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その19 飽きるまでお付き合い
ラーメン屋についたとき、時刻は一時近かった。
そして駐車場は満杯。
平日の月曜日だけど、この時間はちょうど仕事の合間にお昼を食べるひとで一杯なのだ。
「困りましたね」
店長さんは失望したように言う。
「大丈夫ですよ。もう一時だしピークはすぐに過ぎますって。ちょっと待ってれば、食べ終わったお客さんが出てきて、駐車場も空きますよ」
苺の言葉に納得し、店長さんは車を邪魔にならないところに停めて待つ。
「あのお、店長さん?」
「なんです?」
周囲を見回しながら店長さんは聞き返す。
「今日、予定がいっぱいって、ラーメン屋のほかに、どんな予定があるですか?」
「聞きたいんですか?」
店長さんは気のない問いを向けてくる。上の空って感じだ。
「そ、そりゃ、聞きたいですよ。どこに行くか知らないでいるより……」
「うん? あそこが空きそうだ」
店長さんが嬉しそうに口にする。
店長さんの視線の先に目をやると、確かに仕事着姿のおじさんが、軽トラックに乗り込もうとしている。
あれっ? あれって……?
軽トラはすぐに動き、駐車場の入口辺りにいる苺たちのほうに進んでくる。
「偶然だぁ」
苺は、軽トラの運転手さんに向けて、笑顔で手を振った。
「苺?」
「おじさんですよ。あれ、伊藤のおじさんです」
「伊藤? あ、ああ、本当ですね」
伊藤のおじさんのほうも、苺と店長さんに気づき、驚きの顔をしたあと、楽しそうに笑った。
「こりゃあ、偶然だなぁ」
車を真横に停め、伊藤のおじさんは窓を開けて、愉快そうに声を張り上げる。
「はい。本当に」
店長さんも窓を開け、伊藤のおじさんに返事をする。
「しかし、あんたみたいなおひとが、こんな店にくるとは、驚いちまったよ」
「店長さんは、この店のじょうれ……」
「い、苺っ!」
ひどく慌てた様子で、店長さんは苺の言葉を止める。
苺を睨んだ店長さんは、伊藤のおじさんに顔を戻した。
常連話で、店長さんをからかいたかったのに……
まあ、この店長さんをからかうのには、それ相当の覚悟が必要だけど。
「ここのチャーラー、気に入っているのですよ。とても美味しいですからね」
「あ……ああ、チャーラーかい。へえっ、藤原さんでも、チャーラーなんて頼むんだねぇ」
伊藤のおじさんは、感心したように言う。
「ところで、伊藤さん」
「うん、なんだね?」
「トラマメのことですが」
「うん、トラマメ?」
伊藤のおじさんがきょとんとして答える。
店長さんが急にトラマメのことを持ちだし、苺も戸惑った。
「トラマメがどうしたね?」
「元気でしょうか?」
「元気……まあ、元気というか……普通にしとるが……?」
店長さんを窺いつつ、伊藤のおじさんは口にする。
なんで、その話を持ち出してきたかの、おじさんも真意がわからず戸惑っているのだろう。
「会いに行ってもよろしいですか?」
苺は眉をひそめた。
会いに行く?
「トラマメにかい?」
「はい」
「店長さん、なんでトラマメに会いたいんですか?」
「会いたいからですよ」
「おおっと、いかん。後ろから車が来とる」
伊藤のおじさんはそう言うと、慌てて車を動かしはじめ、もう一度顔を向けてきた。
「それじゃあな、ふたりとも。いつでもいいから、来たけりゃ来るといい」
「今日、これからでも?」
早口に言った伊藤のおじさんに、店長さんも早口で問う。
こ、これから?
