君色の輝き
その32 輝きを見つけて 



「あー、休日までがこんなに長く感じたことなんて、いままでなかった」

お盆休みの連休が終わり、仕事が始まってはじめての日曜日、逢った途端の誠志朗の第一声だった。

誠志朗とのことを告げた後、真帆は驚きも怒り狂いもしなかった。

ただ、「本当のことをなるべく早く、彼に言いなさい」と淡々と言っただけだった。
真帆の言葉は重く、涙が止められぬまま芹菜は素直に頷いた。

水族館以来、今日になるまで、芹菜は彼と二人きりにならないようにして来た。

ちょうど透輝が仕事でアメリカに行ってしまったから、芹菜にとっては真帆を独占できてありがたかった。

でも、真帆のパスポートが期限切れでなかったら、真帆は透輝とともにアメリカに行ってしまっていたのだ。

真帆には気の毒だったが、芹菜はその幸運にほっとしていた。

「電話しようかと何度も思ったんだが…どうも電話は昔から苦手なんだ。君から掛けて来てくれればいいのにって思ったけど、自分のこと棚に上げてそんな不満言えないからな」と、誠志朗は苦く笑った。

「私も電話は苦手ですから。違う人が出たら、また困るし」

芹菜がそう言うと、誠志朗が吹き出した。

芹菜は、誠志朗の表情を焼き付けるように見つめた。

そして自分が言わねばならぬ言葉を反芻した。

でも、まだ先でいい。別れる間際に言葉にすればいい。

「芹香君、なんだか元気がないようだが、どうした?」

「ちょっと夏バテみたいです」
芹菜は、嘘をさらりと言葉にしている自分にむかついた。

「それで、今日はどこに連れてってくださるんですか?」

「夏バテ気味なら、涼しいところがいいだろうな」

そう言って誠志朗が連れて行ったのは、科学博物館だった。
面白い装置がやたらにあり、いじって遊べるのが面白かった。科学の歩みみたいなミニシアターもあり、午前中いっぱいそこで遊んだ。
小学生の団体でいっぱいだったが、彼らのハツラツとした姿を目にして、芹菜も明るい気分で過ごせた。

お昼は道の駅で食べて、そのあとはずっと道の駅めぐりをした。瀬戸物や農産物、手作りお漬物など、巡った五箇所の道の駅はどこも個性的で、人も多かったがとても楽しかった。

芹菜は、誠志朗の家族ために何かお土産を買いたかったが、止めておいた。
そうする権利は彼女にないと思えたし、今日の別れ際に事実を告げた後、それらのお土産物の存在は、どんなにか疎く邪魔なものになるだろう。

薄暗闇の中を走る車の中で、芹菜はたまらないほどの孤独を感じていた。
もうすぐに終わりが来る。

誠志朗のぬくもりに触れることも、もうないのだ。
彼に言っておきたいことが胸に迫った。

「誠志朗さん」

芹菜は前を向いたまま、呼びかけた。誠志朗の「うん、何?」という返事が聞こえた。

「誕生日の日、わたしの本当の誕生日の日、ずいぶん前だけど。おめでとうって言ってもらえて、本当に嬉しかった。自分の誕生日なのに、真帆さんは私の家族とお祝いに出かけてしまって来てくれなかったし、誰もお祝い言ってくれなくて、ものすごく淋しかったんです」

「そうか…良かった。でも、あの誕生日が嘘だと思って、ずいぶん酷い態度取ったりしたな。まあ、君が令嬢の間、僕の態度が良かったことなんて、なかったんだが」

「真帆さんのこと、そんなに嫌いだったんですか?」

「うーん、まあ、どうも水と油みたいな関係なんだろうな。きっと。それに渡瀬社長に妙に気に入られたみたいで、飲みに誘われては令嬢のことを仄めかされて。まったくその気がないんだってことを、ああいう形で意思表示してたんだ。もちろん、令嬢の方も同じだったと思うよ。それが…」

「それが?」

「あの事故を境に、おかしなことになったんだ」

誠志朗は言葉を止めて、始め静かに笑ったが、内心の葛藤を表すように複雑に表情を変えた。

「令嬢相手に、ありえない感情を感じるている自分に気づくたびに、どれだけ苦しんだか。否定して、否定して、それであの態度だ。絶対に認めなくなかった。だから、令嬢が元に戻って、君が現れて…。自分の愛した相手が、令嬢ではなかったと分かったときの安堵は、言葉に出来ない」

芹菜は何も言えなかった。
目を見開いたまま自分を責め続けた。
浅はかだった。

いまさらでひどく愚かな考えだが、どうして自分はもっと早くに生まれなかったのだろうと思った。

「外見にまったく意味が無いとは言わないけど、ひとの本質は…言葉にうまく出来ないけど…その人それぞれの輝きがあるんだろうな。令嬢の個性、君の個性、あまりに違うふたりだったから、今では疑っていたことさえ、滑稽なくらいだ」

「輝き? わたしに? 本当にそんなものあって…誠志朗さんは感じるっていうんですか?」

「うん。今は、たとえ君が誰と入れ替わっても、分かる自信がある」

誠志朗の強い言いきりの言葉に、芹菜はたまらないほどに胸が熱くなった。

彼女は思わずこう呟いていた。

「なら、私を見つけて」悲壮な声になった。

誠志朗が怪訝な顔で、ちらと芹菜を見た。

芹菜は胃の辺りにぐっと力を込め、努力の末ににっこり微笑んだ。

「…私の輝きで見つけられるのなら…もし、誰かとまた入れ替わったとしても…」

芹菜は精一杯悪戯っぽく微笑み、最後にこう付け加えた。

「必ず私を見つけてくださいね」

「ああ、必ず」

そう請け負ってから、誠志朗は愉快そうに笑い出した。





「それじゃまた、会社で」

車が停車しても、なかなか降りようとしない芹菜に誠志朗が言った。

芹菜は、言わなければならない言葉を、喉元から引きずり出すのに苦心していた。
舌の上まで転がしてきても、すぐにまた喉元に引っ込んでしまう。

彼はきっと許してくれる。
誠志朗を信じて口にするのだ。
そう自分に言い聞かせても、言葉は出てこなかった。

沈黙の中、誠志朗が言った。

「そろそろ令嬢に話さないか?仕事終えてから少しでも一緒に過ごしたい。君のバイトも、あと数日だし」

芹菜は、いくじのない自分を呪った。だが、どうしても言えない。

「今日はありがとうございました」
芹菜はそう言って車を降りた。
電話で…そう囁く自分を、芹菜は最悪の気分で罵った。
誠志朗の言葉から逃げたと思ったのだろう、彼は苦笑いしている。

「おやすみ」

数歩歩いていた芹菜は、彼の声に捕らわれたように立ち竦んだ。
もう逢うことはない。

彼に向き合って、本当のことを告げる勇気ももたない。

「芹香君、どうしたんだ?」

心配そうな誠志朗の声が、すぐ後ろから聞こえた。芹菜は振り返った。

佇んでいる誠志朗に芹菜は駆け寄り、彼の首に両腕を掛けると、そっと自分に引寄せた。

誠志朗はひどく驚いた顔で、それでも芹菜に引寄せられるままになった。

芹菜はすべての思いを込めて、誠志朗にそっとキスをした。

彼が抱きしめようとする腕を感じて、芹菜は彼から離れた。

一歩二歩と後ずさり、それから小走りで門をくぐった。

芹菜は血がにじむほど唇をかみ締めた。

自分には泣く権利すらない。そう思えて歯を食いしばった。




   
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