白銀の風 アーク

第十二章

                     
第六話 手のひらに約束のキス



「あー、ダメ。やっぱり眠れないわ」

ベッドで寝返りを打った沙絵莉は、ため息をつきつつ呟く。

アークがジェライドと行ってしまってからしばらくの間、ソファに座って色々考えてしまった。

あの気味の悪い小箱のことも、もちろん気になってならないし……それから、今日起こったことを思い返してしまい……さらにこの数日の間に自分の身に起こった、奇天烈な出来事までも……

頭の中にぎっしり詰め込まれている感じで、思い返すばかりで、まるで整理できない。

アークが戻ってくる気配もないし、寝ることにしてベッドに横になったのだが……

沙絵莉は、壁にかけている服を見つめた。アークの母が沙絵莉にくれた民族衣装。

沙絵莉のためにアクセサリーを選んでくれていたサリスを思い出すと、胸がほっこりしてしまう。

ほんと、素敵なお母さんだった。
とてもやさしくて……

お父さんのゼノンさんのほうは威厳がありすぎて、ひどく緊張してしまうけど……

そういえば、アークのお母さんも、私と一緒だったって言っていたっけ……

沙絵莉と同じように、アークの国を良く知らなかったらしい。沙絵莉が自分と一緒だということが、とても嬉しいようだった。

アークのお母さんの故郷は、どんなところなんだろう?

カーリアン国のシャラドとは、また違う雰囲気の国なんだろうけど……行ってみたいかも……

そのとき、微かな物音が聞こえ、ドアが開けられたのがわかった。

目を向けると、大きな人影が目に入る。

アークが戻ったようだ。

音を立てないように歩み寄ってくる。

「アーク?」

沙絵莉は、囁くように呼びかけた。

月が出ているようで、窓のカーテン越しにぼんやりとした明かりがさし込んでいる。

おかけで、アークの表情も見て取れる。

沙絵莉はアークと目を合わせ、微笑みかけた。

「まだ、起きていたのか?」

「ええ……色々考えてしまって……眠れなくて……」

そういうと、アークの瞳に真剣な色がさす。

「そうか」

アークが枕元にゆっくりと腰かけてきた。

沙絵莉は起き上って彼と話をしようとしたが、アークに止められた。

「ああ、起きる必要はない。横になっていればいい」

沙絵莉は少し考えて頷いた。

「どうだったの?」

もちろん小箱のことだ。もし何かわかったというのなら、知りたい。

「明日、話そう」

「それって……あの小箱のこと、何かわかったってこと?」

そう聞くと、アークが頷く。

「アーク、気になるわ。いま話してくれない? でないと、眠れそうにないもの」

アークは顔をしかめ、口を開く。

「話を聞いてしまったら、もっと眠れなくなると思うが……それでもいいのかい?」

「眠れなくなるほどのことなら、なお聞きたいわ」

沙絵莉はそう言いながら、上体を起こした。今度はアークも止めず、起き上る沙絵莉を黙って見ている。

しっかりと話を聞きたいし、それなら起き上っていたほうがいい。

「……私たちは、あの小箱を警告と受け止めた」

「け、警告? それって、どういうことなの?」

「早く戻るよう、警告しているのだと思う。さもなければ……」

さもなければなんなの? 戻るように警告って? 誰が?

「あの、それはアークのお父様がってこと?」

「いや、違う。……はっきりとはわかっていない。だが、小箱は警告と受け止めた方がいいだろう」

「ねぇ、アーク、それって、あの小箱が何か、わかったってことなの?」

「それは……」

言い難そうに口ごもるアークを見て、沙絵莉は眉をひそめた。

「アーク?」

「……あれは、指輪の箱だ」

「はいっ? 指輪?」

「そうだ」

アークはきっぱり頷くが、意味がさっぱり呑み込めない。指輪って、なんの指輪なのだろう?

「我々は、あれは婚約指輪だろうと思っている」

婚約指輪? それって、まさか、アークが私に贈ってくれるものってこと?

そう考えて、ドキドキしてきた。

「どうして、そうだとわかるの?」

「私の国では、十二と十五の誕生日に、それぞれ婚約指輪と結婚指輪を作る習わしがあるんだが、あれはそれと同じ箱だった」

「へえっ、そんな習わしがあるの? なんだか素敵ね」

胸がときめいてしまうような内容に、思わずそう言ったら、アークはなぜか渋面になる。

「どうしたの?」

「いや……それについては……君に謝罪しなければならない」

しゃ、謝罪?

