《シンデレラになれなくて》 番外編
百代視点


第10話 調子づくのはほどほどに



「それじゃ、いってきまーす」

いつもと同じ時刻、百代は、いったん台所に顔を出し、いつもどおり、仲良く朝食を食べている父と母に声を掛けてから家を出た。

門の外に出ると、ちょうど慶介も出てきたところだった。

「おはー、慶坊」

「おはよ。百っぺ」

百代は慶介と肩を並べ、すぐ側にあるバスの停留所に向かった。

石井慶介は、百代の幼馴染だが、それ以上の仲と言っていいだろう。

まあ、姉弟みたいなもんだ。親分子分と言ってもいいかもしれない。

その都度、状況によって、親分子分の関係は変わったりする。

慶介は、この歳にしては、ずいぶんな人格者だ。
ちょっとしたお坊さん的、落ち着きを持つ。

テレビゲームに漫画好きのと、注釈を入れなきゃならないが…

もちろん百代も慶介ほどじゃないと思っているが、漫画は大好きだ。テレビゲーム系も言うに及ばず。

ふたりは、漫画の話題で盛り上がりながらバスの時間を楽しみ、学校前で降りた。

「慶坊、わたしゃこれから姫君のお迎えに行くんで、ここで」

「姫君のお迎え? ああ、早瀬川。なんかあったんか?」

慶坊の悟りの早さに笑いながら、百代は頷いた。

姫君が愛美だと一瞬にしてひらめくあたり、さっすが慶介。

「眼鏡なくしたっていうんでね」

「ふーん。そりゃ、楽しみだな」

「楽しみ? なんで?」

「黒縁眼鏡を外した早瀬川が見られる」

「興味ある?」

「あるさ。みんなの反応も見る価値があるだろうしな」

「そりゃそりゃ。ほんじゃ、行ってくるよ」

「おお」

慶介は手を振ると、すぐに門の中へと消えた。

まったく奴は、百代を飽きさせないテンポのいい語りをする。

百代はスキップしつつ、愛美の住むアパートへと向かった。

古めかしい階段を上がってゆくと、ちょうど家から出てきたところらしい愛美の姿があった。

「おはよう」

鍵を掛けようとしている愛美が振り向き、百代は彼女の方へと駆け寄った。

「百ちゃん、ここまで来てくれたの?」

「階段があるからね。落っこちて、怪我をした愛美を連れてゆくんじゃ大変だもん」

くすくす笑う友を見て、百代は眉を上げた。

眼鏡をなくしたはずだが…

黒縁眼鏡のやつは、愛美の顔にいつも通り装着されている。

「なんだ、眼鏡見つかったの?」

「ううん。これ、古いやつなの。これだと、掛けてないのとあんまり変わらないんだけど…つけないよりはましかなって思って…」

そう説明しつつ、愛美は閉めたはずのドアを開けた。

「忘れ物しちゃったの。ちょっと待っててね」

「まだ早いし、ゆっくりでいいわよ」

「うん。ありがと」

ドアがパタンと閉まり、百代は柵にもたれて外の景色を眺めた。

朝独特の景色だ。

学校や出勤するひとたちは、弾むような足取りだったり、せかせかしてたり、どことなくけだるそうだったり…色々だ。

なんか、人生ってものをしみじみ感じてしまう。

塀の上に太ったブチ猫がいて、首を後ろに回して百代に注目していた。

じーっと見返していると、百代の視線が気になるらしく、歩き出したものの、何度も振り向きつつ塀の上を歩いて行き、最後に百代の方に向いて、にゃおうと威嚇するように一声鳴き、さっと姿を消した。

やっぱ、猫の行動ってのは、気まぐれで面白い。勘も鋭いし…

「百ちゃん…」

猫の生態調査を楽しんだ百代は、愛美の呼びかけに身を起こした。

「うん。行こう。ほら、私の腕、掴んで」

愛美に腕を貸し、百代は愛美の足元に気を配りながら階段を降りた。

「それで?」

アパートの敷地を出たところで、百代は愛美に問いかけた。

「え?それでって?」

「何か聞きたいことがあるんでしょ?」

「聞きたいこと?」

百代は笑みを浮かべて肩を竦めた。

「言っとくけど、わたしに、聞きたいことは何でしょうなんて聞いても、答えられないわよ」

冗談で口にした言葉に、愛美は笑いもせず、顔をしかめた。

愛美の心にはなにかしらないが、もやもやがあるようだ。

解決できないことがあるか、または疑問を抱えているかのどちらかのように感じられた。

「あの?あのね」

「うん」

「携帯って水に濡れても使えたりする?」

およっ、疑問は携帯のことってか?

