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第六話 手のひらに約束のキス
「あー、ダメ。やっぱり眠れないわ」
ベッドで寝返りを打った沙絵莉は、ため息をつきつつ呟く。
アークがジェライドと行ってしまってからしばらくの間、ソファに座って色々考えてしまった。
あの気味の悪い小箱のことも、もちろん気になってならないし……それから、今日起こったことを思い返してしまい……さらにこの数日の間に自分の身に起こった、奇天烈な出来事までも……
頭の中にぎっしり詰め込まれている感じで、思い返すばかりで、まるで整理できない。
アークが戻ってくる気配もないし、寝ることにしてベッドに横になったのだが……
沙絵莉は、壁にかけている服を見つめた。アークの母が沙絵莉にくれた民族衣装。
沙絵莉のためにアクセサリーを選んでくれていたサリスを思い出すと、胸がほっこりしてしまう。
ほんと、素敵なお母さんだった。
とてもやさしくて……
お父さんのゼノンさんのほうは威厳がありすぎて、ひどく緊張してしまうけど……
そういえば、アークのお母さんも、私と一緒だったって言っていたっけ……
沙絵莉と同じように、アークの国を良く知らなかったらしい。沙絵莉が自分と一緒だということが、とても嬉しいようだった。
アークのお母さんの故郷は、どんなところなんだろう?
カーリアン国のシャラドとは、また違う雰囲気の国なんだろうけど……行ってみたいかも……
そのとき、微かな物音が聞こえ、ドアが開けられたのがわかった。
目を向けると、大きな人影が目に入る。
アークが戻ったようだ。
音を立てないように歩み寄ってくる。
「アーク?」
沙絵莉は、囁くように呼びかけた。
月が出ているようで、窓のカーテン越しにぼんやりとした明かりがさし込んでいる。
おかけで、アークの表情も見て取れる。
沙絵莉はアークと目を合わせ、微笑みかけた。
「まだ、起きていたのか?」
「ええ……色々考えてしまって……眠れなくて……」
そういうと、アークの瞳に真剣な色がさす。
「そうか」
アークが枕元にゆっくりと腰かけてきた。
沙絵莉は起き上って彼と話をしようとしたが、アークに止められた。
「ああ、起きる必要はない。横になっていればいい」
沙絵莉は少し考えて頷いた。
「どうだったの?」
もちろん小箱のことだ。もし何かわかったというのなら、知りたい。
「明日、話そう」
「それって……あの小箱のこと、何かわかったってこと?」
そう聞くと、アークが頷く。
「アーク、気になるわ。いま話してくれない? でないと、眠れそうにないもの」
アークは顔をしかめ、口を開く。
「話を聞いてしまったら、もっと眠れなくなると思うが……それでもいいのかい?」
「眠れなくなるほどのことなら、なお聞きたいわ」
沙絵莉はそう言いながら、上体を起こした。今度はアークも止めず、起き上る沙絵莉を黙って見ている。
しっかりと話を聞きたいし、それなら起き上っていたほうがいい。
「……私たちは、あの小箱を警告と受け止めた」
「け、警告? それって、どういうことなの?」
「早く戻るよう、警告しているのだと思う。さもなければ……」
さもなければなんなの? 戻るように警告って? 誰が?
「あの、それはアークのお父様がってこと?」
「いや、違う。……はっきりとはわかっていない。だが、小箱は警告と受け止めた方がいいだろう」
「ねぇ、アーク、それって、あの小箱が何か、わかったってことなの?」
「それは……」
言い難そうに口ごもるアークを見て、沙絵莉は眉をひそめた。
「アーク?」
「……あれは、指輪の箱だ」
「はいっ? 指輪?」
「そうだ」
アークはきっぱり頷くが、意味がさっぱり呑み込めない。指輪って、なんの指輪なのだろう?
「我々は、あれは婚約指輪だろうと思っている」
婚約指輪? それって、まさか、アークが私に贈ってくれるものってこと?
そう考えて、ドキドキしてきた。
「どうして、そうだとわかるの?」
「私の国では、十二と十五の誕生日に、それぞれ婚約指輪と結婚指輪を作る習わしがあるんだが、あれはそれと同じ箱だった」
「へえっ、そんな習わしがあるの? なんだか素敵ね」
胸がときめいてしまうような内容に、思わずそう言ったら、アークはなぜか渋面になる。
「どうしたの?」
「いや……それについては……君に謝罪しなければならない」
しゃ、謝罪?
