|
その8 突然のお誘い
「そうだ。苺、家に帰るのが遅くなってしまいましたし、ご実家に一度連絡を入れたほうがいいのではありませんか?」
病院の駐車場、車に乗り込んだところで店長さんが勧めてきた。
「そうですね。電話しとくですよ」
苺はバッグから携帯を取り出し、実家に電話した。
お母さんじゃないといいんだけどなぁ。
何かというと、小言じみたことを言うから、面倒なんだよね。
「はい。鈴木でございます」
おっ、真美さんだ。ラッキー♪
「真美さん、苺だよ」
「ああ、苺さん」
「いまね、ちょっと仕事帰りに寄り道してて。でも、これからすぐに帰るからさ」
「そうですか。待ってますね」
「あっ、ねぇ真美さん。今夜のおかずは、なあに?」
「今夜はおでんですよ」
「おおっ、おでん。いいじゃん」
一瞬にして、口がおでんを待ち望む。
あー、早く食べたーい。
なんだか、急激にお腹空いてきちゃったよ。
「それじゃ、早いところ帰るからねぇ」
電話を終え、携帯をバッグに戻す。
あっ、おでんなら、店長さんを誘ってもよかったかなぁ?
いつも、大きなお鍋で余るくらいどーんと作ってるし……
そう考えつつ、店長さんに顔を向ける。
「店長さんは、お屋敷に戻ってご飯を食べてくるんですよね?」
お屋敷の、ボスシェフさんの作るご飯は、とんでもなく豪華だからなぁ。
おでんで誘うってのも……
「ええ」
返事をした店長さんが、苺をちらりと見てくる。
何か言いたそうだ。
「なんですか?」
「いえ……鈴木家の夕食は、おでんなのですか?」
「そうみたいです」
この反応?
もしや、店長さんもおでんが食べたいとか?
「おでん、食べに来ます?」
「いえ。そういうつもりで言ったのではありませんよ」
「そうですよね」
お屋敷で、豪華な夕食が待ってるんだもんな。
「……おでんがどんなものかは、もちろん知っていますが……これまで食べたことがなかったので……興味が……」
「はい?」
店長さんの言葉にめんくらい、苺は運転している店長さんの横顔をまじまじと見てしまう。
「そんなに驚くこと……」
「驚くことですよ! ひゃぁーっ、店長さんって凄いですね」
「凄い? その表現はおかしいでしょう?」
「だって……苺の周りで、おでんを食べたことのない人なんて、ひとりもいませんよ」
「……そう言う言い方をされると、気分がよくありませんね」
どうやら不機嫌になったらしい。
「だって、おでんなんてポピュラーな料理。食べたいと思えば、いくらでも食べられるじゃないですか。ボスシェフさんだって、食べたいってリクエストすれば、すぐに出してくれますよ」
「味気ないですよ」
「味気ない?」
「私は屋敷では、基本ひとりで食べていますからね」
その言葉に、苺は、今更納得した。
そうなんだ。店長さん、あのお屋敷でいつもひとりでご飯食べてるのか?
もちろん、善ちゃんやボスシェフさんや、たくさんスタッフさんがいるんだけど……
みんなは、店長さんと一緒には食べないんだな。
「善ちゃんと食べたらいいじゃないですか? 藍原さんとか岡島さんとかも」
「彼らは……いえ、この話題はもうやめましょう」
「えっ、どうしてですか?」
「今度、大平松におでんを作ってもらいましょう。それで、貴女が一緒に食べてくれればいい」
「ああ、はい。苺は構わないですよ。だいたいボスシェフさんのおでんってのに、凄く興味が湧くですよ。ボスシェフさんはいったいどんなおでん作るんでしょうね?」
「苺、おかしな期待はしないでもらえますか?」
「えっ? おかしな期待?」
「普通がいいのですよ。そうだ、苺」
「なんですか?」
「今夜のおでんのレシピを、真美さんからいただいてきてくださいませんか? 大平松には、その通りに作ってもらいますので」
「ええーっ」
「お願いしましたよ」
きっぱり言われ、いまいち納得できなかったが、苺は頷いた。
店長さんは、鈴木家のおでんに興味があるってことなんだろう。
つまり、庶民の味に、ってことかな。
あっ、そうだ。
なら、おにぎりと一緒に、今夜のおでんを少し持ち帰ってやろう。
それを食べたら、店長さんは満足するに違いない。
そうこうしていたら、鈴木家に到着した。
「それじゃ、店長さん」
「ええ、では今夜は九時頃に、迎え……」
うん?
どうしたのか、店長さんが急に口をつぐんだ。
苺に向いていた視線が、苺の後方に向いている。
何を見ているのだろうと、苺は後ろを振り返ってみた。
「あっ」
剛のバイクがある。やって来ているらしい。
あんにゃろう。
自分の家はすぐそこで、歩いてこられる距離だってのに……わざわざここにバイクを乗り入れるとは……
苺に見せびらかそうとしてのことなんじゃないのか?
「苺、あのバイクは?」
「剛のですよ。来てるみたいですね」
まったく、いつ見ても憎たらしい図体だ。持ち主にそっくりだよ。
唇を突き出してそんなことを思い、苺は店長さんに顔を戻した。
おにぎりの具は何がいいか聞かないと……
「ねぇ、店長さん、おに……」
うん?
店長さんはどうしたのか、やたら鋭い目をしてる。
苺の視線に気づいた店長さんは、すぐにいつもの顔に戻った。
「あの、苺」
「はい?」
「……いえ……では、九時に」
何か言おうとしていたようなのに、店長さんは考え直したみたいに言う。
「は、はい」
返事をし、苺は車を降りた。
運転席側に回り、運転席に座っている店長さんを窓越しに見る。
店長さんは苺に軽く頷き、ハンドルに手をかけた。
いましも行ってしまいそうになったところで、あることを思い出し、苺は焦って呼びかけた。
「店長さん、ちょっと待ってください!」
店長さんは窓を開けて「なんですか?」と聞いてきた。
「おにぎりですけど、梅干しとおかかと……ほかに何か入れてほしいものあるですか?」
「……それなら……いや……」
店長さんは何やら言いかけて、口ごもった。
その店長さんの目は、ちらりとバイクに向く。
なんだ? 店長さん、剛のバイクが気になるみたいだけど……?
「苺、あの……私と一緒に、屋敷で夕食を食べませんか?」
「えっ?」
突然のお誘いに、苺は驚いた。
店長さんは顔をしかめ、今度は「すみません」と言う。
「へっ?」
なんで謝ってんの?
「それでは、九時に」
いやいや、よくわかんないし。
このまま行かれたら、苺、すっごく気になるよ。
苺は開いている窓の枠を、両手でぎゅっと握りしめたのだった。
|
|