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第2話 クリスマスの予定
仕事に集中していた澪は、目の疲れを感じて、ようやく顔を上げた。
ふうっ。
瞬きを忘れすぎてたかも……
目薬を取り上げ、目に差してから、パチパチと瞬きする。
そのとき、インターフォンが鳴った。
時間的に、道隆が帰ったのに違いない。
澪は飛ぶように立ち上がり、喜び勇んで玄関に向かった。
十二月に入ってからの道隆は、平常よりも仕事が忙しいようで、八時より早く帰って来たためしがない。けど、今日は、まだ七時半だ。
「フカミッチー、お帰りなさーい!」
入ってきた道隆に飛びついて、抱きしめる。
「おっと」
澪の行動を予想していたのか、彼はやすやすと澪を受け止めてくれた。
「大歓迎してもらえて嬉しいな」
くすくす笑いながら道隆が言う。
「だって、いつもより早かったから、嬉しくって」
もうウキウキしてしまって、落ち着いていられない。
「フカミッチー、先にご飯にする? それとも、お風呂が先がいい?」
夕食は、しっかり準備できている。あとは温めればいいだけ。
答えを待つが、道隆は微妙な顔で黙り込んでいる。
「フカミッチー?」
「いや……なあ、澪。やっぱり、ふたりきりのときも、道隆って呼んでほしいな」
懇願するように言われ、澪は唇をすぼめた。
そのことか。
ふたりでいるときは、フカミッチーと呼んでもいいとお許しをもらったのだけど……道隆は、できれば名前で呼んでほしいらしい。
けど、道隆って呼ぶの、照れちゃうんだよね。
フカミッチーのほうが、だんぜん呼びやすい。
「そんなに嫌?」
しょぼんとして尋ねたら、道隆が弱った顔をする。
視線を落としたら、ふわりと抱きしめられた。
「まあ、いいか」
少し諦めの混じった声で言われ、道隆の胸に頬を寄せていた澪は、顔を上げて道隆と目を合わせた。
「みっちょんとかなら、変更可能かも」
考え抜いたあげく、真面目に言ったら、道隆の表情が何とも言えないものに変わった。そして、痛そうな顔で彼は目を閉じた。
「え、えっと……」
みっちょんは、そんなにダメだったのか?
「澪」
「は、はい」
「究極の選択だが、フカミッチーのほうがまだいい」
究極の選択?
フカミッチーのほうがまだいいとは……
みっちょんは、道隆にとって最悪の呼び名だったらしい。
かわいいのに……
「澪、いずれは、道隆って呼んでくれよ」
頼み込むように言われてしまい、澪は思わず頷いた。
すると、道隆は「よし」と頷く。
そして、軽く唇を合わせてきた。
ふわっと触れた道隆の唇の感触に、甘くぞわっと震えが走る。
「ほっぺたが赤くなった」
頬をつんつんと突いて、道隆は楽しそうに指摘する。
どうも澪の頬は赤くなりやすいのだ。
赤くなるのをとめたくても、一瞬にして真っ赤になっているのだから、どうしようもない。
「美味しそうだ。……食べたくなるな」
そう囁くように言いながら、道隆は澪に顔を寄せてくる。
「フカ……」
そこまで口にしたところで、頬を舐められた。
わわっ!
ざらりとした舌の感触に、鳥肌が立ってしまう。
「うん。甘いな」
「あ、甘いわけないし」
「いや、甘い。澪はどこもかしこも甘い」
澪に言わせれば、道隆の声の方がよっほど甘いと思う。
「み、道隆……」
焦って名を呼んだら、道隆がじっと見つめてきた。
思わず目を見返す。
道隆は、澪の着ているブカブカのTシャツの襟に指をひっかけた。
えっ、と思ったら、くいっと手前に引っ張られる。
胸元が大きく開き、澪が驚くより早く、彼は胸のふくらみに唇をつけた。
「それじゃ、先に風呂にしようかな」
顔を上げた道隆は楽しそうに口にし、さっさと居間に向かって歩いて行ってしまう。
あーっ、もおっ、ドキドキさせてぇ。
心臓が破裂しちゃいそうだった。
でも……
道隆の唇が触れたところに、そっと指で触れた澪は、込み上げてくるしあわせを噛みしめたのだった。
道隆がお風呂に入り、夕食の準備をしていた澪は、ソファの上に置いてあるものに気づいた。
なんだろ?
