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13 遠慮はご法度(苺
あーあ、ほんとに終わっちゃったんだなぁ。
これまで使わせてもらっていた更衣室を見回し、苺は寂しさを味わう。
もう帰る時間になってしまった。
ここを出た瞬間、苺は宝飾店の店員さんじゃなくなるんだ。
まさか、たった四ヵ月でおしまいになるとはねぇ。思いもしなかったよ。
苺の脳裏に、これまでのことがあれこれ蘇る。
最初は店頭にまったく出してもらえなくて、なぜかメイド服を着させられて、店員さん修行プラス、宝石について学ぶところから始まったんだよね。
それと、紅茶とコーヒーの淹れ方をがっちりしこまれた。
おかげで、紅茶とコーヒーは、そこそこ美味しく淹れられるようになったよね。
最初はさあ、爽がとっても厳しくて、何もかもダメダメで、ダメ出しばっかり食らってさぁ。
思い出して顔をしかめた苺だが、すぐに噴き出してしまう。
今となれば、すべてが懐かしいよ。
でも、爽の教え方は上手だったな。
爽の王様みたいな態度云々は置いといてってことだけど……
何度もお手本を見せてくれたし。
そこで苺は、足元に視線を落とし、そこに置いている紙袋を持ち上げた。
いつまでも感傷に浸っているわけにもいかない。とっくに時間も過ぎてる。
もう行かなきゃ。
苺は、躊躇いを捨ててドアを開けた。
するとそこには……
「わわっ!」
店長さんだけじゃなく、藍原さんと岡島さんもいる!
「やっと出てきましたね」
少ししかめっ面で爽が言う。
確かに、ずいぶん待たせてしまったからな。
「ごめんです。でも、藍原さんも来てくれたんですね」
嬉しくて声をかけると、藍原は少し微笑んでくれる。
「爽様に呼び戻されました」
「えっ、そうなの?」
「要。わざわざ口にすることではないだろう?」
「口にしていけない、ということもないと思いまして」
藍原はしれっとして言い返す。
いつもみたいなふたりのやりとりが、ほっとするというか妙に嬉しくなり、苺は笑った。
「四人一緒に、こことさよならですね」
「鈴木さん、大袈裟ですよ」
呆れ気味な藍原の言葉に、まっさきに反応したのは岡島だった。
「藍原さん。私も鈴木さんと同じ気持ちですよ。こことの別れはとても寂しいです」
「岡島さーん」
同志を得られて感激した苺は、思わず岡島に飛びつこうとしたが、爽にウエストを掴まれて阻止された。
勢いよく足を出したところを押さえ込まれたので、足が浮く。
「わっわっ!」
「まったく」
爽が憤慨したように叫び、苺は頬を膨らませて、爽に振り返った。
「転んじゃうかと思ったですよぉ」
「貴女を転ばせるようなことはしませんよ。それより、もう帰りますよ」
「はーい」
うはーっ、いよいよだ。この時が来ちゃったよ。
ウエストを爽に掴まれたままの態勢で、苺は慌ててスタッフルームに目をやった。
ここでの出来事が色々と浮かんでしまい、それだけで強烈に感傷に駆られてしまう。
「もういいでしょう?」
爽が声をかけてきて、苺は胸がジーンとした。
とてもやさしい響きだったのだ。どうしようもなくポロリと涙を零してしまう。
苺は鼻を啜って涙を拭うと、気持ちを切り替える。
「さあ、帰るですよ」
号令をかけるように、苺は口にした。
「苺?」
「爽も、藍原さんも岡島さんも、苺に付き合ってくれてありがとうです」
苺は三人に向けて、感謝を込めて深々と頭を下げた。そして、爽の手を取って歩き出した。
裏口のドアから外に出て、スーパーの中を歩く間、苺は何も言わなかったし、三人も何も言わなかった。
ただ、スタッフ専用通路を抜ける一瞬、苺はすでに馴染みとなった警備員さんの姿を無意識に探してしまう。
『あっ、いた!』と、心の中で叫んでしまう。
この警備員さんは、女装した店長さんに叶わぬ恋をしてしまった、気の毒な人なのだ。
あの恋心は、もう消えたのかな?
警備員さんは、警備員室の中でパソコンをいじっているようで、こちらにはまったく気づいていない。
爽はどうかと見ると、完璧に無視をしてる。
けど、絶対腹の中では警備員さんを睨みつけてるに違いないよ。
爽の内面を推し量り、苺は我慢できずにくすくす笑ってしまう。
そんな苺の笑い声を聞きつけ、三人が同時に苺に向いた。
爽は苺の笑いの原因がわかっているものだから、冷たい目で見つめてくる。
藍原さんは、苺がどうして笑ったのか、ちょっぴり気になったという感じだったのに、爽の反応でこれはなにかあると思ったようだ。
「鈴木さん」
「要!」
わくわくした顔で苺に話しかける藍原さんを見て、爽が鋭く呼びかける。
もおっ、藍原さんってば。
爽がそういう反応するってわかってて、やってるに違いないよ。
よしっ! ここは苺が間に入ってやるっきゃないね。
「なんでもないですよ」
苺はそう言ってはぐらかしつつ、爽を引っ張って外に出た。
女装して、警備員さんに一目惚れされたなんて、爽としては知られたくない事実だろうからね。
外に出たら、まっすぐ爽の車を目指す。
そしてすぐに車に乗り込んだ。
質問のタイミングをもらえぬ藍原さんは、あえて追うようなことはせずに自分の車に向かう。
「藍原さん、諦めたみたいですよ。爽、よかったですね」
「何がよかったです。貴女があそこで笑うから……」
おおっと、苺に火の粉がふりかかりそうだよ。
「まあまあ、あれはあれでいい思い出ですよ」
慌てた苺は、なんとか爽をなだめてみる。
「いい思い出?」
剣呑な返事に、苺はちょっとビビった。
どうやら言葉のチョイスが悪かったか。
爽の気分を逆撫でしてしまったらしい。
「あ、ああ……まあ、いい思い出……ではないですよね」
「すっかり忘れていたというのに、貴女のせいで思い出してしまったじゃないですか」
よく言うよ。絶対に忘れてたはずはないよ。
苺は知ってるぞ。
あの通路を通るたびに、鋭い目で警備員さんを睨んでたくせに。
……けど、それもまた楽しかったんだよなぁ。
それも、これで最後なんだね。
「やっぱ寂しいですね」
思いっきりしょんぼりして口にしてしまったら、爽が黙り込んだ。
沈黙に、ちょいと気まずくなる。
「ごめんです」
「どうして謝るんです?」
「言っても仕方のないこと口にしちゃって……しかも、何度も口にしちゃってるし……」
「かまいませんよ」
「えっ?」
「私に遠慮はいりません」
「……そ、爽」
そんな風に言われたら、嬉しすぎるよぉ。
いくぶん涙目になっていると、爽は「さあ、帰りますよ」と口にしてエンジンをかけた。
そして、今夜からふたりの本拠地となる藤原家の屋敷に向かって、車は静かに走り出したのだった。
つづく
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