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第六話 覚悟
目の前に誰かがいる。
沙絵莉は、目を眇め、それが誰だか見極めようとした。
「あなたなの? いま笑ったの、あなたでしょう?」
沙絵莉は少しずつ輪郭がはっきりしてくる相手に問いかけた。
やっぱり…
沙絵莉ではない、『沙絵莉』だ。いまのは、この『沙絵莉』の笑い声だったのだ。
こんなところで笑い出したりするから…
アークも彼の父親も大賢者たちも、聞こえていなかったようで、ひどく恥ずかしい思いをしたのに…
沙絵莉は『沙絵莉』から視線を外し、周りに目を向けた。
あらっ、みんなはどこに?
いつの間にか、みんないなくなってしまっている。
『沙絵莉』とふたりきりだ。
「あの、みんな、どこに行ってしまったの?」
「大事な局面よ。沙絵莉」
沙絵莉は眉をひそめた。
質問には答えてくれないし、『沙絵莉』が何を言っているのかわからない。
「あの…大事な局面って?」
「貴方、アークに色々見せてもらったわね。どう、魔法への興味が膨らんだ?」
「それは…もちろん。とっても凄いって思うし」
「まあ、魔力というのは特別なものではなくて、どこにでも存在しているものなのだけど…ただ、貴方が生まれた世界とは、力の使い方が違うだけ」
「そうなの?」
この『沙絵莉』は、なぜか両方の世界を良く知っているようだ。
「あの…貴方は…私じゃないの?」
沙絵莉の問いに、『沙絵莉』は愉快そうに笑い出した。
「もちろん、私は貴方よ」
「でも、貴方は私の知らないことを知ってるし…それって…」
「そうね…貴方と私には別々の部分もある。沙絵莉」
「なに?」
「貴方は、覚悟しなければならなくなったわ」
「か、覚悟? あの、なんの?」
「生き続けるために…」
沙絵莉はパチパチと瞬きした。
「道は間違っていない。でも…貴方はそう思わないかもしれない」
「あの、いったいなんのことを言ってるの?」
もどかしさに駆られ、沙絵莉は叫んだ。
『沙絵莉』はいま、とても重大なことを語っているとわかる。なのに沙絵莉は、なんのことやら理解できないのだ。
「急いだほうが良いな」
意識を無くしたサエリを抱きかかえたアークは、父親の言葉に顔を上げた。
「父上?」
アークの呼びかけにゼノンは無言で頷く。
「私の部屋に連れて行く。ポンテルス」
ポンテルスに顔を向けることなく、ゼノンは言い、サエリを抱きしめているアークごとテレポした。
「そのソファに」
父に頷き、アークはソファにサエリを横たえた。
「魔力が、核に貯蔵できる限界点を超えつつある」
父の説明にアークは極度の緊張を感じ、ごくりと唾を呑み込んだ。
「空っぽの玉で作った核だから、許容量に限界があるということですか?」
「いや、そんなことはない。…娘の魔力の量が、先ほど一瞬にして膨れ上がったのだ。ポンテルス?」
「私もそう思いましたれば…サエリ様が耳にされた声と、関係があると思えますがの」
「そのようだな」
アークは眉をひそめた。
サエリが聞いた声と、魔力が一気に増幅したことと関係が?
「いったい彼女は誰の声を聞いたとおっしゃるんです?」
「アーク、急がねば」
催促するような呼びかけに、アークはサエリに向いた。
そうだ、いまはサエリの身体のほうだけに、集中すべきだ。
魔力が膨張しすぎて核が粉々にはじけとびでもしたら、大変なことになる。
「ポンテルス、何をどうやれば?」
問いかけたアークに、ポンテルスはいつもと同じ鷹揚に微笑む。どんな状況になっても、ポンテルスは切羽詰った表情になったりしないらしい。
「まずは、貴方様独自の力で、サエリ様の核を包み込むのですじゃ」
「私独自…それは…」
アークは彼の横に立っているゼノンと、思わず目を合わせた。
ポンテルスの言う独自の力…それは聖なる力のことに違いない。
アークを見つめてゼノンが頷き、ポンテルスに向く。
「それから、どうすればいい?」
「サエリ様の核が、アーク様の力に馴染んだところで、アーク様の魔力を均等に注ぎ込めばよいのですじゃ」
「均等に?」
「均等に」
鷹揚に微笑んで言うが、ポンテルスの言う均等にと言う言葉には、重みがあった。
つまり、あくまでも、注ぎ込む魔力は均等でなければならないということなのだ。
それがどんなに難しいことか、口にしたポンテルスも、ゼノンもわかっている。
もちろん、それを実行しなければならないアークは、誰よりも自分に課されたことの困難さを感じている。
「多少でも歪みがあったら?」
「それは…良い結果を得られぬでしょうのお」
「それによる弊害は?」