「ああ、それはかまわんが……」
「それでは、昼食を終えてから……」
会話の途中で互いの車は離れ、伊藤のおじさんの軽トラは、ゆっくりと走り去っていった。
苺は伊藤のおじさんに向けてバイバイと手を振った。
おじさんを見送り、店長さんに顔を戻す。
「店長さん、ほんとに行くですか?」
「ええ、行きますよ。伊藤さんの了解もいただけましたし」
「でも、今日は予定がいっぱいだって、言ってたじゃないですか?」
「どうしても今日でなければならない予定ではありません」
その言葉にむっときた。
あんなに予定が予定がと口にして、苺のことを、責め立てのに……
「何をしているんです、苺。早く降りなさい。置いてゆきますよ」
苺がむっとしているうちに、車は駐車場に停められた。
車を降りた店長さんは、苺をせっついてくる。
嫌味のひとつも言ってやりたいけど……まあ、ここは我慢してやるか。
店長さんがあれほど楽しみにしていたラーメン屋にやってきたのだ。
ここは苺が大人になろう。
身勝手な店長さんを許してやることにし、苺は店長さんとラーメン屋に入った。
店内はまだまだ満員。入り口にもふたりほど客が待っていたが、すでに客が引いてゆくタイミングで、すぐにテーブルに座れた。
賑やかな店内、少し待たされたあと店員が注文を取りにきた。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
忙しいもんだから、せかせかと聞いてくる。
注文は常連さんになりたい店長さんがしたいに違いないと、気を利かせて黙っていたのだが、店長さんは黙りこくっている。
「店長さん? 注文しないですか?」
「え? ああ、ええ。……それじゃ、チャーラーで」
どうしたのか、店長さんの声には、まったく張りがなく、苺は首を傾げた。
「はい、チャーラー」
店員が繰り返し、苺のほうに向いてきた。
「わたしもチャーラーで」
と注文する。
「チャーラーふたつう」
大きな声で注文を復唱し、店員は店の奥に戻りながら、「チャーラー二つは入りましたぁ」と大声を張り上げた。
苺はおしぼりで手を拭きながら店長さんを窺った。
店長さんはつまらなそうな顔で、コップを握りしめている。
「店長さん?」
「はい?」
「あの、どうしたんですか?」
「どうもしていませんよ」
握り締めたコップを右に左に軽く振りながら答える。
やっぱり、つまらなそうだ。
「でも……なんか元気ないみたいに見えますけど?」
「いえ。……多いですね」
店長さんは、周囲を見回しながら呟く。
ため息すら聞こえてきそうだ。
「この時間は、そりゃあ多いですよ」
「カウンターが良かったのに……」
「店長さん、カウンターに座りたかったんですか?」
「あなたはそうじゃないんですか?」
「苺? 苺はどこだっていいですけど」
「そうなんですか?」
驚いたように聞かれ、戸惑いながら頷く。
「今日は……常連として認識していただけそうもありませんね」
店長さんは寂しそうに言う。
ああ、そうか。そうだよ。
店長さんは、店員さんに常連さんとして扱ってほしかったんだ。
なのに店はお客でいっぱいで、そんな雰囲気じゃなくて……がっかりしたんだなぁ。
しょんぼりしている店長さんの様子に、苺の胸が切なく疼く。
て、店長さん、い、いじらしい。いじらしすぎるじゃないか!
「これからですよ。常連さんへの道はこれからです」
そう元気づけると、店長さんは苺に顔を向け、顔をしかめた。が、すぐにふっと笑みを浮かべてくれた。
「そうでしたね。そうだ。もっと回数を増やしましょう」
「えっ? 増やすって、あの、どのくらい?」
「そうですね。すでに常連の方に負けない回数……一週間に三回くらいではどうでしょうか?夜もやっているんですよね?」
「よ、夜も?」
「ええ。そうだそうしましょう」
店長さんはすっかり元気になった。
別に、夕食にラーメンを食べることに反対じゃないし……
苺は、先ほどのいじらしい店長さんの姿を頭に思い浮かべた。
まあ、飽きるまで付き合ってやるとしょうかな。
苺は、ウキウキとおしぼりで手を拭いている店長さんを見て、笑いを堪えたのだった。
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