苺パニック

第1章 [下っ端店員戸惑い編]



第4話 馴染みのない反応 ~爽~



口元に、どうにも笑みが浮かんでしまう。

こんな事態になるとはな。

いま、爽の隣には、彼の興味を引いてならない例の冴えない彼女がいて、スタッフルームに向かって並んで歩いている。

声をかけたくてもかけられず、眺めているしかない状況にさんざんいらいらしていたのに……

爽は手にしている封書を見つめ、胸の内でにやついた。

まさか、彼女が履歴書を持っていて、しかもまるで私にチャンスを与えるように、バッグからそれを落としてくれるとは……

にしても、自分がいなかった先週の日曜日に、彼女がネックレスを購入していたなんて……思いもよらないことだった。

彼女がやってきたのを確認したところで、要は、たったいま思い出したというように、そのことを報告してきたのだ。

どうしてもっと早く報告しなかったのかと文句を言ったら、『報告を望まれていたのですか?』と、ひどく意外そうに聞き返された。

まったく、要のやつめ……相変わらずいい性格をしている。

私が彼女に対して、並々ならぬ興味を抱いていると気づいているくせに……

とにかく、彼女がネックレスを購入したと知り、爽はそれをきっかけにして、声をかけてみることにした。

いままでは話しかけた途端、飛んで逃げてしまうだろうと思って、ためらっていたのだが、購入してくれたのならば、近づいても大丈夫なのではないかと考えたのだ。

彼女に対応したのは、要でも怜でもなく、応援のスタッフだったらしい。

そのとき要はスタッフルームにいて、用事を済ませて店内に戻ってきたら、彼女がレジに立っていたのだそうだ。

『驚きましたよ』と言いながら、要は少しも驚いた表情など見せずに報告した。

もどかしくてならなかった。

できることなら、この目で一部始終を見たかったのに。

彼女がどんな風に店員に声をかけたのか……

購入するネックレスを決めてから店員を呼んだのか……

それとも、店員にどれがいいだろうかと相談したのか……

あー、腹立たしいな。

彼女の対応をしたスタッフの首を、この手で絞めてやりたい衝動が湧き起こる。

要ときたら、彼の考えを察知したのか、スタッフの名前を言わなかった。

まあ、知らないほうがいいのかもしれないな。首を絞めないまでも、遠い異国の支社にでも飛ばしたくなるかもしれない。

「さあ、どうぞ」

スタッフルームのドアを開け、爽は彼女に入るように促した。

首元のネックレスに、また目がいってしまう。小さなルビーのネックレス。

実は少しだけ意外に思った。彼女の雰囲気からいえば、淡い桃色とか、水色とかを好みそうだが。

「あ、あのっ……その……」

彼女が動揺した声を上げ、爽は考えにふけるのを止めて気を引き締めた。

さっさとこっちのペースに引きずりこんでしまったほうが都合がよさそうだ。

まずは、そう簡単に逃げられないように、スタッフルームに閉じ込めてしまおう。

爽はドアの前で動かない彼女の背中にそっと手のひらを当て、部屋に押し込めた。

「では、そこに座ってください」

ドアから一番遠い椅子を指し、爽は彼女に言った。彼女は小動物のように怯えながら、椅子に浅く腰かけた。

爽はドアに近い椅子に座り、封筒から履歴書を取り出した。

ここ最近感じたことがないくらいの胸の高鳴りを覚える。

彼女の名前がついに……

履歴書を開いた爽は、名前の欄にさっと目を落とした。

鈴木……苺。い、ち、ご……?

