苺パニック


注:こちらのお話は、書籍になるにあたって削除されたものです。
  サイト掲載時のものを、改稿してあります。

  書籍になるにあたって、大きく改稿したために、書籍の内容とは異なっています。
  そのことを踏まえた上で、お楽しみいただけたら幸いです。

                        
その4 ものは試しも、大失敗!



う、うーん。

う、う、うーーん。

う、う、う、うーーーん。

「苺、終わったんですか?」

じっと見つめていたピンクの唇が開き、そう言った。

苺は唇から視線を引き剥がし、唇の主の双眸に目を向ける。

うっ、ぐおっ!

「苺?」

不審そうな呼びかけに、苺はひょっと胃が浮き上がった。

「終わったんですか?」

「ま、まだ……も、もうちょっとですよぉ」

「そうですか」

すでに店長さんとは見えないひとが言い、仕方なさそうに口を閉じる。

なんでなのかなぁ?

苺は店長さんに気取られないように、首を捻った。

悪くはないんだけどさ……

だいたい、オカマさんっぽくなると決め込んでいたわけだから、それからすれば……なんだけどさ。

うーーん。

エ、エロいんだよ!

こんなつもりなかったのに……

なんで、こんなエロい女になっちゃったんだ?

「苺?」

自分のことをじっと見つめているその瞳は、苺の考えている事をすべて見通しているようで、彼女は思わず固唾を呑んだ。

「適当でいいんですよ。この私に化粧が似合うとは、まったく思っていませんし……」

そんなことを言われ、苺はつい否定する。

「い、いえ。似合わないことはないですよ」

「うん?」

「ただ、そのぉ~」

「ただ、なんです?」

「イメージが……ちょっとだけ……そのぉ」

「イメージ?」

苺はこくんと頷いた。

「苺のイメージ通りに、なかなかならなくて……」

「なんだそんなことですか。別に貴女のイメージ通りにならなくても構いませんよ」

いや、そういうことじゃないのだよ、店長さん。

苺は心の中で突っ込みを入れた。

女装した岡島さんは、ナチュラルで清楚なお嬢様風だったのに、店長さんのほうは、セクシーを通り越して、エロっちぃのだ。エロっちすぎるのだ。

そりゃあもう、スペシャルダイナマイト級に!

いまの店長さんに見つめられると、もじもじしちゃって、物凄い恥ずかしさを感じてしまうのだ。

こ、こんな店長さん、正直、誰にも見せたくない!

なぜか、そう思えちゃって……

こうなったら、少し化粧を落としてみるかな。

思案の末、苺は綺麗に塗ったアイシャドーを少し落としてみた。

だ、駄目だ……こんなもんじゃ、なんの変化もない。

「苺、もういいでしょう、これで」

痺れを切らせたらしい店長さんは、立ち上がろうとする。

苺は店長さんにしがみ付くようにして止めた。

「だ、駄目ですってばぁ。もおっ、まだお化粧始めてそんなに経ってないのに、店長さん、気が短すぎですよ」

「すでに三十分過ぎていますよ。苺、貴女は普段何分で化粧を終えています?」

「そ、それは……」

五分かかんないでやっちゃってるけどさ……

「自分に化粧するのは慣れてるですから。けど、ひとにお化粧するのは初めてなんですよ。時間がかかるのは仕方ないですよ」

「わかりました。それでは、あと五分だけ待ちましょう。それ以上はありませんよ」

ご、五分か。

う、うーん……

苺は、お化粧道具が入っている袋を大きく開き、中を物色してみた。

えーっと……なんか、イメージを変えられそうなもの、入ってないかなぁ。

おっ、これいいかも。

苺が取り出したのは、アイリッシュカーラーだった。

彼女自身、名称は忘れてしまっている代物だが、使ったことはある。

高校時代に、友達が学校に持ってきてて、やらせてもらったことがあるのだ。

こいつは、まつ毛をクリンとカールさせるやつ。

すっごい目の印象が変わるんで、面白かった。

ぱっちりおメメになって、みーんなかわいい♪ って感じになるのだ。

よっしゃ、これで店長さんもエロっぽさとおさらば、かわいくなるはず。

苺はアイリッシュカーラーを手に、店長さんに迫っていった。

だがエロっちぃ店長さんときたら、怯えをみせて身を引く。

「苺、なんです、それは?」

訝しそうにアイリッシュカーラーを見て言う。

「ああ、怖がらなくても大丈夫ですよぉ。これでまつ毛を挟んでぐいっとやると、クリンって……」

「そんなことまでする必要はありませんよ!」

拒絶するように店長さんは顔を背ける。

「もおっ。これをやんなきゃ駄目なんですってば」

「駄目? それは化粧にどうしても必要なものだと言うんですか? 貴女も普段から、それを?」

苺はしてないけど……

「ほ、ほら、苺のまつ毛、もうカールしてるんで、だからことさらする必要がないんですよ」

店長さんは、目を眇め、苺のまつ毛をじーっと見つめてくる。

「確かに、カーブしていますね」

「でしょ。だから、店長さんも、こいつでちょっとだけカールさせるんですよ」

苺の説得に、店長さんは渋々ながら応じてくれた。

店長さんのまつ毛は、長さが充分あるから、簡単に挟める。

くいくいっと力を入れ、アイリッシュカーラーを外し、効果を見る……

うっ!

