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その12 急遽変更
こっ、ここは苺がなんとかしなきゃ。
店長さんのピンチを救ってあげなきゃ。
使命感に駆られた苺は、焦りまくって口を開いた。
「あっ、あのですね……こ、このひとは……わたしの勤めてるお店の店長さんでして……」
「店長? いったいなんでこんな姿で出勤してるんだ? ふざけてるのか? なぜ顔を見せない?」
警備員さんは、ますます不審そうに店長さんをねめつける。
すると、店長さんは、「ふーっ」と、憤り混じりとわかるため息をついた。
苺は、胃がひゅっと上がり、超ビビらされる。
店長さんは、ネズミの頭にゆっくりと両手を当てた。
ついに、ネズミの頭が取り去られる。
「あ」
そう小さく叫んだのは警備員さんだ。
女装店長さんを見つめる警備員さんの顔は、なぜかみるみる赤く染まってゆく。
「これは……ど、どうも。あの、証明書をお持ちでしたら、確認をさせてもらえますか?」
どうしたというのか、先ほどまで威圧的だった警備員さんの態度が豹変してしまった。
その声音はずいぶん丁寧で、眼差しもやさしいものに……
うん?
……いや、この目つき、ちょいといやらしいぞ。
いい女に言い寄ろうとしている、好色な男のもの!
そんな警備員さんの変わりように気づいているのかいないのか、むっつり顔の店長さんは、ネズミの手袋を上品な仕草で外した。
そして、黒いカード入れを取り出し、証明書をぞんざいな手つきで警備員さんに提示する。
警備員さんの目はちらりとカードに向いたが、その視線はすぐに店長さんに戻った。
そんなやりとりの間も、このショッピングセンターで働くひとたちが、ぞくぞくと通路を通ってゆく。
おかげででっかいイチゴを抱えた、身体はブチネコな苺も、ネズミな身体の女装店長さんも、少なくない数の注目を浴びる羽目になった。
店長さんは苺に向き、眼差しで行こうと促してきたが、立ち去る直前、警備員さんに、ギンと凄まじい音がしそうな鋭い目を向けた。
女装店長さんの鋭い視線を食らった警備員さんは、まるで衝撃を受けたように少しよろめいた。
店長さんは数歩歩いたところでいったん立ち止まり、ネズミの頭を元通り装着すると、無言のまま歩き出した。
その歩みには、一歩一歩に不穏な響きがある。
『店長さん、岡島さんだけじゃすみませんでしたねぇ』
そんなからかいの言葉が喉元に込み上げ、口から飛び出そうになる。
だが、からかったりしたら、とんでもない目に遭うのは間違いない。
苺は、自分の身を守るために、必死になってからかいを封印したのだった。
お店の裏口のドアの前に辿り着いたところで、ここまでメカのような足の運びで歩いていたネズミ店長さんが、ぴたりと足を止めた。
ビクリとした苺は、瞬間全身を固めてしまい、下げそこねた左足を上げたままの姿勢で店長さんの背中を見つめることになった。
な、な、なんか……店長さんの背中……ビリビリしたもの発してて……明らかに、こ、怖いんですけど……
ブチネコな苺は、店長さんの出方を、ビビりながら見守った。
ゆっくりと店長さんが振り返ってきた。
苺はひょいと飛び退りそうになる気持ちを押さえつけ、ぐっと肩に力を入れ、足を踏ん張った。
完全に店長さんが向き直った。
ネズミの顔がじーっと苺を見つめる。
て、店長さん、なんでなんにも言わないのだ?
ここは、苺が、な、何か言うべきなのか?