思わず、履歴書を凝視していた爽は、ハッと気づいて顔を上げた。

彼女はもじもじしながら、視線をあちらこちらへ、さ迷わせている。

『苺』

試しに、心の中で呼んでみる。

うむ。苺という名は……案外悪くないな。

パッと見ると冴えない彼女だが、こうして間近に見ると……そう悪くない。

唇の形もいいし、肌も白くて綺麗だ。

落ち着きなく動いていた瞳がこちらに向けられそうな予感がして、爽は彼女から視線を逸らし、再び履歴書を読む。

彼女が自分を見つめている気配を感じ、妙にそわそわしてしまうが、爽はそっと彼女に視線を戻した。

彼が手にしている履歴書を見ている。どうやら少し落ち着いたようだ。

「鈴木苺さん」

「は、はいっ」

面接官らしく呼びかけると、鈴木苺は慌てふためいたように返事をし、ぴょこんと飛び上がった。
そして、焦って姿勢を正す。

その一連の反応に笑ってしまいそうになり、爽はぐっと堪えたが、どうにも口元がピクピクと震えてしまう。

やはり、面白いな。

仕種ひとつで、これほど笑いを誘われるとは……

笑いを堪えている彼に気づいたのか、彼女は頬を真っ赤に染めてうつむいてしまった。

赤く上気した顔はずいぶんと可愛らしい。名前のせいか、イチゴを連想してしまう。

さて、さっさと面接を進めたほうがよさそうだ。

就職活動中の学生なのかと思っていたら、すでに働いているようだ。

転職を考えているのだろうか?

「専門学校を卒業されて、いまはこの会社にお勤めされているわけですか?」

紙器製作所と書いてあるが、どんな仕事なのかピンとこない。

「は、はい。アルバイト……なんですけど……」

「アルバイト?」

「はい。その……正社員では、なかなか雇ってもらえなくて」

彼女は恥じらうように言う。

それで、就職活動をしているというわけか? 自分にとっては、嬉しい状況だ。

「そうですか。いまの仕事は? すぐに辞められるのですか?」

その問いかけに、彼女はごくりと唾を呑み込んだ。

「せ、正社員で雇っていただけるところがあったら、いつでも辞めるで……ま、ます」

辞めるで、ます? 彼女の言葉が頭の中で再生され、危うく噴き出しそうになる。

「いまの仕事に不満が?」

噴き出す前に、爽は急いで次の質問をする。

「いえ」

彼女は顔の前で手を横に振って、否定する。

つまり、不満はないということか?

「仕事はとっても気に入ってるんです。お菓子の箱を作ってる工場で……綺麗な紙をハサミで切ったりとか……まるで工作の時間みたいな仕事で、楽しいんです」

表情から窺える限り、いまの仕事をとても気に入っているようだ。

バイトでなく、正社員として雇われていたら、転職したいなどとは考えなかったに違いない。

ラッキーだったな。

だが、彼女はたまたま履歴書を落としただけであり、この店で雇ってもらおうと思っていたわけではない。

履歴書を拾った自分が、強引に面接へと引きこんだのだ。

社員として雇うのならば、ここに勤める気はあるだろうか?

宝飾店の店員という仕事を嫌がったりしないだろうか?

それに、爽自身にも、経営者としての理念がある。

ここで働く気があるのならば、彼がこれまでスタッフに求めてきたのと同じ能力を彼女にも求めたい。

爽個人の願望と、経営者としての信念が、心の内で激しくぶつかり合う。

「宝石には興味がおありですか?」

爽は気を取り直して質問した。彼女は、困ったように顔をしかめる。

これは……マズイ質問をしてしまったか?

「あ、あのっ」

なにか言おうとしたようだが、口を開いたまま彼女は固まってしまった。

爽はこの場を和ませようと彼女に話しかけた。

「そのネックレスは、ここでお買い上げいただいたものですね」

彼女がハッとした表情をし、次の瞬間、大きく微笑んだ。

爽は思わず息を止めた。

口元近くの左頬に現れた可愛らしいえくぼ。それを目にした途端、胸がキュンとし、このまったく馴染みのない反応に、爽はどきりとした。

「は、はい。宝石にはあまり興味なくて、やっぱり高いし……」

宝石に、興味がない?

「で、でもですね、ここの三千円均一なら買えるなって」

そう言って、またにこっと笑う。再び現れたえくぼに、心を持ってゆかれそうになる。

「これつけてると、ウキウキするんです。なんかわかんないんですけど、元気をもらえるんです」

その言葉を聞いた爽の胸に、細かな震えが走った。

ちょっと前まで、興味の対象でしかなく、冴えない彼女だとばかり思っていたのに……

この笑顔、左頬のえくぼ……

そしてなにより、いまの言葉が、爽の魂に衝撃を与えた。

「それは嬉しいですね」

そう口にし、爽は口元に笑みを浮かべた。

「そ、そうですか?」

「ええ」

欲しい……彼女が……鈴木苺が……どうしても欲しい。





   
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