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第六話 玉の功名
「ねえ、アーク。私の母に連絡が取れないかしら?」
ベッドに横になっていたサエリが、突然起き上がり、急くように聞いてきた。
「連絡を?」
「ええ、私、毎晩母に電話するようにしているの。昨日、私からの電話がかかって来なかったから、心配して大騒ぎになっているかもしれない」
大騒ぎ…か…
確かにサエリの国では、彼女が消えて騒ぎになっているかもしれない。
アークとしては、もうこのままここにとどまって欲しいのだが…
だが、娘が消え、サエリの母はいまごろ…
真っ青になってサエリを探し回っているだろうサエリの母が頭に思い浮かんでしまい、凄まじい罪悪感が湧き上がり、アークは気分が悪くなった。
「ともかく、私が無事だってこと、知らせられたらと思うんだけど…」
アークはさり気なく後ろを向き、部屋を歩き回りつつ考え込んだ。
彼女が自分の国に戻ると決めたら、ふたりは会えなくなる。
これから迎えるだろう時の大波が去り、危機を乗り越えられたなら…また会えるかもしれないが…それがいつのことになるのかは誰にもわからない。
だいたい、時の大波がいつ訪れるのかもわからないのだ。
もしかすると、何年もの間、何も起こらないかもしれないわけで…。
「ねぇ、どうなのアーク? 連絡を取る方法とかない?」
「無理だ。…通信の玉でも向うにあれば別だが…」
そう口にしたアークは、サエリに通信の玉を渡したことを思い出した。
あの玉を、サエリはどこにおいているのだろうか?
サエリを見ると、部屋をキョロキョロと見回していたが、アークに顔を向けてきた。
「私のバッグってないかしら?」
「知らないが…」
「階段を落ちたときに、手から放したのかしら? 私、ここに運ばれてきたとき、何も持っていなかった?」
「ああ、バッグとかの持ち物はなかったようだ」
アークの言葉を聞いたサエリは、パッと明るい顔になった。
「ねえ、それなら連絡できるんじゃない。あの場所に置いてきたんなら、バッグは母の手元にあるかも」
語っていたサエリは、急に顔を暗くした。
「サエリ? どうかしたのか?」
「う、うん。あの、アーク、あそこにいた私の友達の記憶は消したって言ったわよね?」
「消したわけではない、封じただけだ。面倒なことになるといけないと思ったから…思い出さないように処理しただけで…」
「ああ、そう言ってたわね。って、アーク、いまはそれはどうでもいいの。問題は、彼女たちは、私のバッグが道端に落ちているのを見つけたに違いないってことよ」
「そうだな。きっと、拾って…」
「道端にバッグが落ちてて、私と連絡が取れなかったら、これは何か事件が起こったと思うのが自然よ」
「まあ、そうだな」
「もおっ、アーク、真剣に考えてくれてる?」
サエリはもどかしそうに身を振る。
「だが、どうしようもないんだ。君の親しい者たちがひどく心配しているだろうことは、もちろんわかるが」
「だから、玉よ。通信の玉。バッグを落としてきちゃったのは、まずかったけど、通信の玉を残してこれたんだもの、よかったかもしれない。ねぇ、アーク、どうやって通信の玉を使って連絡を取るの?」
「サエリ…利器は魔力を持たない者には使え…」
「どうして? 私は使えたわ。みんなも使えるはずよ」
アークは思わず大きく息を吸って止めた。
そのとおりだ。どうしてそのことに気づかなかったのだろう。
息を勢いよく吐き出し、首を横に振る。
「そうだったな。君の種族は利器を使えるのだろう」
「連絡できるのね。連絡できたら、もう安心して眠れるわ」
「サエリ、少し待っていてくれ。すぐ戻る」
アークは即座にテレポし、両親の部屋の前に立った。
扉を叩くとすぐに父親は顔を出した。
「どうした。娘に何かあったか?」
「いえ、そうではありませんが。少し話が」
ゼノンの書斎に入ると、アークはすぐさま話を切りだした。
「実は、サエリに渡した通信の玉が、向こうにあるようなのです。それで彼女は連絡を取りたがっているのですが」
