白銀の風 アーク

第十二章

                     
第十七話 不意打ち



「まだやめておいたほうがいいんじゃないか?」

アークは真剣にジェライドに忠告した。

いま夕食を終えたところだ。そしてジェライドは、ヒナとの約束を果たすべく、幼き姿になろうとしている。

だが、いまのジェライドには、体力的にも魔力的にも負荷が大きすぎる。

ジェライドは、アークの瞳をまっすぐに見返し、首を縦に振る。

「うん、やめるべきだな」

ジェライドがあっさりと肯定する。だが、この言葉はジェライドの本意ではない。

アークの中で不安が膨らむ。

「ジェライド」

「すまない。……君とサエリ様を守るべきサダメの大賢者としては、間違っている。そうわかっているんだが……この約束だけは、たがえてはならないと……」

ジェライドは口ごもりながら中途半端に言葉を終える。おかげでアークは、さらに不安を膨らませることになった。

「それは、いったい誰の命だ?」

答えはもえらないとわかっていながら、アークは苛立たしさに堪えらず、問い返してしまう。

「わかれば苦労しないよ。そうわかるだけだからね」

予想通りすぎる返事に、アークは思わずため息を落とす。

「でも……たぶん」

「うん?」

「……大賢者という任を背負わぬ私と……いや、それより遥かにヒナ様を慈しむ存在の……」

「ヒナさんを慈しむ存在?」

「その正体を聞かれても、私にはわからないよ。わかってるだろうけど」

アークは肩を竦めて、ジェライドの言葉に応じた。

「ところで、アーク」

「なんだ?」

「感じてるだろう?」

その言葉に、アークは顔をしかめた。

ジェライドが言っているのは、この漠然とした不安……

「いますぐ、シャラドに帰ったほうがいいと思うか?」

「わからない、けど……先走らぬほうがいいだろうな。ゼノン様は言わずもがな……大賢者もみな感じてるに決まってるからさ」

「……そうだな」

「そっちは力ある者たちに任せて、私たちは、いますべきことに集中したほうがいいんだろうと思うよ」

「だが落ち着かない。もどかしい」

「そうだね」

同感というようなジェライドの返事に、アークは少しだけ苛立ちが収まった。

それでも、自分のいない間に、シャラドで何事か起こったらと思うと……

「なあ、『婚約の儀』どころではないんじゃないか?」

「いや、そうじゃないよ」

「ジェライド?」

「たぶん……」

ジェライドは、躊躇うように言葉を止める。

「聞かせろ!」

「怒らないでくれ。どう言葉にしようか悩んでるんだから」

「どんな風でもいい。感じたまま口にしろ?」

「君らしくない暴言だな。まあ、落ち着いてくれよ。予知者としては、そうはいかない」

なだめるように言ったジェライドは、この場の気の流れを換えるように、右手を開きながら大きく腕を振り、ふーっと息を吐く。

その瞬間、ジェライドは幼子になっていた。

「ジェライド」

アークを見上げて、ジェライドはにこっと笑う。

「身体は大丈夫か?」

「魔力は使ってしまったけど……これでいいんだよ。そう求められてるんだから」

ジェライドはまるで自分に言い聞かせるように言う。

「求めている相手がわからないくせに」

「でも、それが善か悪かは判断がつくよ」

「当然だ」

「だよね」

小さなジェライドは可愛く叫び、くすくす笑う。

「まあ、いい。とにかく、私たちは『婚約の儀』に挑めばいいということだな?」

「うん。けど、いまは待つしかないよね」

アークは、また別の不安を感じて、眉をひそめた。

明後日は、こちらの世界にのっとった婚儀が行われることになった。

つつがなく婚儀を行いたい。

サエリのため、アユコのため、サエリの父シュウゴのため……そして、彼女のすべての縁者のため。

ポンテルスの性格を思うと心配になる。

あの御仁、こちらの婚儀を滅茶苦茶にしなければいいんだが……

「ポンテルスが、これほど悩みの種になるとはな」

そうぼやいたら、頭の中で笑う声が響いた。これはゼノンだ。

『父上』

頭の中で呼びかける。

アークの様子に気づいたらしく、ジェライドはじっとアークを見つめてくる。