作り物のネズミ顔じゃ、表情を窺えず、なおさら怖い。
「え、えっとぉ……あのぉ、お、お店に……入らないんですか?」
苺は、おずおずと問いかけた。
また一秒、二秒、三秒と……悪戯に時が進む。
苺はネコの被り物の中で、顔を引きつらせた。
そのとき、微かながらネズミ顔の中から、息を吐く音が聞こえた気がした。
「鈴木さん」
「は、はい。なんですか?」
「先ほど……」
「はい。先ほど?」
「……」
無言に逆戻りだ。
そして、一秒、二秒、三秒、四秒、五秒、六秒……
「先ほど……警備員に止められて、私がこのネズミの被り物を外した事実がある」
「は、はい?」
「つまり……」
「つまり?」
「つまり……」
「つまり?」
「……」
また無言が始まったと思ったが、次の瞬間、店長さんはネズミの手を拳に固め、もう一方の手に力いっぱい打ちつけた。
にぶい、ぼすっという音がし、店長さんは「つまり」とようやく語り始めた。
「口にしたくないが、私の計画はすでにすべて崩れ去った……」
「あ……計画が? あの、計画ってのは?」
「わからないんですか?」
「す、すみません。苺、わ、わからないみたいでぇ」
冷たく聞かれ、苺はもじもじしつつ答えた。
「はあっ」
大きなため息が聞こえた。そして……
「女装姿を、誰にも見られてはならなかったのですよ。そうでないと、この着ぐるみの意味がなくなる」
そうか。そうだった。
店長さんの計画は、病院を出る時から店長さんが女装姿でやってくると思っている岡島さんの裏をかき、ネズミの着ぐるみ姿で現れ、岡島さんを悔しがらせるはずだったんだ。
「それじゃ、黙ってればいいですよ。岡島さんに知られなきゃ、一緒ですよ」
「そうしようかとも考えましたが……」
ネズミ店長さんは、思案するように腕を組む。
「計画が崩れ去り、汚点がついたいま、さもそんな事実はなかったような顔をして、怜の前で振る舞うことは……やはりできない」
「えっ?」
店長さんは素早くネズミの頭を取り去り、苺に背を向けた。
「苺、背中のファスナーを下げてください」
「ええっ? ほんとに、脱いじゃうんですか?」
「ええ。着ぐるみはもう意味がない」
苺は、ネコの被り物の中で苦笑した。
別にいいのにと思うが、こだわり店長さんだからなぁ。
計画通りにいかなかったのは、どうにも我慢がならないらしい。
苺はこくんと頷き、店長さんの背中のファスナーを下げた。
店長さんはネズミの服を手早く脱ぎ捨て、妖艶な美女姿を現した。
およよ。やっぱし、店長さんの女装は、強烈だぁ。
「苺、貴女ももう必要ありませんよ、脱ぎなさい」
「えっ? 苺はこのままがいいですけど」
苺の言葉に、店長さんは妖艶な表情で、眉を美しくひそめた。
「ネコの姿がそんなに気に入ったのですか?」
「気に入ったとかじゃないけど……できれば岡島さんに見てもらいたいっていうか……この格好で入ってきたら、岡島さん、絶対びっくりするでしょ?」
「ふむ」
どうしたのか、店長さんは急に妖しく笑った。
「店長さん?」
「いいですね。苺、それでいきましょう」
店長さんはキラキラと瞳を輝かせながら言う。
「それでいくって……あの?」
店長さんは、脱ぎ捨てたネズミの着ぐるみを手に取り、たたみ始めた。
「苺、そのネズミの頭をここに置きなさい」
ドア近くの壁際に畳んだものを置き、店長さんが命じてくる。
苺は素直に、ネズミの頭を持ち上げ、言われた通りに重ねておいた。
「では、いきますよ」
そう言った店長さんは、裏口ではなく通路を歩いていく。
「あれっ、お店に入らないんですか?」
「表から行くんですよ」
「はい? 表ってって、宝飾店のってことですか?」
「ええ。開店時間まであと少しですね。時間になるまで、ひと目のないところで、時間をつぶすとしましょう」
スタスタと店長さんが歩き出し、ネコな苺はイチゴを抱え、慌ててついて行った。
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