白銀の風 アーク

第九章

第六話 覚悟



目の前に誰かがいる。

沙絵莉は、目を眇め、それが誰だか見極めようとした。

「あなたなの? いま笑ったの、あなたでしょう?」

沙絵莉は少しずつ輪郭がはっきりしてくる相手に問いかけた。

やっぱり…

沙絵莉ではない、『沙絵莉』だ。いまのは、この『沙絵莉』の笑い声だったのだ。

こんなところで笑い出したりするから…

アークも彼の父親も大賢者たちも、聞こえていなかったようで、ひどく恥ずかしい思いをしたのに…

沙絵莉は『沙絵莉』から視線を外し、周りに目を向けた。

あらっ、みんなはどこに?

いつの間にか、みんないなくなってしまっている。

『沙絵莉』とふたりきりだ。

「あの、みんな、どこに行ってしまったの?」

「大事な局面よ。沙絵莉」

沙絵莉は眉をひそめた。

質問には答えてくれないし、『沙絵莉』が何を言っているのかわからない。

「あの…大事な局面って?」

「貴方、アークに色々見せてもらったわね。どう、魔法への興味が膨らんだ?」

「それは…もちろん。とっても凄いって思うし」

「まあ、魔力というのは特別なものではなくて、どこにでも存在しているものなのだけど…ただ、貴方が生まれた世界とは、力の使い方が違うだけ」

「そうなの?」

この『沙絵莉』は、なぜか両方の世界を良く知っているようだ。

「あの…貴方は…私じゃないの?」

沙絵莉の問いに、『沙絵莉』は愉快そうに笑い出した。

「もちろん、私は貴方よ」

「でも、貴方は私の知らないことを知ってるし…それって…」

「そうね…貴方と私には別々の部分もある。沙絵莉」

「なに?」

「貴方は、覚悟しなければならなくなったわ」

「か、覚悟? あの、なんの?」

「生き続けるために…」

沙絵莉はパチパチと瞬きした。

「道は間違っていない。でも…貴方はそう思わないかもしれない」

「あの、いったいなんのことを言ってるの?」

もどかしさに駆られ、沙絵莉は叫んだ。

『沙絵莉』はいま、とても重大なことを語っているとわかる。なのに沙絵莉は、なんのことやら理解できないのだ。





「急いだほうが良いな」

意識を無くしたサエリを抱きかかえたアークは、父親の言葉に顔を上げた。

「父上?」

アークの呼びかけにゼノンは無言で頷く。

「私の部屋に連れて行く。ポンテルス」

ポンテルスに顔を向けることなく、ゼノンは言い、サエリを抱きしめているアークごとテレポした。

「そのソファに」

父に頷き、アークはソファにサエリを横たえた。

「魔力が、核に貯蔵できる限界点を超えつつある」

父の説明にアークは極度の緊張を感じ、ごくりと唾を呑み込んだ。

「空っぽの玉で作った核だから、許容量に限界があるということですか?」

「いや、そんなことはない。…娘の魔力の量が、先ほど一瞬にして膨れ上がったのだ。ポンテルス?」

「私もそう思いましたれば…サエリ様が耳にされた声と、関係があると思えますがの」

「そのようだな」

アークは眉をひそめた。

サエリが聞いた声と、魔力が一気に増幅したことと関係が?

