|
29 不思議問答
「それでは、爽様、鈴木様、お気をつけて」
降り立ったばかりの空港で、善一が畏まって見送ってくれる。
いま午後二時くらい。
苺は爽とともに、これから南に向けてフライトすることになっているわけで……
しっかし、いまがいま、北の国から戻って来たってのにね。
空港から出ることなく、このまま飛行機に乗って南に向かうことになるとは。
藍原さんは、北の国から別のところに向かっていった。
苺と爽は南に行くことになったんだけど、目的の南には北の国からはひとっとびではいけないらしい。いったん戻り、ここで乗り換えて、南に向かうらしいのだ。
飛行機を乗り換えるとか、苺の人生初めてだよ。
まあ、飛行機搭乗経験がそんなにあるわけじゃないけどさ。
それでも、たった一日で北から南に行くことになるとは思いもしなかった。
北の国も、もっと楽しみたかったけど……一日伸ばしてもらえただけでも喜ばないとね。
善ちゃんまで一緒だったわけだし。
それにしても、昨夜は突然善ちゃんが現われて、それはもうびっくりしたよ。
思い出してくすっと笑ってしまう。
だって、善ちゃんってば、荷物を届けてそのままUターンするって、本気で言うんだもん。
北の国に来たってのに、まだ最終便に間に合いますからって、当たり前の顔してさ。苺には考えられないよ。
もちろん苺は善一を引き止めた。そうしたら爽も引き止めてくれて……
そんな事態をあらかじめ想定していたのか、そこにひょっこり藍原さんが現われて、自分の部屋はツインだから泊まりませんかと善ちゃんに勧めてくれた。
そしてダメ押しな感じで、爽は明日我々に同行しろと、善ちゃんに命じた。
今朝はあのホテルのビュッフェで、贅沢な朝食をいただいたんだよね。
美味しかったなぁ。
で、午前中はちょっとした観光もさせてもらって、お昼も美味しい海鮮をいただいた。
母に頼まれたお土産もちゃんと買ったし、明日には母のもとに届くだろう。
お昼ご飯を頂いたあとは慌しく空港に向かうことになり、今に至っているというわけだった。
苺は善一に手を振り、爽に続いて搭乗口を抜けた。
かなり高級感漂うラウンジでしばし時を過ごし、南に向けて出発だ。
飛行機の席に落ち着いた苺は、ほっと息をついた。
「疲れましたか?」
爽が声を掛けてくれ、苺は首を横に振った。
「疲れてはいないですよ。けど、今の自分の状況って、ほんととんでもないなぁと思って」
「とんでもない?」
爽は苺の気持ちが分からないらしく、首を傾げて問い返してくる。
「ほんのさっきまで北の国にいたっていうのに、元の空港に舞い戻ってきて、これからさらに南に行くとか、とんでもないでしょ?」
「そうですか?」
やっぱり爽はピンとこないようだ。そんな爽にちょっと笑ってしまう。
「何が可笑しいんですか?」
「経験値が違うんだなぁって」
「……ああ、そういうことですか」
今度は苺の言いたいことを飲み込めたらしい。
「爽の人生の移動距離って、全部足したらすんごいもんなんでしょうね。それに比べると、苺の人生の移動距離って、微々たるもんなんだろうなぁ」
なんてしみじみ言葉にしてしまう。
「人生の移動距離ですか?」
爽は愉快そうに口にする。
「苺の場合は、競技場のトラックをぐるぐる回ってて、爽は競技場から出てフルマラソンを何度も走ってる感じ」
「面白い喩えですね」
くすくす笑っている爽の顔を、苺はじーっと見つめてしまう。
「なんですか?」
「とんでもない人と苺は一緒にいるんだなって、改めて思っちゃったですよ」
「たいして違いはありませんよ。私に言わせれば、あなたのほうがとんでもない」
「苺がとんでもない?」
「自覚がないんですか?」
自覚って……
「言っときますけど、苺はまったくとんでもなくないですよ。平々凡々な一般市民ですもん」
そう言って胸を張ってやったら、爽は何か言いたそうな瞳を向けてきたが、結局何も言わなかった。
定刻、問題なく飛行機は空へと飛びあがった。
今日はもう二度目のフライトだ。
すっかり飛行機の通になった気分でいたのだが、着陸間近になって急に揺れ始めた。
キャビンアテンダントさんもパイロットさんも、なんの問題ないとアナウンスしたが、エレベーターのワイヤーが切れて落下してるみたいな体感に、どうしたって不安になる。
結局、無事に南に到着したものの、苺の顔色は少々悪かった。
恐怖と緊張から悪酔いしたみたいで、吐きそうだ。
空港に設置されている椅子に爽と並んで座り、苺は彼の肩をお借りして休んでいたら、ありがたいことに少しずつラクになってきた。
「苺、まだ気分が悪いのですか?」
「だいぶ良くなりました。あの爽、ごめんなさい」
「謝らなくていいですよ」
「けど……苺たち、ここにはお仕事で来たのに」
申し訳なくて肩が落ちる。
ビジネスマンとしてはマイナスだ。
「到着して、まだ三十分ほどしか経っていませんよ」
「でも、レンタカーとか……」
いつだって外に出ると、レンタカーが待機してる。きっと今回も手配済みに違いない。
「レンタカーの担当のひと、困ってるかも」
「心配いりません。そちらには遅れると連絡を入れてありますよ」
おおっ、さすが爽だね。
苺は寄りかかっていた爽の肩から頭を上げ、小さく息を吐き出した。
気分の悪いのも、やっと消えてくれたようだ。
「お待たせしました。元気になりましたよ」
苺はそう口にして、証拠を見せるように身体を弾ませて立ち上がった。
「無理していませんね?」
「してませんよ」
にっこり笑ってバッグを持ち直し、苺は爽と手を繋いだ。そして目についた出口に向かって歩き出した。
爽の運転するレンタカーは、ナビの案内で迷うことなく進んでいく。
南の地に来たのはもちろん初めて。キョロキョロしてしまう苺だったが、風景的には苺の住んでいる辺りとあまり大差ない。
「今度は、どんなものを目指してるんですか?」
北の国は、森村さんのハクジだった。南はなんだろうねぇ?
