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14 苛立ちのわけ(苺
「ねぇ、爽」
運転している爽に、苺は話しかけた。
「なんですか?」
明らかに用心しつつという感じで、爽は聞き返してきた。
爽は、苺が次の職場のことをめちゃくちゃ聞きたがっているって、わかっているんだよね。
けど教えてくれないのは、当日になって苺をびっくりさせたいからなんだろう。
「新しい職場でも、苺は紅茶やコーヒーを淹れたりするんですよね?」
次のお店がどんなお店なのかについては教えてくれないとしても、この問いなら……
「ええ、淹れていただくつもりですよ」
おおっ、そうか。
ちゃんと返事をもらえて、嬉しくなる。
「給湯室もちゃんとあるんですね?」
「ありますよ」
おおっ! なら、やることは、これまでとあまり変わらないんじゃないか。
お店が違うだけってことなんだ。
そうわかって、苺はずいぶん気が楽になった。
だって、まるまるっと代わってしまうのは、寂しいもん。
「なら、お昼や夕食は、これまでと同じで、お屋敷から届けてもらって、苺は盛り付けとかさせてもらえるわけですね」
安心できた苺は、そう口にして、身体の力を抜いてリラックスした。
車内が静まり返る。
爽が何も言ってくれないので、苺は気になって彼に目を向けた。
運転している爽は、一瞬だけ苺を見たが、その眼差しが何か意味を含んでいるように感じられ、苺はきゅっと眉を寄せてしまう。
「爽? ……なんか、言いたいことがあるんじゃないんですか?」
「いえ、別に」
そっけなく爽は答えたが、そのせいでもっと気になってしまう。
「新しいお店のこと、ほんのちょっとだけでいいから、教えてくださいよ」
お願いするように尋ねてみたが、やはり爽は何も言ってくれない。
やれやれ、ここはもう引き下がるしかないようだ。
爽の屋敷に帰り着いた。
善一が出迎えてくれたのだが、その出迎えぶりはずいぶん大袈裟に感じられた。
善ちゃん、とんでもなく感激してるみたいだよ。
苺と爽の本拠地が、ワンルームからこのお屋敷に移ったことが、嬉しくてならないみたい。
そんな風に歓迎してもらえるって、嬉しいな。
実は、苺もすっごいわくわくしちゃってる。
お屋敷の中に、苺の部屋をもらえるんだよね?
いったいどんな部屋なんだろうなぁ?
引っ越しってわけじゃないから、たいして荷物も持ってきてないんだけど……
爽は何も言わずに、苺の肩を押すようにして屋敷の奥に向かって歩き出した。そっちは爽の部屋のある方向だ。
善ちゃんの部屋の近くもいいなと思ってたんだけど……やっぱり、爽の部屋の近くなのかな?
どこなんだろうと、きょろきょろしつつ歩いていたら、爽は自分の部屋のドアを開けた。
爽は苺を先に部屋に入れる。
素直に中に入った苺は、爽に向いて首を傾げた。
「あの、苺の部屋は……?」
「私のこの部屋が、貴女の部屋に決まっているでしょう」
へっ?
「そうなんですか?」
「ワンルームでも、同じ部屋を共有していたんですよ。別々の部屋である必要はないと思いますが?」
そう言われれば、そうか。
苺専用に、新しい部屋をあてがってもらえるものと思い込んでて、ちょいと楽しみにしていたわけだけど……まあ、爽と一緒ってのも悪くはないか。
「それじゃ、苺の荷物は、どこに置けばいいですか?」
くるりと部屋を見回しながら尋ねたら、爽はなぜか渋い顔になった。
「爽?」
「こっちですよ」
爽は苺に背を向け、寝室に入っていく。
うん? 苺の荷物、爽の寝室に置くのか?
爽の後を追って寝室に入ると、爽はどでかいベッドの脇を歩いていき、またドアを開けた。
あれっ?
苺は爽に駆け寄り、部屋の中に顔を突っ込んでみた。
部屋の中を見回し、苺は目を丸くしたあげく棒立ちになった。
な、なんと!
あの、ファンシーな部屋がっ!!
実は以前、爽と執事ごっこをしたことがあった。
この屋敷に泊まって目が覚めたら、とんでもなくファンシーな部屋にいて、これは夢に違いないと思ったんだけど……
あのとき限りで、このファンシーな部屋はなくなってしまったんだけど……それが、再び!
「こっ、このお姫様みたいな部屋、苺の部屋として使っていいんですか?」
「ええ。善一が用意したのですよ」
「わあっ♪ 善ちゃんありがとう!」
感激した声を上げた苺は、フリフリのレースで飾られたベッドに向かって走り、そのままベッドに飛び乗った。
「ヤッター! ヤッター!」
ベッドの上を、喜びいっぱいで跳ねていたら、爽がそばにやってきた。憮然として腕を組んでいる。
なにやら文句が言いたそうで、苺は跳ねるのをやめた。
「どうかしたですか?」
「別に……そろそろ夕食ですよ」
夕食か。確かにお腹が空いてるけど……
「どこで食べるんですか?」
「ティールームに用意してくれるように頼んでおきました。今夜は特別に、要と怜も一緒に食事を取ることにしています」
その情報に嬉しくなる。
「打ち上げパーティーってやつですね」
苺ははしゃいで答えながら、ベッドから降りた。
そして無意識に、部屋に配置されている家具をうっとりと眺めてしまう。
乙女が夢見る家具で揃えてある。
そして、苺が一番気に入っていたドールハウスも、ちゃんとある。
なんだか胸がいっぱいになってきた。
目に涙が浮かび上がり、視界が滲んでしまう。
感極まった苺は、爽に駆け寄り、ぎゅっと抱き着いた。
「苺?」
「ありがとう、爽」
「この部屋で暮らせるのが、そんなに嬉しいんですか?」
爽の言葉には笑いがこもっていたが、どこか残念そうな響きもあり、苺は戸惑った。
「爽?」
「もっと自分の荷物を持ってきたかったら、いくらでも……」
「爽」
「なんです?」
「なんか爽が、しょんぼりしてる気がするんですけど……」
そう指摘したら、爽が表情を一変させた。
「このベッドは、必要ないと言ったのに!」
爽は苛立たしそうに叫び、ベッドを睨む。
「へっ? このベッドが嫌いなんですか?」
さらに戸惑ってしまい、そう尋ねたら……
「まったく、どうしてわからないんですか?」
爽が怒ったように言う。
「なっ、なんで怒るんですか?」
「決まっているでしょう。私は一緒のベッドで寝たいのに……貴女ときたら……」
あ、ああ……そういうことか。
ようやくわかったよ。
爽の思いが理解できた途端、苺はめちゃくちゃ嬉しくなった。だが、苺の笑顔を見て、爽がムッとする。
苺は不機嫌な爽を思い切り抱き締め、爽と目を合わせて口を開いた。
「このベッドも、ふたりで寝られますよ」
「えっ?」
「苺も爽と一緒がいいに決まってるです。ひとりで寝るのは寂しいですよ」
苺の言葉を聞いて、爽は微妙な顔をする。けど、喜んでるのがわかる。
爽は素直じゃないからねぇ。
だけど、そんな複雑な爽が、苺は大好きなのだ。
嬉しくなった苺は、精一杯背伸びをして、爽の唇に軽いキスをしたのだった。
つづく
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