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第十六話 戸惑いも当然
由美香ときたら……
泰美を驚かせて喜んでいる友を見て、沙絵莉は苦笑した。
アークが異世界のひとだということは、いまだに信じられないでいるようだが、魔法の力だけは受け入れられたらしい。
沙絵莉は隣にいるアークに目を向けた。視線を向けられたことに気づいたらしく、アークが振り返ってきた。
沙絵莉と目を合せたアークは、口元に笑みを浮べた。こちらも楽しんでいるようだ。
泰美を驚愕させたいという由美香の望みに、ノリノリで答えていたアークに、いまさら笑えてくる。
「うん?」
何がおかしいんだい? と、その眼差しは言っている。
「あなたってば、ノリノリだったなと思って」
「ああ……そうだな」
正直に答えるアークと笑い合う。
「あなたたち、何をこそこそ話してるのよっ」
叱るような声が飛んできて、ふたりは同時に由美香に向いた。
「な、なに?」
「何じゃないわよ。ほら、これを見ればわかるでしょ?」
これというのは、地べたに座り込んでいる泰美。由美香は、彼女を立ち上がらせようとしているらしい。
「この子、腰を抜かしてて、立たせられないんだってば。ちょっと手を貸して」
沙絵莉は、「はいはい」と慌てて返事をし、ふたりに歩み寄った。だが、アークのほうは動かない。
「アーク?」
ここは男性であるアークが、手を貸すべき場面だと思うのだが……
「なんだい?」
「手を貸してくれないの?」
「構わないが……どのように手伝えばいい?」
「ど、どのようにって……?」
わざわざ質問する意味がわからない。
「泰美を立ち上がらせてあげて、泰美の家に入らないと。こんなところにいつまでもいられないし」
「な、な、なんなの? い、いま……いま……」
腰を抜かして呆然としていた泰美だったが、ようやく我に返ったらしい。
「あら泰美、あんたやっと正気に戻ったの?」
「正気って……い、いま何が起きたの? なんだか、由美香がパッと目の前に現れたみたいに見えたんだけど。あんたたち、うちんちの玄関の近くに隠れてたの? でも、ここらへん、隠れられるようなところないよね? ……ところでその……そのひと、誰なの?」
頭の中は疑問符だらけなのだろうが、泰美はアークのことを指さしてきた。
もちろん、ここで彼のことを泰美に紹介しなければと思うのだが……なんと言って紹介すればいいのか思いつけない。
そうこうしていると、じれたのか、由美香が「このひとはね、異世界人よ」と、あっさりと暴露した。
泰美が、「はいっ?」と眉間を寄せる。
そりゃあ、そんな反応になるだろう。
「由美香、それはちょっと唐突すぎるよ」
「はあっ、あんたに言われたくはないわ」
「で、でも……」
それにしても、異世界人と口にするとは……
由美香は、彼が異世界人だということを、信じることにしたのだろうか?
アークを見ると、このまま成り行きを見守るつもりのようだ。
「泰美、とにかく立ちなよ。家に入れて」
「よ、よくわかんないけど……う、うん」
困惑顔で頷いた泰美は、由美香と沙絵莉が差し出した手を同時に掴み、立ち上がった。
「いたたた……」
お尻を打ったのか、痛そうに顔を歪める。
「泰美、大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ。もおっ、沙絵莉、あんたどこに行ってたの? みんな、そりゃあもう、すっごい心配したんだよ」
沙絵莉が行方不明だったことを思い出したようで、顔をしかめて叱ってくる。
泰美にひどく心配をかけてしまい、申し訳なさを感じるとともに、こんなにも心配してくれたことに胸がいっぱいになる。
「うん。ごめん」
頭を下げた沙絵莉は、思わず泰美にぎゅっと抱き着いた。
ほんとうに、散々心配をかけてしまって……
「わたしのこと、ずっと捜し回ってくれたんだってね。泰美、ありがとう」
「そ、そりゃあ、捜すに決まってるよ。 友達がいなくなったんだもん」
「うん」
泰美の顔を見て、我慢できずに涙が込み上げる。
「元気そうだけど……ほんとに大丈夫なの?」
アークのことを気にしつつ、泰美は尋ねてくる。
「うん。起こったこと、全部説明する」
「うん。そうしてもらわなきゃ、気が落ち着かないよ」
そのとき、玄関のドアが開いた。
「泰美、どうした……あ、あら?」
玄関から現れた泰美の母は、沙絵莉たちを見て驚きの声を上げた。
「もういらしてたの? 泰美、それならそうと」
娘を咎めた泰美の母は、沙絵莉たちに向き、愛想よく微笑みながら声をかけてきた。
「いらっしゃ……い」
