苺パニック


注:こちらのお話は、書籍になるにあたって削除されたものです。
  サイト掲載時のものを、改稿してあります。

  書籍になるにあたって、大きく改稿したために、書籍の内容とは異なっています。
  そのことを踏まえた上で、お楽しみいただけたら幸いです。


                        
その4 この上なし



ベッドの側に置いてある椅子に座った苺は、もじもじと身体を揺らした。

この部屋には苺を入れて三人もひとがいるってのに、先ほどからずっと静まり返っている。

苺は、そっと視線をベッドに向けた。

店長さんは目を細め、じーっと真正面を見つめている。

ぶ、不気味だしっ!

実は、ティータイムで楽しい時間を過ごしたあと、また一悶着あったのだ。

お茶の時間を終えた途端、店長さんってば、また善ちゃんに、パソコンを出してくれなんて言うんだもん。

もちろん、苺は大反対した。

そして、いまに至る……な、わけだった。

苺は救いを求めるように善ちゃんに向いたが、善ちゃんは、店長さんから次の指示があるまでそうしているつもりなのか、畏まったままの姿勢で立っている。

執事さんってのはこういうものなのか?

この辛抱強さ、とても見習えない。

それにしても、店長さんときたら、いつもきびきび動き回っているひとなのに……

こんな風にじーっとしてて、退屈じゃないはずないのに。

けど、退屈だなんて苺は言えないんだよね。

パソコンを出して遊ぼうという店長さんのお誘いを蹴って、苺は退屈でもいいって宣言しちゃったんだもん。

あーあ、あの言葉、翻しちゃ駄目かしらん?

店長さんの身体に無理がないようなお楽しみなら、別にやっても構わないよね。

いや、やったほうがいいくらいだ。気晴らしは大事だもん。

けど、いまの店長さんは、苺にすっごい腹を立ててるからなぁ。

なんとか、怒りを静められないもんだろうか?

店長さんが興味を示すような遊びを提案してみたらどうかな?

家にあるくじ引きで手に入れたオセロ。あれ、ずいぶん楽しめたし、持ってくればよかったよなぁ。善ちゃんも一緒に遊んだら、楽しめたのに。

とは言っても、ここに来る時の苺は、まさか連れて行かれる場所が病院だなんて知らなかったんだもんね。

持ってくればよかったなんて残念がっても意味はない。

前向きに考えよう。

ここで手に入る物で、さらに病室内で遊べるものを思いつけばいいんだよ。

あっ、そうだ!

さっきの売店に、折り紙とか売ってるかも。あと、おはじきとかさ。

よしっ! 売店に行ってみる価値はある。

そう考えた苺は、さっそく椅子から立ち上がった。

「店長さん、苺、売店までちょっと行ってきます」

ポケットにお財布が入っているのを確かめながら、苺は言った。

「駄目ですよ」

えっ?

「だ、駄目? どうして売店に行っちゃ駄目なんですか?」

「当然でしょう」

「当然? なんで?」

「この部屋から出てはいけません。明日まで」

「ええっ? どうして?」

「もちろん、羽歌乃さんに姿を見られたら困るからですよ」

「あ……」

苺は短く叫び、ストンと椅子に座った。

そうだった。

病室の外で、羽歌乃おばあちゃんと出くわしたりしたら、店長さんが倒れて入院したことがばれてしまう。

しかし、明日まで、一歩もこの部屋から出ちゃいけないとは……

てことは、このまま何もしないで、時間をずるずると過ごすしかないってことなの?

