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第3話 ドキドキの約束
授業が始まり、文香は新垣の存在が隣にあることに、これまでと同じ至福を感じ、同様に切なさも味わっていた。
新垣に告白するなんて、やっぱり文香にはとても無理。
万が一、新垣に文香を思う気持ちがあるならば、彼の方から告白してくれるに違いない。
文香の方は、あからさまなほど彼を意識していて、それをうまく隠せないのだ。
洞察力のある新垣が、彼女の恋心を感じないはずはないと思う。
つまり彼の方は、文香の思いをすでに受け取っているも同じなのではないだろうか…
文香は左側前方に視線を向けて、暗い気分に浸った。
視線の先には、やたら可愛い女生徒がいる。
女の文香から見ても、明るくて素直で可愛い、吉岡さんだ。
丸っこい顔に小さな唇。
肌は白くて、ほっぺたを触ったらぷくぷくすべすべしてそうだ。
吉岡と新垣は小中学校が一緒だとかいう話で、かなり親しいようだ。
互いに声を掛け合っているのをよく見かけるし、幼馴染だからこその馴れ合いな雰囲気がある。
もしわたしが吉岡さんくらい可愛かったら…迷いなく告白出来てるかも…
少なくとも自分に自信のない、消極的ないまのわたしじゃなかったかも…
文香はそんなことをマジで考えている自分を笑った。
そうなったら、すでに古瀬文香じゃないか…
机の上に、コロンと何かが転がってきて、文香は驚いた。
小さな紙の固まりだ。
文香はその紙を摘み、そっと転がってきた先に目を転じた。
新垣は黒板を見つめてシャーペンを動かしていたが、転がしてきたのは彼でしかありえない。
手のひらの紙を強く意識しながら、文香はいまさら黒板に向いた。
ぼおっと考え込んでいる間に、ノートに書き写していない文字がたんまりと並んでいて、彼女は慌ててノートに書き写し始めた。
胸はドキドキしていた。
こんなこと初めてだ。
この紙には、いったい何が書いてあるのだろう?
もしや、心ここにあらずでぼけっとしていたから、授業に集中しろという意味で投げてきただけだろうか?
文香は教師の声に意識を向けながら、メモをそっと開いてみた。
《付き合ってくれないかな》
その文字が飛び込むように目に入り、文香はどきりとして目を見開いた。
だが、文字はそれだけではなかった。
初めに、《放課後》という三文字が頭にくっついている。
そして《新垣》という名が、メッセージの下に書いてあった。
新垣とは、時々ゲームセンターに行ったり、ファミレスで一緒に過したり、試験前なんかは図書館で勉強したりしているが…もちろんふたりきりなんてことは一度もない。
いつも響子と、響子の彼氏となった小田肇も一緒だ。
小田は彼女たちとはクラスが違うが、小田と新垣は家が近所で、これまた幼馴染という繋がりなのだ。
新垣と小田はタイプがまったく違う。
小田は、背はそんなに低くないのだが、可愛い感じの顔をしていて、実年齢より下に見える。
逆に響子は、大人びた顔の美人だから、並んでいると響子のほうが年上にみえる。
響子はそのことをかなり気にしているのだが、相思相愛になったのなら、そんなことどうでもいいだろうと文香は思う。
文香はメモが語る意味について、考え込んだ。
これって、ふたりきりということ?
どこに付き合うのかも書いてないし…
いくぶん緊張しつつ、了解の言葉を書き込もうとした文香は、朝の父との約束を思い出してペンを止めた。
そ、そうだ。ホワイトデーのお返し、買いにゆかなくちゃならないんだった。
報酬ももらっちゃったし…
両親は明日、ホテルのディナーに行くらしい。
父の会社の近くで落ち合って、そのまま直行するのだから、お返しのプレゼントはどうしても今日買わないとならず、明日ってわけにはゆかないのだ。
どうしよう…
なんなのか分からないが…せっかく誘ってもらえたのに…
でも…
母をがっかりさせたくないし、父も可哀相だ。
そして、約束は果たすべきだ。
文香はメモの空いている部分に、《今日は用事があるの、明日でもいい?》と書き込み、周囲を窺いながらメモを飛ばした。
新垣がメモを開いたのを横目で見つめ、文香は彼の返事を貰おうと視線を向けた。
新垣は微かに眉を寄せたが、分かったというように小さく頷いた。
今日でも明日でもよかったようだ。
彼の表情にそれほど困ったような色は感じず、文香はほっとした。
新垣との約束…
文香は知らず口元がほころんだ。
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