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その14 残念無念
スタッフルームに入ったら、その途端、店長さんは頭からウイッグを取り去った。
そして、それをテーブルの上に置きながら、「鈴木さん」と呼びかけてきた。
指示された通り、更衣室に向かおうとしていた苺は、足を止めて店長さんに向く。
「はい」
「鈴木さん。それを脱ぐより先に、私のこの化粧を落としなさい」
「もう落としちゃうですか?」
「当然でしょう。こんな姿、もう一秒たりとしていたくない!」
嫌悪を滲ませて店長さんは吠える。
「ええーっ、でも……」
もったいない。
「いいから、さっさと落としなさい!」
そう吠えなくても。と心の中で思いつつ、店長さんに急かされて苺専用の更衣室に入る。
苺はドレッサーに歩み寄り、クレンジングを手に取った。
ソファに腰かけた店長さんに歩み寄りながら、苺はいいことを思いついた。
「ねぇねぇ、店長さん。せっかくだし、落としちゃう前に、記念写真を撮りましょうよ」
苺の提案を聞いた店長さんは、苺を冷たく見つめてきた。
ぞぞっと、背筋に震えが走る。
「早く落とせ、と言っている」
こっ、この口調は……お怒りが、マックス……
ま、まずいっ!
ありえないほど怒らせちゃったらしいよ。
「は、はい。いますぐ」
ビビって返事をした苺は、店長さんと目を合わせずに、近づいた。
クレンジングの蓋を外しつつも、どうにも記念写真を諦めきれない。
「て、店長さん、ちょっと質問してもいいですか?」
「なんです?」
噛みつくように言われ、苺はくじけそうになりつつも、踏ん張る。
怒りをあらわにしながらも、ちゃんと質問を受けつけてくれてるし……聞くだけ聞いてみなきゃ、噛みつかれ損だ。
「また、お化粧したりする機会って……」
「鈴木さん。無駄口を利かず、遊んでいるその手を動かしてはどうです?」
「だ、だって……こんな機会がもうないなら、なおさら記念写真を……」
バン! と、店長さんが物凄い力でテーブルを叩いた。
苺は衝撃を食らったかのように飛び上がった。
「命が惜しくないようですね?」
「そんな怒んないでくださいよ。苺はただ、記念に残しておきたいなって……」
「そんなに笑いものにしたいんですか?」
笑いもの?
「笑ったりしませんよ。ただ、もったいなくて……」
「もったいない?」
「はいです。だって、もう二度と見られないみたいだし……」
「いいですか? 本来、男は化粧などしないのですよ」
店長さんの言葉で、苺の脳裏には女装姿の兄健太がポンと浮かんだ。
くねくねと身体を捻り、どぎつい化粧をした健太が真っ赤な唇を突き出し、むふっと笑う。
げげっ! き、きしょく悪っ!
「た、確かにそうですね。お兄ちゃんの女装なんて見ちゃったりしたら、苺、熱が出て、三日三晩うなされそうです」
いまの妄想だけでも、充分熱が出そうだった。
苺は、気持ちの悪い妄想を必死に頭から追い払った。
けど、剛なら、店長さんや岡島さんくらい綺麗かも。
「熱? そこまで言いますか? それでは、今夜は熱を出すんじゃないでしょうね」
苺は笑いながら手を振った。
「お兄ちゃんは、ぜったい女装なんてしないから、苺も熱を出すことなんてありませんよ」
「いま、私を見ているじゃありませんか?」
「店長さんで熱が出たりはしませんよぉ」
「……それは、他人だからですか?」
むっとしたように店長さんが言い、苺は首を傾げた。
どうしてか店長さん、先ほどまでとは違う種類の不機嫌になったようだ。
「他人とか関係ないですよ。ああ……でも、兄だからってのはあるのかもですね。けど、兄の女装は他人でもだれでも受け入れられないと思いますよ。ほら、藍原さんには悪いですけど、たぶん藍原さんの女装は、苺熱が出ちゃうかもしんないです」
話の流れで思うまま口にしてしまった苺は、藍原さんに対して失礼なことを言ってしまった気がして、気まずくなった。
「あ、あの。店長さん、いまの言葉、藍原さんには言わないでくださいね」
「くくくっ」
急に店長さんが笑い出した。
「要ですか……確かに、彼では女装は無理そうだ」
「似合う人と、似合わない人がいるんですよ」
苺は、笑い出した店長さんにほっとしつつ、言葉を添えた。
少し機嫌が良くなったらしい。
「さあ、苺、話はもういいから、早く落としてくれませんか」
「で、でしたね」
けどなぁ……
「あ、あの。苺、なんでも店長さんの言うこと聞くですから、写メ一枚だけでも……」
「しつこいですね。写真など残したくないに決まっているでしょう。どこで誰に見られるかわかったものではない」
「苺、誰にも見せませんよ。約束しますから」
「どうして、私の女装写真など欲しがるんです」
「だから、もったいなくて……」
「もういい!」
店長さんは、苺が掴んでいるクレンジングを奪い取った。
「ああっ」
「これを? どうすればいいんです?」
「ぬ、塗るんです……」
渋々答えると、店長さんはすぐにクレンジングを顔に塗る。
ぐちゃぐちゃと顔全体に塗りたくり、妖艶な店長さんはあっけなく消えてしまった。
あーあ、記念写真……
「それで?」
店長さんが催促してくる。
残念無念な気持ちを抱え、苺はコットンで拭き取ってあげたのだった。
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