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その4 口を割らせる術もなし
よし、完成だ。
苺は描き上げたばかりのイラストの出来を確認する。
うん、悪くないと思うな。
自分でオッケーを出し、描き終えたイラストの上に重ねる。
かなり描けたけど、まだまだ終わらない。
このイラストは、新春宝箱セールで使うことになっているのだ。
セールまではまだ二週間ちょいあるし、このペースで描いてゆけば間に合わせられるはず。
イラストは、苺の更衣室で描いている。スタッフルームで描いてもいいのだが、店長さんもいるし、スタッフさんたちも出入りするから、やはり気が散ってしまうのだ。
次を描こうとしたら、更衣室のドアをノックされた。
「鈴木さん、もう時間ですよ」
店長さんだ。
なんだ、もうそんな時間なのか。夢中になって描いてたから、気づかなかった。
「はーい」
「帰る支度をしてください」
「わかりましたぁ」
返事をした苺は、急いで片づけを始めた。
店長さんを待たせては、叱られてしまう。
メイド服を脱ぎはじめた苺だが、つい肩を落としてしまう。
今日も一日、メイド服。
下っ端店員からの脱却は、なかなかである。
脱いだメイド服をハンガーにかけ、クローゼットの中に戻す。
クローゼットの中には、こんなにも素敵なスーツがぶら下がっているっていうのになぁ。
着られたのは、ほんの数着だけ。
これも着てみたいし、こっちのも着てみたいのに……
思わず手が伸びる。
この紺色のスーツなんて、着たら優等生店員に見えるに違いないよ。
紺色のスーツを取り出した苺は、鏡の前に移動し、胸に当ててみる。
うんうん、チョーいいかも。
まあ、見た目だけ優等生店員になっても、中身が伴わなきゃ意味ないんだけど……
紺色のスーツを元の場所に戻し、次はチェック柄のスーツを手に取る。
これもいいよね。色の取り合わせが絶妙。
チェック柄ってカジュアルになりがちだけど、そこを色合いでぐっとシックに抑えてる。
うん、いいねぇ。
またまた自分の身に当て、むふふと笑う。
「鈴木さん、まだですか?」
ドア向こうから店長さんの催促が聞こえ、苺は思わず背筋を伸ばした。
「は、はい。いま……も、もうちょっとで行くですよ」
下着姿だったのを思い出し、慌てて言い直す。
まだ一回目の催促だから、催促のレベルもゆるかった。催促レベルが上がる前に、着替えて出て行くとしよう。
スーツ、プチファッションショーを残念な気分で中止し、苺は私服を着た。
しかし、自分の私服はほっとするね。
昨日は一日、イチゴ尽くしだったもんね。
頭の中に昨日の自分の姿を思い浮かべ、苺は噴き出した。
自分のことながら……
「わ、笑えるぅ」
頭の中のイチゴな自分はちっとも消えてくれず……着替えながらも笑いやめない。
ようやく笑いが収まり着替えも終えられ、苺はバッグを手にして更衣室から出た。
「あ」
ドアの側に店長さんがいた。目が合ってしまい、ちょっとビビる。
まさか店長さん、ずっとここにいたのか?
笑いながら着替えてたんで、出てくるのがかなり遅くなったかな?
「楽しそうな笑い声が聞こえてきていましたが……何がそんなにおかしかったのですか?」
その問いに、苺は胸を撫で下ろした。
『遅い!』と、叱られるかと思ったのに……よかった。
「イチゴだらけだった昨日の自分を思い出しちゃったら、笑いが止まらなくなっちゃって……」
「ああ。……ですが、イチゴの服はよくお似合いでしたよ」
「お似合いと言われても、嬉しくないですよ。子どもっぽすぎますよ」
苺は眉を寄せて不服を伝える。
「子どもっぽくたっていいじゃありませんか。イチゴ尽くしの服装の鈴木さん、私は好きですよ」
「そんなお上手を言っても、着ませんよ」
「残念ですね。鈴木さんに着てもらえないのでは、あの服が可哀想ではありませんか? 日の目を見れないままということになってしまう」
「一枚ずつなら、着てもいいですよ。苺も着ないままじゃ、もったいないと思うし」
「そうですか」
「店長さん」
「なんですか?」
「もういりませんからね」
「それは……イチゴの服がということですか?」
「もちろん、そうですよ」
「それはお約束できませんね」
「約束できない? どっ、どうしてですか?」
「楽しくないからに決まっています」
その返事に、いったん文句を言おうと思った苺だが、考え直した。
確かに、荷物の中がイチゴの服だらけだったのを見たときは、呆れちゃったけど……それでも愉快だったかもしれない。
それに考えたら、あんまりイチゴの服に抵抗をみせて、店長さんを刺激しないほうがいいのかも。
苺が抵抗すればするほど、店長さんは面白がって、色々やらかしそうだ。
ここは抵抗より、受け入れた方が、回避できるんじゃないのか?
「わかったですよ」
苺がそう言うと、店長さんは首を傾げて苺を見る。
「わかったとは?」
「考えたら、イチゴの服くらいどうってことないなって思って……なので、店長さん、じゃんじゃん持ってくるといいですよ」
「ほお」
店長さんは一言発したきり、苺をじーっと見る。考えていることを見通されそうで、ちょっと顔が引きつりそうになる。
「あ……」
また店長さんは一声発した。
今度のは、何か思いついたという感じだ。
嫌な予感がした。
「店長さん?」
「そうでした」
「そ、そうでしたって……何が?」
「いえ。すっかり忘れていたものがありまして……」
「忘れていたもの?」
「ええ。イチゴ尽くしに負けず劣らずの……」
そこまで言って、店長さんは急に口を噤んだ。そして意味ありげに微笑む。
「店長さん?」
苺は焦って呼びかけた。
「さあ、帰りますよ」
ええっ? な、なんで、まだ答えてもらってないのに。
店長さんは苺の肩を押して、歩き出した。
「イチゴ尽くしに負けず劣らずって……?」
苺は歩きながら、返事を催促した。
「この話はこれで終わりにします」
「ええーっ」
そのあと、歩きながら何度も返事を催促したが、店長さんは笑みを浮かべるばかりで答えてくれる気はないようだった。
ちぇっ。気になるのにぃ。
だが、いまの店長さんの口を割らせる術もなし。
気になって仕方がなかったが、苺は諦めることにした。
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