が、驚いたように聞いてくる。

「いったいいつ? 沙絵莉、周吾さんに何をしたってのよ?」

話していいものか迷ったが、沙絵莉は思い切って話すことにした。

「十五年前にテレポートして、お父さんに会いに行っちゃったの」

「はいっ?」

当惑した声を上げた亜由子だったが、瞳を揺らし、眉を寄せて考え込む。

「十五年……前?」

十五年前という言葉に、美月がハッと喘ぐ。

沙絵莉は美月に向けて頷き、父に顔を戻した。

「どうしてそんなことができるようになったのか、お父さん聞いてくれる?」

「ああ。どうしてそんな色の髪になっているのかも、できれば教えてほしい」

苦笑しながら言った父は、顔を改めた。

「沙絵莉……ありがとう。あのときは、お前だとは信じられなかった。自分の、ていのいい白昼夢だと……そうか……あれはお前だったんだな……本当に」

「そう。わたしだったの」

沙絵莉は笑いながら両手を差し出し、父と美月の手を掴んだ。

「さあ、ふたりとも上がって。お父さんたちに紹介したい人がいるの」

「人たちでしょう? ジェラちゃんに失礼よ、沙絵莉」

小言のように言う母に、沙絵莉は小さく肩を竦めた。

「忘れてたわけじゃないもの。でも、まずはアークでしょ?」

靴を脱いで上がってくるふたりを見守りながら、沙絵莉は母に言った。

「いったい、誰なんだね? その、アークというのは?」

「もうひとりのほうはジェラちゃんよ。ふたりとも素晴らしく好青年で、魔法使いなの」

あまりにもあっさりと真実を告げた母に、沙絵莉の方が目を剥いてしまう。

ぎょっとして父と美月を見ると、美月はひどく困惑しているようだが、父の方は眉をひそめて考え込んでいる。

父は、沙絵莉が過去に来たという不思議を体験しているからだろう。

魔法使いのアークとジェライドの待つ居間に向かっていきながら、沙絵莉は思いをめぐらした。

『沙絵莉』は、過去は変わらないけれど、過去の記憶は変えられると言った。塗り替えたい過去があるなら、そうさせてあげると。

わたしは、お父さんの夢の中に入り込んだだけなのかもしれない……

でも……お父さんは、娘が過去に飛んできたのだと、信じて疑っていない。

それでいいんだ。それで……

父の信じた過去は、本当の意味で真実となるのだ。

『沙絵莉』ありがとう。

『沙絵莉』に向けて感謝を飛ばし、沙絵莉はくすっと笑った。

それにしても、あのときのわたし、すでにこの髪の色をしていたのか……






   
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