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エピローグ その1 心地よい風
「ごめん、苺。待たせちゃって」
幼稚園の頃の自分を思い返していた苺は、声を掛けられて顔を上げた。
「すいちゃん」
苺は笑顔で答えたが、走って来たのか翠は苦しそうに息をしている。
「だ、大丈夫?」
「うん。バイトが押しちゃってね。遅れちゃってごめん」
翠はコートを脱ぎながら、焦って答える。
「えっ、すいちゃんバイトしてるの?」
バイトしてるなんて初耳だ。
すると翠は、テーブルの下にあるカゴにコートを入れながら返事をする。
「巫女さんのバイトだよ。去年もしてたでしょう。ほら、神社で会ったじゃない」
そう言いつつ、翠は苺の向かい側に腰かけた。
「巫女さんのバイト? でも、まだお正月じゃないのに」
「お札やお守りの準備とか、色々あるのよ」
「へーっ、そうなんだぁ」
巫女さんのバイトって、そういう準備もあるんだ。
「去年のすいちゃん、巫女さんにしか見えなくて、すっごく似合ってたよ」
苺も、一度巫女さんになってみたいくらいだ。
「ねぇ、苺は今度も、あの神社に初詣に来る?」
「うん、行くと思うよ」
まだ爽と話してはいないんだけど、たぶんあの神社に行くことになるんじゃないかな。
去年のお正月は、爽ともども苺の家族と初詣に行ったけど……その翌日になって、羽歌乃おばあちゃんに拉致されちゃって、またもや親玉神社に行くことになったっけねぇ。懐かしいなぁ。
「去年は、ほんと驚かされたわよ、苺」
そう言って、すいちゃんはちょっと責めるように言う。けど、すぐにくすくす笑い出した。
「苺だって驚いたよぉ」
「ううん、わたしのほうが、苺の百倍は驚かされたってば」
反論は受け付けません的な感じで翠は言う。
「おまけに、もう婚約までしちゃってるし」
翠は苺の薬指に目を向けて下、そしてそこに嵌っている指輪を見て目を丸くする。
「嘘! 婚約指輪までイチゴなの⁉」
確かに、いま苺の薬指に嵌っている指輪には、イチゴがくっついている。
もちろんこれは婚約指輪じゃない。あの指輪は高価すぎて、普段に嵌めるのを苺が渋ったら、爽がこれをプレゼントしてくれたのだ。
これだって高価そうだけどさ。
さすがにこれも普段はつけられないなんて言えなくて、いまはこれを普段嵌めてるんだよね。
まあ、可愛いから気に入ってはいるんだけど。
「苺はさ、苺と名付けられた時から、イチゴがついて回るようになってるんだよ」
諦観したように言ったら、翠があははと笑う。
「でも、とっても可愛いわ」
「だね」
翠と笑い合っていたら、最初のオードブルが運ばれてきた。
それから二時間ほど、苺は翠とおしゃべりの花を咲かせて楽しんだのだった。
その夜、苺はワンルームの温かいお風呂に浸かり、翠と過ごした時間を思い返した。
幼稚園の頃の話なんかもして……懐かしかったなぁ。
クリスマス前に、幼稚園でサンタさんに手紙を書いたりしたこととかも話した。
それにしても、あの頃の苺はダメダメだったよねぇ。
すいちゃんも剛も、間違わずにひらがなが書けてたのに、苺は間違ってばかりでさ。
剛に確認してもらって、正しい文字を教えてもらい、なんとか書いたんだよね。
お兄ちゃんの青の自転車が嫌で、リボンのついたピンクの自転車が欲しいって書いた。
結局、剛の望遠鏡で遊ばせてもらうのに、自分だけずるしてる気になって……あのあと、必死に書き直したと思うんだよね。
けど、なんて書いたか覚えてないんだよ。もらったものも覚えていない。
それでも、もらったもので剛と遊んだ記憶は、曖昧にだけど残っているんだよね。
剛がサンタさんにもらった望遠鏡も使わせてもらったし。あれもまた楽しかったなぁ。お兄ちゃんも、望遠鏡に夢中になってたっけ。
それにしても、いったい苺はサンタさんに何を頼んだんだっけなぁ?
剛は覚えてくれてるのかな?
聞いてみたいけど、このところ剛とは会えていない。
剛のことを思い出し、苺は切なくなった。
苺にとって剛は、大切な幼馴染なのになぁ……
苺はお風呂から上がり、濡れた髪をやわらかなタオルで包んで、部屋に戻った。
爽はソファでゆったりとくつろいでいた。
長い脚を組んでいるお姿に、思わず首を振ってしまう。
どんな姿も、画になるおひとだねぇ。
「苺、どうして首を振っているんです?」
「爽は、どんな格好をしていても絵になるなぁと思ったんですよ」
感じたことをそのまま伝えたら、爽は苦笑する。そしておいでというように手を振る。
苺は弾むように駆けていき、勢いよく爽の隣に腰かけた。
身体がバウンドし、それが楽しい。
「温まってきましたね。頬がピンク色ですよ」
いつものようにドライヤーで髪を乾かしてくれながら爽は言う。
「温まり過ぎちゃったかも」
そのうえ部屋は暖かいしドライヤーの熱風もあたっているので、額に汗が滲んできた。
苺は爽の手からドライヤーを取り上げると、彼の手のひらで自分の顔を仰いだ。
「相変わらず、意表のつくことをしますね」
爽は呆れ顔で言うものの、苺の好きなようにさせてくれる。
そんな爽が、大、大、大好きだよ!
しあわせで胸が膨らみ、苺は目を瞑って爽の手のひらからそよいでくる心地よい風を楽しんだのだった。
つづく
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