由美香、沙絵莉と移動していた視線が、アークを捉えた瞬間だけ驚きに見開かれた。
「ま、まあ。こちらの方は? どこの国の方なの?」
これまた当然の反応だ。
「それが……わたしもこれから紹介してもらうところでさ」
「そうなの。……こんなところで立ち話もなんでしょ? 早く家に上がってもらいなさいな」
「う、うん」
三人は、泰美に続いて家に上がらせてもらった。
居間に通され、勧められたソファに座る。沙絵莉はアークと並んで座った。
「で、このひとは? ……沙絵莉の親戚さんとかじゃないよね? どうみても、日本のひとじゃないみたいだし……」
「親戚さんじゃないわよ。けど、外国人でもないの」
沙絵莉が答えるより先に、由美香が答える。
「えっ? 親戚じゃないけど、日本人なの? 見えない……」
「ちがーう! さっきも言ったでしょ? このひとは異世界人なの」
「イセカイジンってなに?」
意味を汲めなかったようで、首を傾げた泰美はカタコトで聞き返す。
「はあっ、あんた、異世界人がわかんないの? わたしたちとは違う世界のひとってことよ」
「は、はいーーっ? 由美香、なんでいま、そんな冗談言うのよ?」
泰美も由美香同様に信じられないらしく、あははと笑い飛ばす。由美香は渋い顔になったが、すぐに仕方なさそうな表情になる。
「まあ、その反応は正しいわよ。わたしだって、まだ半信半疑……半分以上疑ってるし。でも、このひとが普通じゃない能力を持っているのは確かよ」
「普通じゃない能力?」
「あんたも見たでしょ? このひとは、ワープができるの」
「ワープ?」
「瞬間移動よ。瞬間移動? わかる? ファンタジィもののゲームなんかでよくある、あのワープよ」
「冗談……だよね?」
「冗談じゃありません。ほんとですぅ。なんならあんたも、宙に浮いて回転させてもらう?」
「宙に浮いて、か、回転? 由美香、何言っちゃってんの? 沙絵莉、由美香はどうしちゃったの?」
「アークさん、ちょっとやったげて」
アークに向いた由美香が、大きな声で指示するように言うと、彼は口元に笑いを滲ませ、素直に頷く。
「それで信じてくださるのであれば、構いませんが……サエリ?」
アークは、沙絵莉に了解を取るように聞く。
「いいけど……回転までは必要ないんじゃないかなって」
「わたしはやられたのに、なんでよ!」
由美香に食ってかかられ、困ってしまう。
あれは由美香が暴れたために、結果的にそうなっただけなのだ。
それにしても、由美香ときたら、自分がやられたことを、泰美にも体験させてやりたいと思っているようだ。
「とにかく、浮くだけに。……あっ、でも、泰美のお母さんが見ちゃったら、驚かせちゃうと思うし」
泰美の母は、キッチンにいるようだが、娘が浮いているところなんて見てしまったら、そりゃあ驚くだろう。
「ママ?」
「ねえ、それじゃあさ。いったん沙絵莉のアパートに戻らない? アークさん、ワープですぐに戻れるんでしょ?」
「ええ。戻れます」
「よしっ。そんじゃ、泰美。あんた、お母さんに、わたしたちとこれからちょっと出かけることになったって言っておいでよ」
「ええっ! なんでよ。わざわざ沙絵莉のアパートに行く必要ないんじゃない? ここからけっこう遠いのに」
泰美の言葉に、由美香が「ちっちっ」と言いながら、指を唇に寄せて横に振る。
どうみても、顔がにやけてる。
「アークさんは、ワープができるって言ったでしょ? わたしたち、あんたんちまで、沙絵莉のアパートから飛んできたの。……だから今度は、あんたを連れて戻るだけのこ……」
由美香は中途半端に言葉を止め、アークを振り返った。
「アークさん、人数が増えると無理とかって、あるの?」
「いえ。そのようなことはありません。大丈夫です」
「だって、泰美」
由美香はまるで通訳するように、しかもドヤ顔で言う。
「だって、って」
泰美は、困惑顔で三人を順番に見つめてくる。
「一瞬で飛んでって、一瞬で飛んで戻れるんだから、いいでしょ? そうだ、泰美、身体のほうはもう大丈夫なのね?」
いまさら思い出したらしく、由美香は泰美に心配そうに聞く。
「身体はすっかり元気だよ」
「そう。それじゃ、ほら、お母さんに許可もらっておいでよ」
「ねぇ、別に私の部屋にいけばよくない? 沙絵莉のアパートまで行く必要……だいたいワープとかさ、ほんと意味わかんないんだけど」
「や、泰美?」
沙絵莉は慌てて泰美に呼びかけた。
泰美の母が、飲み物を載せたトレーを手にやってきたのだ。
「どうぞ」
それぞれの前に、泰美の母はカップを置いてくれる。
「由美香さんはどちらなの?」
沙絵莉と由美香を見て、泰美の母が聞いてきた。ここは、泰美が気を利かせて紹介してくれるべきだと思うのだが……
「あっ、わたしです」
