白銀の風 アーク

第十一章

                     
第九話 説明のつかない感覚



「まったくもおっ、泰美ってば、どこ行っちゃったのよ」

無意識にブツブツと小声で文句を言いながら、整理券を取り、由美香はバスに乗り込んだ。

行方不明になっていた親友がようやく見つかって……

というか、戻ってきた。

誘拐か、なんらかの事故に巻き込まれたのではと、もう気が気じゃなかった。

女の子だし、とんでもない目に遭っているんじゃないかとか……
さらわれたあげく、取り返しのつかない事態になっているんじゃないかとか、もう心配で心配で……

なのに、ひょっこり帰ってきたなんて!

「まったくもおっ!」

ほっとした反動の憤りに駆られ、空いている座席を探しながら、無意識に声に出して叫んでしまう。

ずいぶんと不機嫌な顔をしていたに違いなく、目を合わせた乗車客から怪訝そうに見返され、彼女は慌てて視線を逸らした。

も、もおっ、それもこれも、ぜーんぶ、沙絵莉のせいなんだからぁ。

まったく、まったく、まったく、もおおっ。

どう落とし前をつけてもらおうか。

心の中で文句を言い続けながら、由美香は座席に座った。

沙絵莉のアパートに向っているところだ。
ほんとは、泰美と一緒に来るはずだったのに、連絡が取れないのだ。

由美香はポケットから携帯を取り出し、泰美にかけてみたが、やはり出ない。

あの子、また携帯の充電が切れてるに違いないわ。

ほんと、ぼうっとしてんだから……

由美香と同じに、行方不明になった沙絵莉を心配していた泰美を、早くほっとさせてやりたいのに……

連絡がつかないんじゃ、どうしようもない。

沙絵莉とはすでに電話で話せたから、安心はしたけど……本人と会って、本当の意味で安心したい。

停留所を通過するたびにバスは停まり、乗車客が降りては乗ってくる。

下りるバス停に早く着け着けと思っているからか、遅々として進まない気がしてならない。

イライラしながら携帯を閉じたり開けたり繰り返していた由美香は、眉を寄せた。

そ、そうだ。
笹野君に、沙絵莉が見つかったって知らせないと……

沙絵莉の行方が知れず、由美香は沙絵莉の母に頼まれて、沙絵莉と共通の知り合いに、かたっぱしから連絡を取ったのだ。

誰かが沙絵莉を目撃しているかもしれないと思って……

もちろん、行方不明だなんてはっきりと言うのははばかられ、「急用があって沙絵莉を探してるんだけど、どこかで見なかったか?」みたいな感じで、情報を集めた。

もちろん、なんの情報も得られなかった。

けど笹野には、迷ったけど、沙絵莉が行方不明になったことを伝えた。

だって笹野の心配が、ストレートに感じられたし……

笹野は沙絵莉に明らかに恋をしている。
もちろん紗絵莉も……だと思ってたんだけど……

そこんところが、なんかよくわからない。

笹野と沙絵莉はデートもした。

クラッシックのコンサートに誘われたって、沙絵莉ははにかんでいたのだ。

だけど……そのあとの沙絵莉は、笹野についても、そのデートでのことも、だんまり。

笹野のほうも口を閉ざしているし……

あのふたり、デートのときに、絶対何かあったのだ。

わけがわからないままなのが、なんかもうもどかしくて……

それは泰美も同じだったみたいで、先週の日曜日、彼女は泰美とともに沙絵莉のアパートにやってきたのだ。

だけど沙絵莉は留守だった。
そしてそれ以来、沙絵莉は行方不明になっていたのだ。

笹野は行方がしれないと聞いて、必死に沙絵莉を探し回ってくれて……

由美香は眉を寄せ、(沙絵莉、無事帰還、いま会いにいくところです。何があったかは、まだわかりません。わかり次第、知らせます)と、笹野にメールを打った。

何かわかったら、連絡しあおうと、メールアドレスを交換したのだ。

メールを送信しパチンと閉じてポケットに戻す。

沙絵莉、本当に、なにがあったんだろう?

いくら考えてもわかるはずがないが、バスに揺られているばかりでは落ち着けず、由美香はあれこれと考え続けた。


バスが目的の停留所に着き、由美香は焦ってバスを下りた。

すでに沙絵莉のアパートが視界に入っている。

アパートをじっと見つめたところで、心臓がどくんと跳ねた。

「えっ……? な、なに?」

意味不明な動悸に、困惑したものの、すーっと波が引いたみたいに、なんともない。

い、いまの、なんだったの?

胸を押さえ、自問自答するが、答えなんか返ってこない。

ブーッ、ブーッと、携帯からマナーモードのバイブ音がし、由美香はアパートへと足を向けながら、携帯を取り出した。

確認すると、笹野からの着信だ。

まったく、笹野君のほうが反応が早いんだから……泰美、あんた負けてるわよっ。

勝ち負けの話じゃないのに、つい泰美に突っ込んでしまう。

「はい。笹野君」

「あ、ああ。本当に見つかったのかい、彼女?」

「ええ。いま沙絵莉のアパートの前なの。これから会うとこ」

「無事だったんだね? 誘拐されたとかじゃ……」

「それがね、そういうことじゃないらしいの。沙絵莉のお母さんによると、ひょっこり帰って来たって」

「事件に巻き込まれたわけでもなくて?」

「そうみたい。ごめなさい。悪いけど、これ以上の情報はまだ……」

「僕……電話していいかな?」

「は、はい?」

たったいま、電話しているのに……?