「そうか。サエリの身になれば、当然だろうな。だが、玉の存在を露呈することになる」
「そうなります」
「玉はそれひとつか?」
「はい。通訳の玉を渡しましたが、あれは彼女が身につけたままです。幻をかけてありますが」
「ああ、つけていたな」
「どうしてご存じなのですか」
「魔力の核を作る時にな」
「ああ」
そうだった。ゼノンとポンテルスは、サエリを救うため、彼女の身体に魔力の核を…
「通信の玉だけならば、大した問題もなかろう。だが、問題が生じたらすぐに破壊する」
「それは父上がということですか?」
「ああ、そうだ」
ゼノンの言葉は偽りではない。
サエリの国にある通信の玉、父はそれを感じ取り、この場にいて破壊することができるに違いない。
父の力は、アークにも計り知れない。
たぶんゼノンは…サエリの国にも飛べるのだろう。
アークの作った首飾りがなくとも…
「わかりました。では」
アークは立ち上がった。
「アーク。この国の事はいっさい口にせぬよう、気をつけてくれ。それと、手短にな」
無言で頷いたアークは、すぐに書斎を後にした。
「お母さん。お母さん。誰かいないの?」
沙絵莉は、アークが手にしている首飾りに向けて必死に呼びかけた。
だが、なんの返事もない。
沙絵莉はがっかりした。
やはり駄目なのか。
あの玉がどこにあるかわからないのだ。
けれど、沙絵莉が消えたあの場には由美香と泰美がいたのだし、ふたりが絶対に拾ってくれたはずだ。
もし沙絵莉のものだとすぐにはわからなくても、中を確認すれば沙絵莉のものだと確実にわかるはず。
だって携帯も入っているのだ。そして、それを使えば、沙絵莉の母とも連絡を取れるはずだ。
沙絵莉のバッグは、きっと母のもとに届いている。
お母さん…どうしてるだろう?
昨日の出掛けの母とのやりとりを思い出し、沙絵莉は胸が詰まった。
『もし…私がいなくなっちゃったら…お母さん、悲しむ?』
あんな会話しちゃったその日に、娘が消えちゃったなんて…
『何言ってんの! 縁起でもないこと言って! 家を出る時に言う言葉じゃないわよっ!』
母の言葉が頭の中でわんわん響き、沙絵莉は耐え切れず、くしゃりと顔を歪めた。
「お母さん、お母さん、聞こえない。私よ、沙絵莉。返事してよぉ…お願いだから…」
泣きそうになりながら、玉に呼びかけていた沙絵莉は、アークが肩に手を置いてきて、顔を上げた。
心配そうなアークの瞳を見つめていた沙絵莉は、堪えきれずに涙を零した。
「アーク…返事してくれない。どうしよう…お母さん…」
「サエリ。こちらの声が聞こえていても、相手が玉を手にしなければ、向こうの声はこちらには聞こえないんだ」
「そ、そうなの?」
涙を拭いた沙絵莉は、今度は玉を手に取ってくれるように何度も呼びかけた。
誰でもいいから、玉を手にしてくれるようにと…必死に祈りながら。
けれど、いつまで経っても返事は来ない。
隣に座っていたアークが、慰めるように軽く抱きしめてきた。
沙絵莉は、その慰めにすがるように彼に身を預けた。
「アーク、まだ、いい?」
通信は手短にと最初にアークに言われていたことを思い出し沙絵莉は、不安になりながら尋ねた。
「ああ、いいさ。ともかく返事をもらえるまで、根気よく呼びかけてみよう」
アークの言葉に沙絵莉はほっとし、頷いたが、呼びかけを続けるということは、アークの魔力を使い続けるということのはず。
魔力を回復してもらわなきゃならないのに…
でも、母とはなんとしても連絡を取りたい。
帰るのが遅くなってしまうとしても…
それから、玉に向けて時々呼びかけては、返事を待つ状況が続いた。
気持ちが落ち着かない沙絵莉は、無意識に指先で膝を叩いていた。すぐ隣に座っているアークの膝を。
「わ…きれい」
その小さな呟きは突然聞こえた。
沙絵莉はびくりと身を震わせ、アークの膝をぎゅっと掴み、「誰?」と大声で呼びかけた。
「きゃっ」という叫びが聞こえた。
どうやら相手は、沙絵莉の声にびっくりさせられたらしい。