『今頃悟ったか?』

『それは、ポンテルス殿のことですか?』

『私は常々忠告していただろう。ポンテルスほど厄介な者はいないぞと』

『父上、いったい、どこから私とジェライドの会話を聞いていたんです?』

『悩みの種の少し前だ。そんなことより……』

『やはり、何事かありましたか? 我々もすぐさまそちらに戻ったほうが……』

『アーク、慌てるな』

『大丈夫……なんですね?』

父親の真意を測るように、間を持って尋ねる。

『不安を意味もなく膨らませるな』

『ですが』

『それより、ポンテルスはもう動くつもりのようだぞ』

それを知らせてやろうと、父は通信してきたのか?

『ただ、どういう手段を用いるのか、私にもわからない。だが、サリスを連れて行くのだから、決して危険は冒さぬはずだ』

『私が迎えに行くことになるものと思っていましたが』

『まあ、ポンテルスに任せておけ』

『父上がそうおっしゃるのでしたら』

『ではな』

通信は途絶えた。

アークは会話の間、宙に浮かしていた視線を、ジェライドに留める。

「アーク、相手は?」

「父上だった」

「それで?」

「ポンテルスに任せておけと言われた。それと、不安を意味もなく膨らませるなと」

「そうか。差し迫った状況じゃないと思っていいということかな。ゼノン様が請け負ってくださったというのに……それでも落ち着かないんだけど……」

「何事か起こるのだろうからな、仕方がない。いまは待つしか術がないようだ」

ジェライドは、アークの言葉を受け入れるように深く呼吸し、それから気持ちを切り替えたように笑みを浮かべた。

「ヒナ様とお会いしてくる。お休みになられるまで、一時間ほどお相手をしてくるよ」

そう言ったジェライドは、扉を開けて部屋を出る。

「あっ、ジェラちゃんだ」

ヒナの声がし、アークも部屋から出た。

小さなジェライドを心待ちにしていたらしく、ヒナが顔を輝かせて駆けよってくる。ヒナはサエリと一緒にいたようだ。彼女もこちらに歩み寄ってくる。

「ヒナ」

「ジェラちゃん、いっぱい遊べる?」

そう尋ねる表情は、ひどく心配そうで、なんとも胸にくる。

「うん。ヒナが寝るまで、ずっと一緒にいるよ」

「あ、明日は? 明日も遊べる?」

ヒナは、明日の約束を取りつけようと必死な様子だ。

ふたりのやりとりを見守りながら、アークはサエリに歩み寄った。

「食後のデザートに果物を用意したの」

サエリの言葉を耳に入れたのか、ヒナが「葡萄と桃だよ」とジェライドに言う。そして、ジェライドの手を恥ずかしそうに取ると、彼を引っ張るようにして歩き出した。

小さなふたりのあとを、アークはサエリとともについて行く。

「アーク、何かあったの?」

肩を並べて歩きながら、サエリが問いかけてきた。

彼女がそんな風に問いかけてくるほど、私は表情に出してしまっていただろうか?

「ピリピリしてるように感じたから……何かあったのかなって……」

「驚いたな。どうしてわかるんだい?」

「えっ? やっぱり、何かあったの?」

「いや、何かあったというわけじゃない」

「でも」

「ポンテルスが何をやらかすつもりかがわからなくて……」

「ああ。それじゃ、早く行きましょう」

少し笑いながら口にするサエリに、アークは眉をひそめた。

「サエリ?」

「わたしのお母さん、アークのお母様のサリスさんと、とっても気が合うみたい。俊彦おじ様も、かなり気後れしつつだけど、ポンテルスさんに色々と質問したりして……」

アークはぎょっとして足を止めた。

ま、まさか?

「来たのか?」

思わず大声を出してしまった。前を歩くジェライドたちが驚いて立ち止まり、こちらを向く。

血相を変えたアークを見て、サエリも驚いている。

「知っていたんじゃなかったの?」

サエリの言葉に、アークの顔が引きつる。

こちらに来ているって……だが、ふたりの気を感じられない。

それはジェライドも同じようだった。

いったい、どういうことなのだ?






   
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