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4 突然の抱擁
着替えを終えた道隆は、クローゼットの扉の裏側についている鏡で、自分の姿を確認した。
うむ。悪いところはどこにもないようだな。ネクタイも完璧。
そこで道隆は少し考え、ネクタイを微妙に歪ませた。
これでよし。澪に直してもらえる。
そんなことを思いながら前を向いたら、鏡に映ったニヤけた自分と目が合った。
一瞬にして気まずくなる。
顔をしかめた道隆は、鏡から視線を反らすと、誤魔化すようにコホンと咳をした。
ネクタイを元に戻そうとしていったん手をかけたが、やめる。
ひとりで何をやってるんだ俺は……
自分に気まずく思うとか……別にいいだろ。
俺は澪に直してもらうのが好きなのだ。それの何が悪い。
自分を睨んでしまったが、また一人芝居をしている自分に、さらに気まずくなる。
やれやれ……俺ときたら……
馬鹿馬鹿しい。やめたやめた。
右手を振り、道隆は腕時計に目をやる。
出かける時間が迫っていた。
そろそろ家を出た方がよさそうだな。
自分の部屋を出た道隆は、澪の部屋のドアに歩み寄った。
寝室は一緒だけれど、それぞれ自分の部屋がある。
澪は家で仕事をしているので、ここを仕事部屋にしていて、彼女の私物もほぼここにある。
そしていま、彼女はパーティードレスに着替えているところ。
今日はこれから、藤原羽歌乃という婦人に招待され、クリスマスパーティーに参加することになっている。
かなりの資産家らしく、澪から聞いた話だと、まるでお城のような屋敷に住んでいるらしい。
金持ちのパーティーとか、正直気が進まない。
行かずにすめばその方がいいのだが、澪の大恩人というのでは行かないわけにはゆかない。
澪の友人である鈴木苺、そして鈴木苺の婚約者だという藤原爽……この藤原爽というのが、羽歌乃の孫らしいが……そのふたりにも今日初めて会うことになる。
澪から聞いたところでは、鈴木苺は澪に似たところがあるようだ。
初対面ではあるが、写真を見せてもらっているので容姿は知っている。もちろん藤原爽の方も……
ふたりは、かなりちぐはぐなカップルだ。
藤原爽の方は、育ちの良さがこれでもかというほどにじみ出ている男。かたや鈴木苺の方は、普通の女の子という感じ。
鈴木苺は親しみやすそうだが、藤原爽はな……
まあ、パーティーに参加させてもらって、澪が満足したところで帰ってくるとしよう。
金持ちの大きなパーティーならば、参加者も相当数に上るんだろうからな。
主催者の藤原羽歌乃は忙しいに違いない。もしも話をする機会があれば、澪が世話になった礼を言わせてもらうつもりだ。
ドアの前で考え込んでいたら、閉じていたドアが突然パッと開いた。
思わずぎょっとしたが、目の前にドレスアップした澪がいて、驚きの表情も笑みに変わる。
「驚いたあ」
目を丸くして澪が叫んだ。
「すまない」
苦笑して謝ったら、澪は笑って首を横に振る。
「開けたらフカミッチーがいるんだもん。ほんとびっくりしちゃった」
澪はクスクス笑いながら言う。
そんな表情も、これまた最高にかわいいわけで……
目尻を垂らして見つめていたら、澪がもじもじし始める。
「あ、あの……それで……ど、どう?」
澪は両手でドレスの裾を広げるようにしつつ、遠慮がちに尋ねてきた。
顎に指をあてて、検分するように見たら、今度は恥ずかしそうに目を伏せるようにする。そのさまがまた可愛い。
しかし、目尻がこれ以上垂れてしまっては、彼女の目に間抜けに見えるに違いない。というわけで、まず表情を戻し、道隆は改めて口を開いた。
「最高にきれいだよ、澪」
檸檬色のドレスは、彼女の白く滑らかな肌が際立ってみえる。
首元には道隆がプレゼントしたネックレスをつけてくれている。
「あ、ありがとう。フカミッチーもすっごい素敵」
褒められて嬉しいんだが……フカミッチーがな。
なるべく名で呼んでほしいと頼んでいるのだが、彼女はなかなか道隆と呼んでくれない。
そんな不満を胸に彼女を見ると、なぜか道隆の額のあたりをじーっと見つめてくる。
なんだ?
「澪、俺の額に変なものでもついているのか?」
額に指先を持っていきつつ尋ねたら、澪は慌てて道隆の手を掴む。
「そ、そうじゃないの。そうじゃなくて……」
「うん?」
答えの先を促すと、澪は困ったように笑う。
「はっきり言ってくれないと、気になるんだが」
「たいしたことじゃないの」
「だとしても、話してくれないか。気になって出かけられない」
催促したら、澪はまた、おずおずとした視線を道隆の額に向けてくる。
いったいなんなんだ? 俺の額がなんでそんなに気になるんだ?
「前髪を垂らしてるから……ほ、ほら、スーツの時の道隆は、いつも前髪を上にかき上げてるでしょう? それと眼鏡してるし」
「ああ」
確かに仕事に行くときは、スーツで眼鏡、前髪も垂らしていない。
「髪を上げた方がいいか?」
「あっ、い、いいの。そのままでも」
そのままでも、か。ということは、上げた方がいいってことなのか?
自分としては、どっちだろうとかまわない。たまたま髪を上げていなかっただけのことだ。
「それじゃ、そろそろ出発しようか?」
「はい」
頷いた澪は、「バッグを取ってくる」と口にし、背を向けようとしてまたこちらに向いた。
そして驚いたことに、道隆に抱き着いてきた。
ぎゅっと抱きしめられる。
突然の抱擁に喜びを噛みしめ、道隆も愛する澪を抱きしめたのだった。
つづく
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