「苺?」

「は、はい?」

「何か問題が起こったようですが……」

「問題なんか起きてませんよ。大成功ですって」

苺は疑われないように平然と宣言した。

けして失敗じゃない。

ただ、まつ毛をカールさせた目が、さっきよりさらにエロっぽさを増しただけ……

おかしいよ。店長さんの顔……

みんな、可愛いって感じになってたのに、なんで店長さんは……

しかし、こいつは不味いな。

カールさせちゃったまつ毛、もとに戻せるならそうしたいところだけど……

どうやって元に戻せばいいんだろう?

水をつけたら戻るのかな?

けど、思わず成功したって言っちゃったし……

う、うん。もう、このまま進むしかない。

「そ、そいじゃ、もう片方もいくですよ」

苺はなんでもなさそうに言い、物凄い後悔に苛まれながら、もう片方もカールさせた。

「ようやく終わりですか?」

終わったと思い込んだようで、店長さんはふうっと息を吐きつつ、ほっとしたように肩から力を抜く。

いや、いや、いや。ここで終われないし。

「も、もう。店長さんってば、せっかちすぎですよ。もうちょっとです」

「は? ……まだなんですか? 今度はなんです?」

い、いかん。超不機嫌になりつつある。

焦りに駆られながら、苺は店長さんの顔を眺めまわした。

やっぱ、口紅じゃないかな?

このピンクの口紅がよくないんだ、きっと。

「口紅の色が、店長さんにマッチしてないと苺は思うんですよ。もっと淡い色にしたほうがいいと思うんです」

「ですが、これしかないのですから……これで構いませんよ」

いやいや、苺は盛大に構うし。

立ち上がろうとする店長さんを、苺は慌てて両腕で抑え込んだ。

「も、もうちょっとですってばぁ」

「先ほどから同じ台詞を繰り返し聞いていますが……貴女のもうちょっとは、もうちょっとではないように思えますが……苺」

そ、そんな刺々しく言わなくても……

「苺はですね。頑張ってるんですよ。男性の店長さんを女性に見せなきゃならないんですから。難しいんですよ」

「ですから、初めから適当でいいと言っているでしょう。もうこれでいい」

眉間に皺を寄せ、さっと立ち上がりそうになった店長さんを、苺はまたまた慌てて引き止めた。

「ですから、ちょっと待ってくださいってば。やっぱりこの口紅ですよ。原因は」

「原因? 原因とはなんです?」

突っ込んで聞かれ、苺はタジタジになる。

「い、いえ……ですからつまり、店長さんには、この色の口紅はちょっとなってことなんですよ」

むっとして目を細めている店長さんに構わず、苺はティッシュで口紅を拭き取った。

「やれやれ、どうやら、よほど私には化粧が似合わないらしい」

それまでの不機嫌さを消し去り、店長さんは愉快そうにくっくっと笑う。

「ですが、別にいいのですよ。この顔を見るのは、貴女以外では、怜だけなのですから」

「えっ? で、でも、ここを出てくとき、みんなに見られますよ」

「大丈夫ですよ。それより、もう一度口紅をつけてください。そうしないと、怜が納得しないでしょうから」

「で、でも……あっ、そうだ。苺のリップクリーム。それがいいかも」

苺は自分のバッグを引き寄せ、中を開けて使いかけのリップクリームを取り出した。

苺がすっぴんのときにつけてる、淡い桃色のリップクリームだ。

「それも口紅ではないのですか?」

「こいつは口紅じゃなくて、ただのリップクリームですよ。けど、ちょっと色がついてるんです。ものは試しでつけてみるですよ」

店長さんはどうでもいいと思ったのか、苺の前におとなしく顔を向けてくれた。

口紅が取れて、ちょっとだけエロっぽさが減っているとはいえ、いまだパッチリおメメで見つめられると、なんともドキドキしてたまらない。

苺は彼女をどぎまぎさせる店長さんの目を見ないように気をつけつつ、唇だけを見つめ、リップクリームを塗った。

「やれやれ、ついに終わったようですね」

ぷるんと光を放つ唇が物憂げに言い、その妖艶な表情に、苺は心臓を打ち抜かれた気分で、笑顔を固めた。

ものは試しも、大失敗だ!





   
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