「こんなことは例がありませねば…結果が出ねばわからぬこと」
荷の重さに、アークは思わず肩を落とした。
「それでもやらねばならん。アーク」
アークの肩に手を置き、ゼノンは力づけるように言う。
「核を取り除くほうが、良いのではありませんか?」
「無理ですじゃ。取り除くことはできませぬ。すでに核はサエリ様の身体に溶け込んでおりますゆえ」
アークはゼノンの目を見つめ返した。ゼノンが頷く。
やるしかないのだ、サエリのために。
「わかりました」
アークは自分を奮い立たせようと、右手をぐっと握り締めた。
ゼノンはアークの肩に手を置いたままだ。
「ポンテルス」
ゼノンの呼びかけの意味を悟り、ポンテルスはすぐに頭を下げこの場から去った。
その瞬間、父のシールドが、周りを囲うのを感じる。
「父上、ポンテルスには、いてもらったほうが良かったのではありませんか?」
ゼノンは、否定して首を振る。
「何事があろうと、聖なる力は他者には晒せぬ」
父より、子どものころから言われ続けていることだが…
「ふたりでやれるでしょうか?」
「アーク、お前がこれからやろうとしていることは…」
そこまで口にしたゼノンは、ためらうように言葉を止めてしまった。
「父上?」
眉を寄せたゼノンは、アークに答えず、サエリに目を向ける。そして、じっと観察するように見つめ続ける。
サエリは、意識のない状態で、苦しげな息をしている。ここに連れて来たときよりも、明らかに悪化している。
「父上? 早く手を打たなければならないのでは?」
「いいかアーク。ポンテルスの策は、お前とサエリの魔力を、互いの核の中で融合させるというものなのだ」
「互いの魔力の核の中で、融合?」
「お前の魔力を得れば、サエリの魔力は秩序を持つことだろう。そしてお前の魔力の導きにより、核から魔力を取り出すことも、本能的に出来るようになるかもしれぬ」
「それならば、早く…」
「だが!」
サエリに手を伸ばそうとしたアークの手首を、ゼノンが掴む。
「父上、何か問題があるのですか?」
秒を刻むごとに容態が悪くなっているサエリを気にしながら、アークは早口に問いかけた。
もう思案している猶予などないはずなのに…どうして父は…?
「ポンテルスはあえて言わなかったが…魔力の融合は、婚儀を終えた初夜に行なうものなのだ」
「は、はい? 初夜?」
目をぱちくりさせながら、アークは父に問い返した。
「魔力の融合をした男女は、夫婦と見なされる」
「ち、父上…」
アークは唖然として父を見つめた。
「ですが、それをやらなければサエリを救えないのでしょう?」
「そうだ」
「そ、それなら…選択の余地はないではありませんか」
「そのとおりだ。だが、サエリを救うためとはいえ、サエリの同意を得ずに行なうことになるのだぞ」
そういうことか。
父は彼に、すべて受け入れた上で、ことを行なえといいたいのだ。
「わかりました」
アークは力強く頷き、サエリに向けてゆっくりと両手をかざした。
『沙絵莉』が、すーっと目の前にきた。
「来るわ…拒まないで受け入れて…」
呟くように言いながら、『沙絵莉』は、沙絵莉の中に溶け込んだ。
えっと思った瞬間、ふわっと温かなものが胸に触れた。
沙絵莉はぴくりと眉を動かした。
はっ…
思わず喘ぐ。
胸の中がぐわっと膨らむ感覚、そしてこれまで感じたことのない細かな振動が加わり、胸のあたりが小刻みに震え始めた。
はあっ…
快感といえる甘い味わいが胸から全身へと広がる。
何もない空間に放り込まれたように思えた。
身体は浮かんでいるのにとても安定していて、言いようのない安らぎを感じる。
ゆっくりと右へ、いや左だろうか…身体が回転している気もする。
「サ、サエリ…」
切羽詰ったようなアークの声が聞こえた。
けれど、恐れや悲しみを含んだものではない。
耳に甘く聞こえた。とても甘く…
沙絵莉は至福の笑みを浮かべ、「アーク…」と囁き返した。
パチリと目が開いた。目の前にアークの顔があった。
「どうかな、気分は?」
そう声をかけてきたのはアークの父ゼノンだった。アークの背後にいるようだ。
だがアークは、沙絵莉を見つめるばかりで何も言わない。
ただ、何があったのか、激しい運動をしたかのように息を弾ませているし、とても上気した顔をしている。
そう思った沙絵莉は、自分もまた彼に負けないくらい頬が上気している事実に気づいた。心臓もバクバクしている。
いったい?
沙絵莉は戸惑いながら、熱いくらいに火照っている頬に手のひらを当てた。
…何が、あったのだろう?
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