「いったい彼女は誰の声を聞いたとおっしゃるんです?」

「アーク、急がねば」

催促するような呼びかけに、アークはサエリに向いた。

そうだ、いまはサエリの身体のほうだけに、集中すべきだ。

魔力が膨張しすぎて核が粉々にはじけとびでもしたら、大変なことになる。

「ポンテルス、何をどうやれば?」

問いかけたアークに、ポンテルスはいつもと同じ鷹揚に微笑む。どんな状況になっても、ポンテルスは切羽詰った表情になったりしないらしい。

「まずは、貴方様独自の力で、サエリ様の核を包み込むのですじゃ」

「私独自…それは…」

アークは彼の横に立っているゼノンと、思わず目を合わせた。

ポンテルスの言う独自の力…それは聖なる力のことに違いない。

アークを見つめてゼノンが頷き、ポンテルスに向く。

「それから、どうすればいい?」

「サエリ様の核が、アーク様の力に馴染んだところで、アーク様の魔力を均等に注ぎ込めばよいのですじゃ」

「均等に?」

「均等に」

鷹揚に微笑んで言うが、ポンテルスの言う均等にと言う言葉には、重みがあった。

つまり、あくまでも、注ぎ込む魔力は均等でなければならないということなのだ。

それがどんなに難しいことか、口にしたポンテルスも、ゼノンもわかっている。

もちろん、それを実行しなければならないアークは、誰よりも自分に課されたことの困難さを感じている。

「多少でも歪みがあったら?」

「それは…良い結果を得られぬでしょうのお」

「それによる弊害は?」

「こんなことは例がありませねば…結果が出ねばわからぬこと」

荷の重さに、アークは思わず肩を落とした。

「それでもやらねばならん。アーク」

アークの肩に手を置き、ゼノンは力づけるように言う。

「核を取り除くほうが、良いのではありませんか?」

「無理ですじゃ。取り除くことはできませぬ。すでに核はサエリ様の身体に溶け込んでおりますゆえ」

アークはゼノンの目を見つめ返した。ゼノンが頷く。

やるしかないのだ、サエリのために。

「わかりました」

アークは自分を奮い立たせようと、右手をぐっと握り締めた。

ゼノンはアークの肩に手を置いたままだ。

「ポンテルス」

ゼノンの呼びかけの意味を悟り、ポンテルスはすぐに頭を下げこの場から去った。

その瞬間、父のシールドが、周りを囲うのを感じる。

「父上、ポンテルスには、いてもらったほうが良かったのではありませんか?」

ゼノンは、否定して首を振る。

「何事があろうと、聖なる力は他者には晒せぬ」

父より、子どものころから言われ続けていることだが…

「ふたりでやれるでしょうか?」

「アーク、お前がこれからやろうとしていることは…」

そこまで口にしたゼノンは、ためらうように言葉を止めてしまった。

「父上?」

眉を寄せたゼノンは、アークに答えず、サエリに目を向ける。そして、じっと観察するように見つめ続ける。

サエリは、意識のない状態で、苦しげな息をしている。ここに連れて来たときよりも、明らかに悪化している。

「父上? 早く手を打たなければならないのでは?」

「いいかアーク。ポンテルスの策は、お前とサエリの魔力を、互いの核の中で融合させるというものなのだ」

「互いの魔力の核の中で、融合?」

「お前の魔力を得れば、サエリの魔力は秩序を持つことだろう。そしてお前の魔力の導きにより、核から魔力を取り出すことも、本能的に出来るようになるかもしれぬ」

「それならば、早く…」

「だが!」

サエリに手を伸ばそうとしたアークの手首を、ゼノンが掴む。

「父上、何か問題があるのですか?」

秒を刻むごとに容態が悪くなっているサエリを気にしながら、アークは早口に問いかけた。

もう思案している猶予などないはずなのに…どうして父は…?

「ポンテルスはあえて言わなかったが…魔力の融合は、婚儀を終えた初夜に行なうものなのだ」

「は、はい? 初夜?」

目をぱちくりさせながら、アークは父に問い返した。

「魔力の融合をした男女は、夫婦と見なされる」

「ち、父上…」

アークは唖然として父を見つめた。

「ですが、それをやらなければサエリを救えないのでしょう?」

「そうだ」

「そ、それなら…選択の余地はないではありませんか」

「そのとおりだ。だが、サエリを救うためとはいえ、サエリの同意を得ずに行なうことになるのだぞ」

そういうことか。

父は彼に、すべて受け入れた上で、ことを行なえといいたいのだ。

「わかりました」

アークは力強く頷き、サエリに向けてゆっくりと両手をかざした。





『沙絵莉』が、すーっと目の前にきた。

「来るわ…拒まないで受け入れて…」

呟くように言いながら、『沙絵莉』は、沙絵莉の中に溶け込んだ。

えっと思った瞬間、ふわっと温かなものが胸に触れた。

沙絵莉はぴくりと眉を動かした。

はっ…

思わず喘ぐ。

胸の中がぐわっと膨らむ感覚、そしてこれまで感じたことのない細かな振動が加わり、胸のあたりが小刻みに震え始めた。

はあっ…

快感といえる甘い味わいが胸から全身へと広がる。

何もない空間に放り込まれたように思えた。

身体は浮かんでいるのにとても安定していて、言いようのない安らぎを感じる。

ゆっくりと右へ、いや左だろうか…身体が回転している気もする。

「サ、サエリ…」

切羽詰ったようなアークの声が聞こえた。

けれど、恐れや悲しみを含んだものではない。

耳に甘く聞こえた。とても甘く…

沙絵莉は至福の笑みを浮かべ、「アーク…」と囁き返した。


パチリと目が開いた。目の前にアークの顔があった。

「どうかな、気分は?」

そう声をかけてきたのはアークの父ゼノンだった。アークの背後にいるようだ。

だがアークは、沙絵莉を見つめるばかりで何も言わない。

ただ、何があったのか、激しい運動をしたかのように息を弾ませているし、とても上気した顔をしている。

そう思った沙絵莉は、自分もまた彼に負けないくらい頬が上気している事実に気づいた。心臓もバクバクしている。

いったい?

沙絵莉は戸惑いながら、熱いくらいに火照っている頬に手のひらを当てた。

…何が、あったのだろう?






   
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