「竹ですよ」
「竹?」
「日本らしいと思いませんか?」
「ああ、確かにそうですね。かぐや姫も竹から生まれたし」
声を弾ませて言葉を返したが、爽からの返事がない。
「爽?」
気になって爽の顔を窺ったら、笑うのを堪えておいでだ。
「なんで笑いそうになってんですか?」
「あなたの答えが突飛だからに決まっていますよ。だが、確かに竹と言えばかぐや姫」
納得したように爽は言う。
「なんで竹の中に赤ん坊を入れたのか、子どもの頃超不思議でしたよ。桃太郎はもっと不思議だったけど。……なんで桃の中に赤ん坊入れちゃいましたかね?」
本気で不思議がって問い掛けたら、「知りませんよ」とそっけなく返された。
苺は笑い、そのあとも性懲り無く、大きな桃の出所についてなど、さらに疑問を投げかける。
すると爽は、「天のなさせる技でしょう」と澄まして答えた。
「天の? はっはあ~っ、そうか、桃太郎は天がおばあさんに授けたってわけですか?」
「そういうことでしょう。川上に巨大な桃の木があって、赤ん坊入りの桃が生るなんて考えるよりはまともでしょう?」
爽は真面目に答えたが、苺は赤ん坊入りの桃の木を頭の中で想像し、笑いのツボにはまってしまった。
おかげで苺は、腹の皮がよじれるほど笑い転げることになったのだった。
目的地は、ずいぶん田舎にあった。
村と言っていい集落に、その小さな作業場はあった。
手作り感満載の作業場からひょっこり出てきたのは、なんと外国の人。金色のちょび髭をはやした大男だった。
「イーラッシャイマッセーッ。アナタタチハ、フジワラサンデースカ?」
と、カタカナでしか表しようのない日本語で出迎えられたが、その笑顔は歓迎ムードだ。
ここに到着するまでに爽から聞いたところによれば、この作業場の主は三十代後半の夫婦だそう。自宅は、作業場の敷地内にあった。
さらに後から聞いた話だが、同じ美大出身だという夫婦は、竹に見せられた者同士で意気投合し、結婚してご主人の出身地であるこの地に作業場を設けたらしい。
そしてふたりで、独創的な竹製品を作っているのだそう。
苺たちを出迎えてくれた外国の人は、ふたりのお弟子さんだということだった。
爽は作業場の椅子を勧められて腰かけ、ご夫婦と仕事の話を始めた。外人のお弟子さんも三人のやりとりを聞いている。
だが、苺の意識はそちらはそっちのけで、作業場のあちこちにある作品に目を奪われてしまう。
竹と聞いてたけど……こういうことだったんだねぇ。見て納得だよ。
苺はごく普通の竹製品を想像していた。
竹で作ったカゴとかお箸とか。
もちろんそういうものも作っているのかもしれないが……
竹に綺麗な彫刻を施したもの。細い竹を丸く編み、その中に花が活けて飾ってあったりする。
大きくてしゃれた衝立なんかもあるけど……
うはっ!
『それ』を目にした途端、苺は思わず駆け寄った。
すっ、すっごーい。
目を丸くして眺めてしまう。
繊細かつ巧妙に作られたトンボにバッタ。触れようとしたら飛び去ってしまいそうだ。
こういうのも、新しいお店に並ぶのかな?
ますます開店が楽しみになってきた苺だった。
つづく
|
|