フカミッチーが持って帰ってきたんだよね?
こんなの、なかったし。
手に取ってみた澪は、思わず「わっ」と声を上げてしまった。
「きれいー♪」
クリスマスのイルミネーションだ。
フカミッチー、もしかして、ここに連れてってくれるのかな?
すでに開催されていて、日によって、色んなイベントが催されるらしい。
クリスマスイブに、こういうところにふたりで行けたら最高かも。
いいなーっ。
二枚目を見て見たら、これもまたイルミネーション。
その次もそうで、場所によってイルミネーションの雰囲気はまるで違い、どこもかしこも行ってみたくなる。
それから夜景の素敵な場所もピックアップされていた。
行ってみたいところばかりだ。迷う~っ。
フカミッチー、どこに連れてってくれるんだろう?
もう決めてるのかな?
それとも、わたしに選ばせてくれるのかな?
にまにましながら、最後の一枚に目を通した澪は、あれっと首を傾げた。
「大学のクリスマスパーティー?」
これって、誰でも参加できるの?
大学なんて、澪の人生には関わりのない場所。
生まれてこの方、一度も行ったことがない。
そのため、ものすごーく興味が湧く。
しかも、クリスマスパーティーだ。
大規模なパーティーなんて、わたし、経験がないし……
これって、フカミッチーの通っていた大学なのかな?
大学の名を確認して、そうではないことがわかった。
この大学、知ってる!
宮島大成君の通ってる大学だぁ。
大成は、澪と道隆が住んでいるマンションの上の階の住人である、宮島さんの弟なのだ。
彼は、澪が仲良くしている源次郎と仲が良くて、その関係で、澪と道隆は彼と親しくなった。
へえっ。大成君の通っている大学かぁ。
大学なんて、わたし、一生縁がなさそうだし……どんなところなのか一度くらい行ってみたいなあ。
そんなことを思いながら、パンフレットの詳細を読んでみたら、ドレスアップして参加することになっているようだった。
しかも、一般の参加もオッケー。
チケットさえ買えば、誰でも参加できるのだ。
ドレスアップか。いいかも。
このところ、イラストのお仕事は順調で、充分蓄えがある。
ちょっと奮発してパーティードレス買っちゃおうか。
考えるだけでわくわくしてきた。
するとそこに、風呂から上がった道隆が戻ってきた。
「フカミッチー、これこれ、ここに連れてってくれるの?」
「ああ、澪の好きなところを選ぶといい。どこでも連れてってあげるよ」
その寛大な言葉に、嬉しさのあまり、澪はぴょんと飛び上がった。
「わあっ、ありがとう! それじゃ、今度のお休みに、ドレスを買いにいかなきゃ」
「ドレス?」
訝しげに口にする道隆に、澪は頷いた。
「ほら、ここ。わたし、このパーティーに行きたい」
きゅっと眉を寄せた道隆は、澪の差し出しているパンフレットを手に取る。
「ここって、大成君の通ってる大学でしょう?」
そう言うと、道隆は「確かに」と言う。
「けど……澪、こっちのイルミネーションはいいのか?」
「それも行きたいけど……そっちも連れてってくれる?」
もじもじしながらお願いすると、「澪が行きたいなら……」と言ってくれる。
「わあっ、ありがとう!」
道隆の腰に腕を回し、澪はぎゅっと抱きついた。
お風呂上りのいい匂いが鼻孔をくすぐる。
しあわせな感情が、心の中心から溢れ出す。
「……道隆、大好き」
澪は小声で呟いた。
つづく
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