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第十七話 不意打ち
「まだやめておいたほうがいいんじゃないか?」
アークは真剣にジェライドに忠告した。
いま夕食を終えたところだ。そしてジェライドは、ヒナとの約束を果たすべく、幼き姿になろうとしている。
だが、いまのジェライドには、体力的にも魔力的にも負荷が大きすぎる。
ジェライドは、アークの瞳をまっすぐに見返し、首を縦に振る。
「うん、やめるべきだな」
ジェライドがあっさりと肯定する。だが、この言葉はジェライドの本意ではない。
アークの中で不安が膨らむ。
「ジェライド」
「すまない。……君とサエリ様を守るべきサダメの大賢者としては、間違っている。そうわかっているんだが……この約束だけは、たがえてはならないと……」
ジェライドは口ごもりながら中途半端に言葉を終える。おかげでアークは、さらに不安を膨らませることになった。
「それは、いったい誰の命だ?」
答えはもえらないとわかっていながら、アークは苛立たしさに堪えらず、問い返してしまう。
「わかれば苦労しないよ。そうわかるだけだからね」
予想通りすぎる返事に、アークは思わずため息を落とす。
「でも……たぶん」
「うん?」
「……大賢者という任を背負わぬ私と……いや、それより遥かにヒナ様を慈しむ存在の……」
「ヒナさんを慈しむ存在?」
「その正体を聞かれても、私にはわからないよ。わかってるだろうけど」
アークは肩を竦めて、ジェライドの言葉に応じた。
「ところで、アーク」
「なんだ?」
「感じてるだろう?」
その言葉に、アークは顔をしかめた。
ジェライドが言っているのは、この漠然とした不安……
「いますぐ、シャラドに帰ったほうがいいと思うか?」
「わからない、けど……先走らぬほうがいいだろうな。ゼノン様は言わずもがな……大賢者もみな感じてるに決まってるからさ」
「……そうだな」
「そっちは力ある者たちに任せて、私たちは、いますべきことに集中したほうがいいんだろうと思うよ」
「だが落ち着かない。もどかしい」
「そうだね」
同感というようなジェライドの返事に、アークは少しだけ苛立ちが収まった。
それでも、自分のいない間に、シャラドで何事か起こったらと思うと……
「なあ、『婚約の儀』どころではないんじゃないか?」
「いや、そうじゃないよ」
「ジェライド?」
「たぶん……」
ジェライドは、躊躇うように言葉を止める。
「聞かせろ!」
「怒らないでくれ。どう言葉にしようか悩んでるんだから」
「どんな風でもいい。感じたまま口にしろ?」
「君らしくない暴言だな。まあ、落ち着いてくれよ。予知者としては、そうはいかない」
なだめるように言ったジェライドは、この場の気の流れを換えるように、右手を開きながら大きく腕を振り、ふーっと息を吐く。
その瞬間、ジェライドは幼子になっていた。
「ジェライド」
アークを見上げて、ジェライドはにこっと笑う。
「身体は大丈夫か?」
「魔力は使ってしまったけど……これでいいんだよ。そう求められてるんだから」
ジェライドはまるで自分に言い聞かせるように言う。
「求めている相手がわからないくせに」
「でも、それが善か悪かは判断がつくよ」
「当然だ」
「だよね」
小さなジェライドは可愛く叫び、くすくす笑う。
「まあ、いい。とにかく、私たちは『婚約の儀』に挑めばいいということだな?」
「うん。けど、いまは待つしかないよね」
アークは、また別の不安を感じて、眉をひそめた。
明後日は、こちらの世界にのっとった婚儀が行われることになった。
つつがなく婚儀を行いたい。
サエリのため、アユコのため、サエリの父シュウゴのため……そして、彼女のすべての縁者のため。
ポンテルスの性格を思うと心配になる。
あの御仁、こちらの婚儀を滅茶苦茶にしなければいいんだが……
「ポンテルスが、これほど悩みの種になるとはな」
そうぼやいたら、頭の中で笑う声が響いた。これはゼノンだ。
『父上』
頭の中で呼びかける。
アークの様子に気づいたらしく、ジェライドはじっとアークを見つめてくる。
『今頃悟ったか?』
『それは、ポンテルス殿のことですか?』
『私は常々忠告していただろう。ポンテルスほど厄介な者はいないぞと』
『父上、いったい、どこから私とジェライドの会話を聞いていたんです?』
『悩みの種の少し前だ。そんなことより……』
『やはり、何事かありましたか? 我々もすぐさまそちらに戻ったほうが……』
『アーク、慌てるな』
『大丈夫……なんですね?』
父親の真意を測るように、間を持って尋ねる。
『不安を意味もなく膨らませるな』
『ですが』
『それより、ポンテルスはもう動くつもりのようだぞ』
それを知らせてやろうと、父は通信してきたのか?