「あの……どうして?」

戸惑って聞くと、アークは諦めたかのようにため息をついた。

「将来結婚する相手に贈るものと聞いて……まるで気が乗らなくて……ものすごく……適当に作った」

アークはほとんど聞き取れないほどの声で、ぼそぼそと言う。

その声をなんとか聞き取った沙絵莉は、呆気にとられ、次いで笑いが込み上げた。

くっくっと声に出して笑う。

「サエリ……笑い事じゃないんだ。そんな適当に作った指輪を、婚約や結婚の指輪として、君は指に嵌めることになるんだぞ」

叱責するように言われて、沙絵莉はまだ込み上げてくる笑いをなんとか抑え込んだ。

「いいじゃない」

「えっ? な、何がだ?」

「どんな指輪でもいいってことよ。適当に作ったにしろ、子どもだったあなたが、将来結婚するひとのために作った指輪。……それを私が嵌められるってことが……嬉しいから」

「サエリ……」

じっと見つめて呼びかけられ、自分の発言が恥ずかしくなってきた。

照れてならない沙絵莉は、アークから視線を逸らし、急いで話を続けた。

「どんな指輪なのか早く見たいわ。……でも、あれ、開けられなかったわよね?」

「時がくれば開くんだそうだ」

時が来れば……か。それって、いつなんだろう?

「あの小箱はいま、ジェライドさんのところにあるの?」

「ああ。だが、あれが婚約指輪だとわかった以上、ジェライドは私たちには触らせないだろうな」

「どうして?」

「婚約指輪の箱は、婚約の儀を執り行う中で開けるものだからだ。儀式にのっとることを、ジェライドはなによりも重んずる。彼は大賢者だから」

「そういうものなの?」

アークは真顔で頷く。

「サエリ、もしかすると……」

「はい?」

話を切り出してきたものの、アークは口ごもってしまっている。

話し出すのを待ったが、いつまでたっても黙り込んだままだ。

「アーク、なあに? どうしたの?」

催促したら、アークは神妙な様子で首を横に振った。

「……強制的に、引き戻されるかもしれない」

「えっ?」

「君も私も、私の国に引き戻されるかもしれない」

「そ、そんなこと、できるの?」

「できるのだろうと思う。こちらの世界に、大賢者たちは干渉できるということを、あの指輪の箱が証明している」

ということは……?

「まさか、いますぐでも、あなたの世界に飛んでしまうかもしれないってこと?」

「可能性はある。だが、まだ大丈夫だろうとは思うんだが……」

それって、寝てる間に、なんてことないわよね? だとすれば、うかうか寝ていられなくなってしまう。目が覚めたらアークの世界だったなんて、さすがにそれは困る。

「サエリ」

「はい?」

「まずは、父と話をしてみようと思う」

「お父様と? ああ、通信の玉で?」

「ああ。向こうの状況を知りたいし……」

でも、アークの父とは、あんな形でこちらに飛んできたのに……

「アークのお父様、すごく怒っていらっしゃるわよね? 無理やりこっちに飛んできてしまって……」

「そのことは心配いらない」

「そ、そうなの? でも……」

「あそこで父上がどういう行動を取ったにしろ、父は私たちの味方だ」

どうやら複雑な事情があるらしい。

「さあ、君はもう寝るといい。眠れないようなら……」

そう言いつつ、アークは彼女の額に手を差し伸べてくる。沙絵莉は慌てた。

「お父様と話すんでしょう? わたしも一緒では……ダメ?」

「サエリ、すまない。君が聞いていると、思うように話せないことが出て来てしまうかもしれない」

そ、そうか……なら諦めるしかないのか。

「わかったわ。それじゃ、明日の朝起きたら、すぐに話してくれる?」

アークが頷いてくれ、沙絵莉は仕方なくベッドに横になった。

額に手のひらが当てられ、沙絵莉は慌てて彼の手を掴んだ。

「ね、ねぇ、アーク。起きたらあなたの世界だったなんてことには、絶対にならないわよね?」

思わず確認を取るように聞いてしまう。

「……ああ、絶対にそんなことはさせない。だから、安心して眠るといい」

返事をするまでに間があったことに、沙絵莉は触れなかった。

アークに負担をかけてしまうと気付いたからだ。

そういう事態に至ったならば、それは彼だってどうしようもないことなのだ。

万が一、そんな事態になったとしても、アークを責めるべきではない。

眉を寄せたアークが、もう一度沙絵莉の額に手を置く。

「アーク」

「うん?」

「もし、あなたの世界に飛んでしまっていたとしても、あなたが一緒ならいいわ」

「サエリ……」

沙絵莉はアークの手を取り、目を瞑って自分の唇に押し当てた。そして、すぐに離す。

「おやすみなさい、アーク」

「おやすみ……サエリ」

言葉とともに、アークは沙絵莉の頬を慈しむように撫でる。

その触れ合いに胸がときめき、心にあった不安がすべて消えていく。

手のひらが額に当てられ、沙絵莉はゆっくりと意識が遠のいてゆくに任せた。






   
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