「濡らさないに越したことはないわね」

「もし、川とかに落としちゃったら?」

百代は笑い出した。

「携帯持った途端、そんな心配してんの?苦労性ねぇ」

「だって、どうなのかなって思って…」

愛美の抱えているもやもやは、こんなものだったのだろうか?

なんか、違う気がするけど…

「電源入れてなかったら、大丈夫なんじゃないの。水のせいで電気がショートして壊れるんじゃないのかな。悪いけど、よくわかんないわ」

百代の言葉を聞いた愛美は、なにやら神妙そうに思案しはじめた。

こりゃあどうも、携帯に対して、先の心配をしてるだけじゃないようだ。

考え込みすぎて歩みまで止めてるし、道の凹みに気づかず、よろけてるし…
完全に心ここにあらずだ。

「ほら、考え事しながら歩いてたら、つまずくよ」

「ご、ごめんなさい」

顔を赤くして謝った愛美は、気持ちを切り替えたのか考える事をやめた。


校門を通る前に、百代は愛美の眼鏡を取り上げた。

「役に立ってないみたいだし、ない方がいいわ。下手にこんなものつけてると、見えないってこと相手に伝え辛くて、困るわよ」

それに、慶介の期待もあるし、百代自身、眼鏡を掛けていない真実の愛美を見た、クラスメートの反応に興味がある。

「そうかな?」

百代の邪な考えになど気づくはずもなく、愛美は素直に答えた。

「そう。眼鏡、いつ買いに行くの?」

「どこかこの近所になかったかしら、眼鏡屋さん」

「ああ」

パチンという音と共にひらめきを得て、百代は思わず声を上げていた。

「何?」

「愛美の質問よ、これだったんだわ」

「質問?」

無意識に頷いた百代は、「眼鏡屋ねぇ」と呟いた。

何かある。何か起こる。いや、すでに何か起こってる?

絶対眼鏡が関係してるな。

それと…愛美のしつこいほどの携帯への質問…これも何か、きな臭い。

あっ、そうだ。

百代は横を歩いている愛美に振り返った。

「携帯、持ってきた?」

「持ってきたけど…」

百代はサイレントにしておく必要性を話し、愛美の携帯を受け取って、サイレントにしてやりながら、設定の方法を教えてやった。

教室に近づくにつれ、顔見知りが多くなり、思った通りみんな愛美に注目してくる。

眼鏡を外した愛美は、目の悪い愛美本人はまるで意識出来ていないようだが、その大きな目が映え、美しさをもろに感じさせる。

長い睫毛を瞬き、自信なさげに顔を俯けたりする風情など、女の百代ですら、むしゃぶりつきたくなるほど純な色香が香るってか。

訝しげな目が百代と愛美を行き来し、まさかという顔をするのが面白いったらなかった。

だが教室を前にして、愛美がトイレに行ってしまい、百代は先に教室に入った。

「桂崎」

声を掛けてきたのは慶介だ。
慶介は学校内では、百代を百っぺとは呼ばない。もちろん百代も、石井と呼んでいる。

「眼鏡なしの姫君は?」

よほど楽しみにしていたのか、慶介は愛美の姿を探すように百代の後方を見つめながら聞いてきた。

「姫君は、やんごとなき用事がおありになられて、お姿をお隠しになられたところですわ」

「ははあ、トイレか。いてっ!

百代は慶介のむこうずねを思い切り上履きの先で蹴ってやった。

「痛てえょ。何すんだよ」

「ピンとくるのは悟り坊主ゆえ仕方ないとしても、少しは遠慮してものを申せというておるのじゃ」

「だあ〜れが、悟り坊主だ?」

「おぬし、おなごへの配慮が足りぬぞ。そんなだから、おなごにもてぬのじゃ」

「絶対痣んなったぞ」

「姫君に対して、無礼を申すからじゃ。いい気味じゃ、その痛み肝に銘じよ」

百代はにやにやしつつ、顎をしゃくり、横柄に言った。

「今月のコミックの新刊、そろそろ貸してやろうと思ってたけど、貸すの止めた」

百代は、その申し渡しに、ぴょんと跳ねた。

すでに慶介は自分の席へと歩いてゆく。

「ち、ちょっと待ってくれたまえ、石井君。冷静になって話し合おうじゃないかね」

百代は、あわてて慶介の後を追った。





   
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