「あ、ああ。沙絵莉に会ったあとに電話してくるってことね」

「いや……僕がこれから彼女に電話してもいいかなって、聞いた」

「あ、ああ、そう、そうよね」

どうやら、わたしときたら、まだまだ興奮状態らしい。

めいっぱい混乱しちゃってるわ。

それをいうなら、笹野自身も混乱してる。
沙絵莉に電話するのに、わたしに許可を取る必要はない。
かけたければかければいいのに……

「かけてみ……」

アパートの階段に足をかけたところで、また先ほどと同じように心臓がどくんと跳ねた。

「松見さん? どうかした?」

「あ……う、ううん。なんでもない。ごめんなさい、なんでもなくて……ちょっと精神状態が普通じゃないみたい」

反射的に、心臓に手をあててぐっと押さえながら、由美香は苦笑しつつ言った。

おかしな身体の反応だが……もうなんともない。

「松見さん、普通じゃないって?」

「かけてみたら?」

笹野の言葉に被せるように由美香は勧めた。
そしてアパートの階段を駆け上がった。

踊り場まで上がり、なんとなく後ろに振り返ってしまう。

うあっ。

な、なんか……やだ。

頭が……頭が……

痛みがあるとかじゃない。説明のつかない感覚だ。

頭の中がくすぐったいというのが、一番正しい表現だろうか。

いたたまれない。

身体を折る様にして頭に手を当てたら、両腕に鳥肌が立った。

「松見さん、松見さん、聞いてる?」

携帯から声が聞こえ、由美香は慌てて耳に当てた。

「なに? 笹野君、どうしたの?」

すでに笹野からの電話は切れたものと思っていた。

「いや。なんとなくかけづらくてさ……」

「どうして?」

「……うん。その……歓迎されてない気がして……彼女に」

由美香は笹野に呆れた。そんなことを気にしている場合ではないのに……

「心配なんでしょう?」

少しきつめに言うと、笹野は黙り込んでしまった。

わたしときたら……なんか自分の身体がおかしいものだから、イライラしちゃって……

「ごめん……。君から連絡貰えて、安心できたし……連絡、待ってる。松見さん、すまないけど頼む」

そう言った最後、電話は切れた。

まったくもおっ。
笹野君ってば、こんなだからうまくゆかないんだって、どうしてわかんないのかしら?

呆れるわ。

ぷりぷりしながら、沙絵莉の部屋に足を向ける。

「あー、びっくり、びっくり」

前からひとがやってきて、そんなことを口走る。

びっくりって……なんだろ?

「こんにちは」

このアパートの住人だろうか、主婦らしき女性に由美香は愛想よく挨拶した。

相手は、ハッとしたようにこちらに向き、慌てて小さく頷く。

「あら、こ、こんにちは」

由美香は女性の横をそのまま通り過ぎようとしたが、「あの、ちょっと」と呼びとめられた。

「はい?」

「もしかして、柏田さんのところに?」

「あ、はい。そう……ですけど?」

「柏田さんの友達?」

「は、はい」

せっつくように聞かれて、由美香は引き気味に答えた。なんで、話しかけてきたのかがわからない。

「ねぇ、あのひとどこの国のひとのなの? 聞きたかったけど、ドギマギしちゃって聞けずに出てきちゃったのよ。気になっちゃって」

言われている意味がさっぱりわからない。

「あの、なんのことなのか?」

「だから、柏田さんのところに来てる、外国人。でも、流暢に日本語話すのよ。びっくりしちゃった。あっ、びっくりしたのは、あの美貌なんだけど。あんなひと、現実に存在しているのねぇ」

「紗絵莉のところに、外国のひとが来てるっていうんですか?」

「あら、友達だったら、知ってるかと思ったんだけど……違った?」

沙絵莉の友達であることをすっぱり否定された気がして、むっとした。

「知ってます!」

売り言葉に買い言葉な感じで、つい鋭い響きで言ってしまう。

「だわよねぇ。それで? あの方、どこの国の……」

「プライベートなことですから、わたしからはお話しできません」

ぴしゃりと言ったら、相手は困ったように口を閉じてしまった。

「ご、ごめんなさい。あなたを怒らせるつもりなくて……」

頬を少し赤らめ、申し訳なさそうに謝罪されて、由美香も気まずくなった。

「興奮しちゃってて……ごめんなさいね。あ、あの、それじゃ……」

言い訳のように口にし、そそくさと由美香から離れていく。

気まずさを抱えていた由美香は、「わたしこそ、ごめんなさい」と遠ざかってゆく背中に声をかけた。
そのひとは、一度振り返り、階段を下りて行った。

「あー、失敗。なんであんなきつい言い方しちゃったんだろう?」

反省し、由美香は沙絵莉の部屋のインターフォンを押した。

「は、はーい」

沙絵莉の声だ。これまでとなんら変わりない友の声に、由美香はほっとして口元に笑みを浮べた。

ドアがゆっくりと開く。

「沙絵莉っ」

大きな声で呼びかけ、ドアの中に入る。

由美香は息を止めて固まった。

そこには、見たこともないゴージャスなイケメンが、沙絵莉と並んで立っていた。






   
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