「あの……どうして?」
戸惑って聞くと、アークは諦めたかのようにため息をついた。
「将来結婚する相手に贈るものと聞いて……まるで気が乗らなくて……ものすごく……適当に作った」
アークはほとんど聞き取れないほどの声で、ぼそぼそと言う。
その声をなんとか聞き取った沙絵莉は、呆気にとられ、次いで笑いが込み上げた。
くっくっと声に出して笑う。
「サエリ……笑い事じゃないんだ。そんな適当に作った指輪を、婚約や結婚の指輪として、君は指に嵌めることになるんだぞ」
叱責するように言われて、沙絵莉はまだ込み上げてくる笑いをなんとか抑え込んだ。
「いいじゃない」
「えっ? な、何がだ?」
「どんな指輪でもいいってことよ。適当に作ったにしろ、子どもだったあなたが、将来結婚するひとのために作った指輪。……それを私が嵌められるってことが……嬉しいから」
「サエリ……」
じっと見つめて呼びかけられ、自分の発言が恥ずかしくなってきた。
照れてならない沙絵莉は、アークから視線を逸らし、急いで話を続けた。
「どんな指輪なのか早く見たいわ。……でも、あれ、開けられなかったわよね?」
「時がくれば開くんだそうだ」
時が来れば……か。それって、いつなんだろう?
「あの小箱はいま、ジェライドさんのところにあるの?」
「ああ。だが、あれが婚約指輪だとわかった以上、ジェライドは私たちには触らせないだろうな」
「どうして?」
「婚約指輪の箱は、婚約の儀を執り行う中で開けるものだからだ。儀式にのっとることを、ジェライドはなによりも重んずる。彼は大賢者だから」
「そういうものなの?」
アークは真顔で頷く。
「サエリ、もしかすると……」
「はい?」
話を切り出してきたものの、アークは口ごもってしまっている。
話し出すのを待ったが、いつまでたっても黙り込んだままだ。
「アーク、なあに? どうしたの?」
催促したら、アークは神妙な様子で首を横に振った。
「……強制的に、引き戻されるかもしれない」
「えっ?」
「君も私も、私の国に引き戻されるかもしれない」
「そ、そんなこと、できるの?」
「できるのだろうと思う。こちらの世界に、大賢者たちは干渉できるということを、あの指輪の箱が証明している」
ということは……?
「まさか、いますぐでも、あなたの世界に飛んでしまうかもしれないってこと?」
「可能性はある。だが、まだ大丈夫だろうとは思うんだが……」
それって、寝てる間に、なんてことないわよね? だとすれば、うかうか寝ていられなくなってしまう。目が覚めたらアークの世界だったなんて、さすがにそれは困る。
「サエリ」
「はい?」
「まずは、父と話をしてみようと思う」
「お父様と? ああ、通信の玉で?」
「ああ。向こうの状況を知りたいし……」
でも、アークの父とは、あんな形でこちらに飛んできたのに……
「アークのお父様、すごく怒っていらっしゃるわよね? 無理やりこっちに飛んできてしまって……」
「そのことは心配いらない」
「そ、そうなの? でも……」
「あそこで父上がどういう行動を取ったにしろ、父は私たちの味方だ」
どうやら複雑な事情があるらしい。
「さあ、君はもう寝るといい。眠れないようなら……」
そう言いつつ、アークは彼女の額に手を差し伸べてくる。沙絵莉は慌てた。
「お父様と話すんでしょう? わたしも一緒では……ダメ?」
「サエリ、すまない。君が聞いていると、思うように話せないことが出て来てしまうかもしれない」
そ、そうか……なら諦めるしかないのか。
「わかったわ。それじゃ、明日の朝起きたら、すぐに話してくれる?」
アークが頷いてくれ、沙絵莉は仕方なくベッドに横になった。
額に手のひらが当てられ、沙絵莉は慌てて彼の手を掴んだ。
「ね、ねぇ、アーク。起きたらあなたの世界だったなんてことには、絶対にならないわよね?」
思わず確認を取るように聞いてしまう。
「……ああ、絶対にそんなことはさせない。だから、安心して眠るといい」
返事をするまでに間があったことに、沙絵莉は触れなかった。
アークに負担をかけてしまうと気付いたからだ。
そういう事態に至ったならば、それは彼だってどうしようもないことなのだ。
万が一、そんな事態になったとしても、アークを責めるべきではない。
眉を寄せたアークが、もう一度沙絵莉の額に手を置く。
「アーク」
「うん?」
「もし、あなたの世界に飛んでしまっていたとしても、あなたが一緒ならいいわ」
「サエリ……」
沙絵莉はアークの手を取り、目を瞑って自分の唇に押し当てた。そして、すぐに離す。
「おやすみなさい、アーク」
「おやすみ……サエリ」
言葉とともに、アークは沙絵莉の頬を慈しむように撫でる。
その触れ合いに胸がときめき、心にあった不安がすべて消えていく。
手のひらが額に当てられ、沙絵莉はゆっくりと意識が遠のいてゆくに任せた。
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