沙絵莉は慌てて話しかけた。
「私よ、私。誰なの? 答えて」
繰り返し話しかけるが、何も返事がない。
「ねぇ、お願い、答えて!」
「サエリ、玉を掴むように言うんだ。たぶん、玉を放してしまったんだ。
「そ、そう? あ、あの、あのね、玉を手に取って欲しいの。お願い、玉を手に取って!」
沙絵莉は請うように叫んだ。
「この玉…なあに? どうして沙絵莉お姉ちゃんの声がするの?」
陽奈だ。間違いなく、陽奈の声。
安堵が湧いて力が抜けた。
ふらついた沙絵莉の身体を、アークがさっと支えてくれた。
「陽奈ちゃんなのね。いい、その玉を離しちゃだめよ。声が聞こえなくなるから」
「お姉ちゃんどこにいるの。ふぁあー」
「陽奈ちゃんは、いまどこにいるの? 家?」
「うん、そう。陽奈ね、眠くって…。あのね、お姉ちゃんのこと、みんな捜してるんだよ。どこにいるの? 警察のひとも家に来てねえ…」
警察のひとという話に、沙絵莉は青くなった。
ひとが行方不明になれば、当然そういうことになるんだろうが…
現実に聞くと、かなりびびるものがある。
「ねえ、陽奈ちゃん。お母さんはそこにいないの?」
「いる。けど疲れて寝てるの。俊彦パパが起こしちゃいけないって」
「そ、そう。ねぇ、警察のひとっていまもいる?」
「ううん。いないよ」
意味がないのだが、ちょっとほっとした。
また後で連絡なんてことはしたくないし、なんとか母を起こしてもらいたいが…
「サエリ、声がしたようだぞ」
アークに言われ、沙絵莉は耳をそばだてた。
「あ、俊彦パパ。お姉ちゃんだよ」
「どうした? 変な夢でも見たのかい?」
遠くでぼそぼそ言っている程度の声だが、どうにか聞き取れた。
「違うよー。沙絵莉お姉ちゃんなの、ほら」
「なんだ。沙絵莉ちゃんのじゃないか。お姉ちゃんの持ちものを勝手に…」
玉に触れたのか、最後の方の俊彦の声が、はっきりと聞こえた。
沙絵莉はここぞとばかりに話しかけた。
「おじ様。俊彦おじ様。私です、沙絵莉です」
返事がない。まさか、俊彦も驚いて玉を投げ捨てたのだろうか?
「おじ様。聞こえてます。私、いま…えーっと、かなり遠いところにいるんです。それで、いますぐには帰れそうもなくて…。でも元気ですから。心配かけてごめんなさい。おじ様、聞こえてます?」
「サエリ、玉を持つように言わないと」
アークに耳元で囁かれ、沙絵莉は顔をしかめた。
そ、そうだった。わたしってば…焦りすぎちゃって…
「俊彦おじ様。玉を手に持って欲しいんですけど」
「聞こえてるよ、お姉ちゃん。俊彦パパ、これ持ってなきゃ駄目なんだって」
「う、ああ。わ、わかった。それで、なんなんだい、これは?」
「通信できるの。まあ携帯電話の一種で」
「ライトじゃなかったのかい。新開発の」
沙絵莉は顔をひきつらせた。
昨日、そう言って誤魔化したんだった。
「い、いろいろと多機能付きで…。あの、お母さんを安心させて欲しいんです。私は大丈夫だって、お願いね、おじ様」
「わかった。沙絵莉ちゃん、悪い奴に連れ去られたってわけではないんだね? 身動きできないように閉じ込められているとか、そんなことは…」
「ないです。まったくないです。安心して下さい。それじゃ、また後で連絡しますから」
沙絵莉は焦りながら言った。
アークが魔力を使いすぎないようにしなきゃならないのだ。
もうずいぶん長い時間、魔力を使わせてしまったはず。
「ああ、必ずだよ」
「はい。あのっ、お母さんをよろしくお願いします」
アークが手にしている首飾りの眩しい輝きが消えた。
沙絵莉はアークを見上げ、感謝を込めた笑みを浮かべた。
「アーク、ありがとう」
大きな安堵を感じて気が抜けたせいなのか、急に身体中の力が抜けてしまい、沙絵莉はアークにもたれかかった。
頭が重い、それに身体も重くてだるい…なんだか、行き倒れたときと似ているかも…
そう考えた瞬間、沙絵莉は意識を失っていた。
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