由美香が小さく手を差し上げて答える。
「そう。会えて嬉しいわ。沙絵莉さんも」
「はい。初めまして」
泰美の母と目を合せ、沙絵莉は深く頭を下げてから、言葉を続けた。
「あの……この度は、わたしが泰美さんに心配をかけてしまって……色々とすみませんでした」
「ううん。あなたが無事に戻ってきて、ほんとうによかったわ。それで、何があったの?」
直球の質問をもらい、沙絵莉は答えに詰まった。
「ちょっとママ。ママは話にまざんなくていいよぉ」
「あら、沙絵莉ちゃんに会ったのは、これが初めてだけど、ママだって心配したのよ」
「あ、ありがとうございます。心配していただいて……」
自分のことを気にかけてもらえて、嬉しいのだが……正直困った。
泰美の家にやってきたのは、間違いだったかもしれない。事態が普通ならば、いい。だが、普通ではないのだ。
それに、アークが異世界人で魔法の使い手だということは、そんなに広めたくない。できれば、親友ふたりまでにとどめておきたい。
「もうママ。いいから、あっち行っといて。ママがいたんじゃ、沙絵莉が話しづらいよ。ママにはあとで、わたしから話すから」
そう言われるだろうとあらかじめ思っていたのか、泰美の母は「はいはい」とつまらなそうに答えると、「それじゃ、ごゆっくり」と言って、あっさり居間から出て行った。
「やれやれ、ごめんね」
「ううん」
泰美に向けて首を横に振った沙絵莉は、アークから「サエリ」と呼びかけられ、彼に顔を向けた。
「はい?」
「ジェライドから、君の母上からの伝言がきたのだが」
「えっ、お母さんから?」
思わず驚いて叫んだものの、いったいどこから伝言が来たと言うのかわからず、戸惑った。
「何時に帰るかとのことだ。なんと返事をする?」
「ちょ、ちょっと、おふたりさん。話が見えませんけど……急になに?」
由美香がむっとして聞いてくる。
「アークの知り合いのひとから、伝言が来たって……それってアーク、もしかしてテレパシーとかの方法で?」
後半部の言葉は、アークに向ける。
「そうだ。頭の中でやりとりをする」
「そっ、そんなことまてできるわけ! あなたっていったい何者? ああ、もおっ! なんか、頭が痛くなってきたぁ」
「由美香、落ち着きなよ」
由美香を宥めた泰美は、急にキラキラした目をアークに向けてきた。
「テレポやら、テレパシーやら、使えるの? つまり、あなたは超能力者なわけ?」
泰美ときたら、アークに詰め寄って聞く。アークはどう対応すればいいのかわからないからか、「サエリ」と呼びかけ、彼女に応援を求めてきた。
「う、うん。まあ、そう」
「へーっ。すっごーい。わたし、そんなひとと初めて会ったよ」
「誰だって初めてだわ。そんな人間、普通はいないわよ」
「そんなことないじゃん。時々テレビでやってるじゃん。不思議な力使えますぅ。超マジックってね」
「あれはタネありのマジック!」
「えーっ! 由美香、そうとも言えないと思うよ。だいたいこのアークさんは、タネなしのマジック使えるって言ってんでしょ?」
「そうなの。信じてくれる?」
受け入れ態勢な泰美に期待を持ち、沙絵莉は問いかけた。
「うん。タネなしマジック、いくつか目の前で見せてくれたらね。そしたら信じる」
沙絵莉は思わずにっこり笑った。どうやら泰美は簡単に信じてくれそうだ。
「ア、アーク。ほ、ほら……このさいなんでもいいから、泰美に魔法使って見せて。あれがいいわ。ほら、わたしが見せてもらった、杖でパシーンってやつ」
「杖? 魔法の杖があるの?」
そこに食いついてきたのは、意外なことに由美香だった。
「悪いがサエリ。いま私は杖を持っていない。だが、魔力を見せるだけなら杖は必要ない」
そうか。杖を持っているのはジェライドさんだった。
残念だ。杖があった方が、魔法を使ってるっぽくて、信じてもらいやすいのに。
「サエリ。ジェライドが返事を待っている」
あっ、そうだった。
「ごめんなさい。えーっと……それじゃ……」
「ジェライドって誰?」
「ジェライドさんは……アークの……」
うん? なんて言えばいいのだろう?
「よろしければ、ここに彼を呼びましょうか? ジェライドならば、杖を持っていますし……」
よ、呼ぶのか?
「そのひと、呼んでみて」
興奮したように泰美が言う。
「では……」
一瞬、アークが沈黙し、アークから少し離れたところに人影が立った。
「まっ!」
「へっ?」
由美香と泰美の戸惑った叫び。
戸惑いも当然か……
ふたりとも、まさかこんな小さな男の子が現れるとは思っていなかったに違いない。
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