『ただ、どういう手段を用いるのか、私にもわからない。だが、サリスを連れて行くのだから、決して危険は冒さぬはずだ』
『私が迎えに行くことになるものと思っていましたが』
『まあ、ポンテルスに任せておけ』
『父上がそうおっしゃるのでしたら』
『ではな』
通信は途絶えた。
アークは会話の間、宙に浮かしていた視線を、ジェライドに留める。
「アーク、相手は?」
「父上だった」
「それで?」
「ポンテルスに任せておけと言われた。それと、不安を意味もなく膨らませるなと」
「そうか。差し迫った状況じゃないと思っていいということかな。ゼノン様が請け負ってくださったというのに……それでも落ち着かないんだけど……」
「何事か起こるのだろうからな、仕方がない。いまは待つしか術がないようだ」
ジェライドは、アークの言葉を受け入れるように深く呼吸し、それから気持ちを切り替えたように笑みを浮かべた。
「ヒナ様とお会いしてくる。お休みになられるまで、一時間ほどお相手をしてくるよ」
そう言ったジェライドは、扉を開けて部屋を出る。
「あっ、ジェラちゃんだ」
ヒナの声がし、アークも部屋から出た。
小さなジェライドを心待ちにしていたらしく、ヒナが顔を輝かせて駆けよってくる。ヒナはサエリと一緒にいたようだ。彼女もこちらに歩み寄ってくる。
「ヒナ」
「ジェラちゃん、いっぱい遊べる?」
そう尋ねる表情は、ひどく心配そうで、なんとも胸にくる。
「うん。ヒナが寝るまで、ずっと一緒にいるよ」
「あ、明日は? 明日も遊べる?」
ヒナは、明日の約束を取りつけようと必死な様子だ。
ふたりのやりとりを見守りながら、アークはサエリに歩み寄った。
「食後のデザートに果物を用意したの」
サエリの言葉を耳に入れたのか、ヒナが「葡萄と桃だよ」とジェライドに言う。そして、ジェライドの手を恥ずかしそうに取ると、彼を引っ張るようにして歩き出した。
小さなふたりのあとを、アークはサエリとともについて行く。
「アーク、何かあったの?」
肩を並べて歩きながら、サエリが問いかけてきた。
彼女がそんな風に問いかけてくるほど、私は表情に出してしまっていただろうか?
「ピリピリしてるように感じたから……何かあったのかなって……」
「驚いたな。どうしてわかるんだい?」
「えっ? やっぱり、何かあったの?」
「いや、何かあったというわけじゃない」
「でも」
「ポンテルスが何をやらかすつもりかがわからなくて……」
「ああ。それじゃ、早く行きましょう」
少し笑いながら口にするサエリに、アークは眉をひそめた。
「サエリ?」
「わたしのお母さん、アークのお母様のサリスさんと、とっても気が合うみたい。俊彦おじ様も、かなり気後れしつつだけど、ポンテルスさんに色々と質問したりして……」
アークはぎょっとして足を止めた。
ま、まさか?
「来たのか?」
思わず大声を出してしまった。前を歩くジェライドたちが驚いて立ち止まり、こちらを向く。
血相を変えたアークを見て、サエリも驚いている。
「知っていたんじゃなかったの?」
サエリの言葉に、アークの顔が引きつる。
こちらに来ているって……だが、ふたりの気を感じられない。
それはジェライドも同じようだった。
いったい、どういうことなのだ?
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