うわーっ、とんでもないことだよ。

病室にある時計に視線を向け、思わず唇が突き出る。

カチコチと秒針は進むが、長針が一分を刻む間がとてつもなく長く感じる。

なんか、たまらないほど身体がうずうずしてきた。

紙と鉛筆一本あれば、苺は退屈なんてしないのに……ここにはそれすらないのだ。

苺は善ちゃんに顔を向けた。

「善ちゃんも、ここから出られないってことですよね? お屋敷に帰れないですね?」

「そうなりますね」

答えたのは店長さんだった。

善ちゃんのほうは、少し困った様子で顔をしかめる。

善ちゃんは、店長さん専属の執事さんなんだろうけど、ずっとここにいてはお屋敷での仕事が滞るよね。

腕を組み、ギュッと眉を寄せて現状打開策を考え込んだ苺は、いいことを思いついた。

「ねぇねぇ、店長さん」

「なんです?」

ぶっきら棒な返事になど負けず、苺は思いついた提案をする。

「変身して出るってのはどうですか?」

苺の提案を聞き、店長さんは訝しげな目をする。

「変身? いったいどんな変身をするつもりです?」

訝しげな目から一転、店長さんは興味津々という眼差しになった。

だが、どんな変身をするかまでは考えていなかった苺は、また考え込んだ。

「そうですねぇ〜」

つまり、苺が苺に見えなきゃいいんだもんね?

ううむ。

「そうだ! 店長さんが最初に着てた、病院の寝間着を苺が着ればいいんじゃないですか? つまりカメレオン現象ですよ」

「は? カメレオン現象?」

店長さんは眉をひそめて苺を見るが、自分の思いつきに、苺は説明しながら自信を深めた。

「あれなら、みんな同じものを着てるから、カメレオン現象で印象が薄くなって、きっと羽歌乃おばあちゃんと出くわしたとしても、苺だとは気づかないと思うんですよ」

苺はそう説明しながら、自分のいまの服装に視線を落とした。

このイチゴ柄スタイルじゃ、目立ちすぎだ。

「寝間着を着たくらいでは……」

「もちろんですよ。あと、頭からタオルを被ったりして顔を隠すんですよ。患者を装うんですから、俯きがちに辛そうに歩くとか……」

「ふむ。では、その変身とやらをしてごらんなさい。その結果を見てから、考えるとしましょう」

おおっ。店長さん、その気になってくれたぞ!

「鈴木様、おやめになったほうが……」

善ちゃんは止めてきたが、苺はすでにやる気満々だ。

ここでじりじりと時が進むのを待っているより、絶対いい。

「大丈夫ですよ。苺、自信があるですから」

早口に返事をし、苺は浴室に飛び込んだ。

店長さんが着ていた病院の寝間着は、ちゃんと畳んで置いてあった。

苺はイチゴの服を全部脱ぎ捨て、寝間着を着込んだ。もちろん、店長さんのサイズだから、袖も長いし、ズボンの裾も引き摺る。

余っているぶん、苺は袖とズボンを折り返した。

ぶっかぶかで不格好だが、これならば、羽歌乃おばあちゃんは偶然出くわしても苺だとは思うまい。

これで売店にいける。

苺は最後にタオルを頭から被り、顎の下できゅっと結んだ。

最後に鏡でチェックした苺は、自分の滑稽さに大いにウケ、笑いながら浴室から出た。

「ジャーン!」

両手足を広げ、苺は店長さんと善ちゃんの前に飛び出た。

店長さんと善ちゃんは、期待した以上に、派手に噴き出してくれた。

むっふっふーっ。

苺は得々として胸を張る。

「どうですか? 苺だってわかんないでしょう? これなら…」

「駄目ですね」

店長さんの即座の否定に、苺は面食らった。

「な、なんでですか、これなら羽歌乃おばあちゃん、絶対に苺ってわからないですよ」

「苺、その色の寝間着は、男性専用のものなのですよ。どう見ても、貴女は男性には見えません」

苺は眉を寄せた。

そう言われれば、女のひとの寝間着の色は、淡い桃色だったような……

「その姿で病院内を徘徊していたら、怪しいやつだと思われてしまいますよ。師長の高宮さんに捕まりでもしたら…」

し、師長さん?

考えただけで、激しく顔が引きつる。

あの怖い師長さんに、こんな格好をしてるところを見咎められたら…

こ、怖い! 怖すぎるし!

「私でも助けられませんよ」

妄想だけで胆を冷やした苺は、店長さんの言葉を最後まで聞かずに背を向けた。

浴室に向かってとぼとぼ歩いていた苺は、あることにふと気づいた。

彼女は浴室に入る前に、むっとした顔で店長さんを振り返った。

「店長さん、寝間着の色のこと、苺が変身する前に気づいてたんじゃないですか?」

疑わしい目と声で、店長さんに問いただす。

店長さんは澄まし返り、「ええ、もちろんですよ」と答えた。

憎たらしいこと、この上なかった。





   
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