|
第十三話 大丈夫の宣言
「ほ、ほら、マジックとかじゃないでしょう?」
目の前にやってきた沙絵莉が、心配そうな顔で由美香に言う。
沙絵莉のほうは、ちゃんと床に足をつけて立っている。
「これ、どういうこと?」
真っ白だった頭が徐々に元に戻り、ようやく思考が動き出した。
身体がなんの仕掛けもなく、浮くはずがない。
つまり、これは知らぬ間にワイヤーをつけられた?
由美香は両手で自分の身体のあちこちを撫でまわした。ついているはずのワイヤーを探すが、見つけられない。認めたくはないが、ワイヤーで身体をつられているという感覚もない。
ただ浮いている。
ふわふわと軽く。
まるで自分が羽根になったかのようだ。
これって、どーいうことお?
「由美香?」
気がかりそうに沙絵莉が話しかけてきた。
「ワイヤー、どこについてるの?」
問う声が無様に震えてしまう。
「ついてないって。だから、これは、彼の魔法なの」
沙絵莉は、自分の隣にいるマジシャンを差す。
「それでね、さっきも話したことだけど……アークは、わたしがアパート前の階段から落っこちて大怪我を負って死にかけたとき、由美香たちがパニックにならないように、ふたりの記憶を消したんだって」
「大怪我? でも元気じゃない」
「だからそれは、アークが彼の世界に連れて行って、癒しの技を使って治してくれたの。いま、浮いてるんだもん、この話、ちゃんと信じられるでしょ? ねっ、ねっ」
期待するように言われ、嫌な頭痛がしてきた。
「信じられるわけがないでしょ……」
怒鳴るつもりがぼそぼそと言ってしまう。
「えっ? な、なんで? 浮いてるのに」
「浮いてたら、なんでも信じられるって? なわけあるかぁ!」
憤りに駆られた由美香は、腕を大きく振り上げて、沙絵莉に向けて思い切り振り下ろしつつ、大声で突っ込みを入れた。
「ひゃあっ」
なんと、振り下ろした腕の反動で、身体がぐるんぐるんと回転した。
「ゆ、由美香。ほ、ほら暴れると危ないから、落ち着いて」
沙絵莉に身体を掴まれ、ようやく回転が止まる。
き、気分が悪い……
これはきっと夢よ。いまはまだ夜中で、わたしは自分のベッドで寝てるんだわ。
吐き気を感じて口を押さえ、由美香はぐっと目を瞑った。
どうしてか嗚咽が込み上げ、涙がこぼれはじめる。
「ゆ、由美香? ア、アーク、もう下ろしてあげて」
「わかった」
ゆっくりと身体が下に降り、お尻が床に着いた。それまで消えていた重力が全身に戻る。
「身体……重い……重いよぉ」
意味不明なことを呟きながら、由美香は片足でドンドン床を蹴ってしまう。
まるで駄々っ子だ。自分でもそう思う。けど、止められない。
「由美香……ごめん。こんなにパニックに陥らせちゃうなんて……ごめん」
「サエリ、落ち着いて」
超マジックを披露したアークというひとが、沙絵莉をなだめるように言う。
ちょっと戸惑った。落ち着くべきはこのわたしで……沙絵莉にかけるのはお門違いじゃないのか?
「君の動揺が伝わって、彼女の感情の揺れを大きくしている。できれば彼女から手を離した方がいい」
「えっ? そ、そうなの?」
「ああ。私が抑えているんだが、際限なく湧いているから、すべてを抑えきれない」
「でも……わたし、そんなに動揺してる?」
「サエリ、君はいまの自分がわかっていない。君は、自分の中から湧き出る魔力を、まるで抑えられていないんだ」
諭すような口調。
沙絵莉の手が離れた。その途端、劇的に感情が落ち着く。
「な……」
きょとんとして目をパチパチさせてしまう。
「あ……ご、ごめん、由美香。わたしが……」
「な、なんかわかんないけど……」
由美香は大きく息を吐き出した。そして大きく息を吸い込む。
物凄い冷静になれたが……
き、気まずい。
顔は涙でぐちゃぐちゃだし、なんか嫌な汗かいてるし……
「……沙絵莉」
「は、はい。なに?」
「タオル貸して。できればおしぼり」
「わ、わかった」
沙絵莉が慌てて立ち上がり、走って出て行く。
部屋がシーンと静まり返り、由美香は目の前にいて自分を監視するように見つめている男性を見つめ返した。
そのとき、そのひとが軽く手を動かした。と、ふっと胸のあたりが温かくなった。
気のせいとかでなく。……だ。
な、なに?
「話を聞いていただけますか?」
「わけがわからないことだらけ……でも、聞かせてもらいます」
由美香の返事に、アークという名のイケメンは、真剣な眼差しで頷いた。
こ、このひと……?
由美香は目を細めた。
見たことある……
どこで?
自分にそう問いかけた時、それがスイッチになったかのように、するすると記憶が蘇り始めた。
泰美とともに沙絵莉のところを訪ねた。けど留守で……仕方なく帰ることにした。
泰美とおしゃべりしながら、アパートの外階段にさしかかったとき……
由美香はハッと大きく喘いだ。
ひととぶつかった。
それは沙絵莉で……
仰向けに落下してゆく沙絵莉と、見つめ合って……
「あ、あ……」
激しいショックが記憶とともに蘇り、由美香は両手で口を押さえた。
背中を這い上ってきた恐怖で、身体がガクガクと震える。
「失礼する」
その言葉とともに、背中に微かに温かなものが触れた。
すーっと心が凪ぐ。
「お、落ちたわ! 沙絵莉が!」
「ええ」
静かな肯定の言葉に、なんだかわからないが、ぞっとした。
「由美香?」
沙絵莉の声に、由美香は振り返った。
開いたドアのところに沙絵莉がいて、タタッと駆け寄って来る。
「あんた……落ちたわよね?」
「あ、ああ……アーク、封印を解いたの?」
イケメンが頷く。
ああ、このひと、ほんとイケメンだわ。なんて、心の半分で、いまさら感心する自分がいて、由美香は思わず笑った。
「由美香?」
窺うように聞いてくる沙絵莉に、彼女は安心させるように大きく頷いた。
「うん。大丈夫。とはいっても、色々まだまだ大丈夫じゃないけど……大丈夫になったわ」
くすっと笑うと、沙絵莉もほっとしたように微笑む。
わからないことだらけ。
けれど、沙絵莉はここにいて、わたしに向けて笑ってくれている。
階段下の地面に激突して、ぐったりとしている沙絵莉の記憶を心でしっかりと受け止め、由美香はドクドクと鼓動を速めている心臓をなだめるために、手のひらを当てた。
姿勢を正し、ふたりに向く。
「何もかも、詳しく話してちょうだい」
まだ不明な部分を、きっちりと埋めさせてもらうために……
|
|