《シンデレラになれなくて》 番外編
百代視点


第9話 悪巧みはお楽しみ



「橙子さん」

藤堂家の玄関近くに、橙子がいるのに気づいて、百代は呼びかけた。

「百代さん」

橙子はひとりではなく、藤堂家に仕えている井手と一緒だった。
井手は、橙子と同年齢ぐらいのほっそりとした女性だ。

「井手さん、こんにちは」

井手は笑みを浮かべ、歓迎するように深々とお辞儀をし、一歩下がると「お嬢様、それでは」と言葉を残して屋敷の中へと入っていった。

静かな人だ…

「あの、蘭子は帰りました?」

井手の消えた方向に視線を向け、百代は橙子に尋ねた。

「さきほど戻ってきたのだけど…愛美さんを送っていったわ」

その情報に百代は驚いた。

「へっ? 愛美? もう戻って来たんですか?」

「ええ」

「そうなんですか」

寄り道したはずの保志宮と愛美の方が、先に戻っていたとは…。

しかし、蘭子のやつ、なんでわたしが戻るまで、待っていてくれなかったのだろう?

「あれっ?蘭子、あのままの服で、行っちゃったんですか?」

「百代さん、いったい何があったの?」

「橙子さん、今日のこと、蘭子から何か聞いてます?」

「ええ。櫻井くんて方が、バイトしていらっしゃる喫茶店に行ったのでしょう? それで、蘭はどうして全身びしょ濡れに?」

どうやら、蘭子の姉は、妹からしっかり話を聞かされているようだった。

「蘭子にむかついた櫻井が、頭から水をかけたんですよ」

「あら…」

そう声を発した橙子は、口元に少し笑みを浮かべた。

余裕のある反応で、百代は感心した。

「あの…百代さん?」

「はい?」

「蔵元さんと…お付き合いなさるつもりなの?」

「さあ。分かりませんけど…」

「愛美さんは? 保志宮さんと、これからお付き合いなさるのかしら?」

「さあ。それも分かりませんけど…どうしてですか?」

「歳も偽って、名前も偽名を使っていると蘭から聞いて、なんだか…心配で…」

橙子は、言葉どおり、表情に影を落とした。

「まあ、大丈夫ですよ」

百代が気楽にそう答えても、橙子は気掛かりそうだった。

「百代さん、蘭が戻るまで、中で待っていてちょうだい。さあどうぞ」

百代は言葉に甘え、藤堂家の居間で待たせてもらうことにした。

蘭子に電話してみようと思ったが、お茶を出して橙子からもてなされているうちに、蘭子は戻ってきたようだったが、百代が居間にいると知らず、自分の部屋に行ってしまったらしかった。

「たぶん着替えているのだと思うわ。百代さんがここにいらっしゃることを伝えてくるわね」

「はい。すみません」

橙子が居間から出て行ったのを見届け、百代は出してもらったケーキを頬張った。

すこぶる絶品のケーキに舌鼓を打っているところに、蘭子がやってきた。

「おまたせ」

「蘭子、どうして愛美を先に送って行ったの?」

「どうしてって? 愛美が帰りたがったからよ」

蘭子はそう言って肩を竦め、百代の前に座り込んだ。

「待っててくれれば良かったのにさ」

「保志宮さんが送るって言い出したの。まさか、送っていただくわけにはゆかないから、私がって、そのまま送っていったのよ」

ふーん、そういうことか。

「保志宮さん、ずいぶん愛美が気に入ったようだったわ」

蘭子の言葉に百代は、眉をあげた。

「どうしてそう思った?あのひと、そう思える雰囲気出してた?」

「花束をね。愛美にあげてたわ」

「花束?」

百代はようやく合点がいった。

あの寄り道は、花束のためだったのだ。

「花束ねぇ」

百代はそう呟きながら、唇を尖らせて腕を組み、考え込んだ。

保志宮には、やはり何か裏があるように感じられてならない。

純粋に愛美が好きになったとか、そういう印象じゃないんだよなぁ?

「百代?」

「うん、なに?」

「あなた、分かってる?」

「分かってるって、何を?」

百代の問い返しに、蘭子は苛立たしげな顔になった。

「決まってるじゃないの。次は三馬鹿トリオの番。あいつらをへこます、何か良い案はない?」

「櫻井はもういいの?」

百代の質問に、蘭子は目を吊り上げた。

「いいわけないじゃないの!」

「まあでも、櫻井の報復は、仕方のないことだよ。蘭子はやりすぎだったもん」

「あんたね。どっちの味方よ」

「わたしは…まあいいや。考えとくよ」

百代の言葉に対して、文句を言おうと口を開きかけたらしい蘭子は、口を閉じて眉を上げた。

「あら、考えてくれるの?」

「蘭子、人任せにしてないで、自分も考えるんだよ」

百代から釘を刺すように言われた蘭子は、鼻の頭に皺を寄せ、「わかってるわよ!」と叫んだ。





両親と朝から遊びに出かけ、家に戻った百代は、着替えを終えてクッションに座り込んだ。

今日は一日中、父親に引きずり回された。

行動派な父は、楽しい事を思いつくと、妻や娘まで強引に巻き添えにするからたまらない。

帰るのが遅くなったため、夕食を作るのは大変だろうと、レストランで食べて戻ったから、さらに遅くなってしまった。

百代は大きなあくびをしつつ、机の上においていた携帯を手に取った。

愛美と連絡がつかないまま、すでに日曜日の夕方になってしまっている。

昨日、愛美の家に電話したときは話し中。

その後、夕食を食べて、両親とテレビゲームで遊んでたりしたら、電話しそこねたまま寝てしまったし…

今日は数回電話してみたのだが出かけているらしく、愛美は電話に出なかった。

いったい、どこに行っちゃってるんだろう?

電話が繋がらないからなのか、遊んでいる間も、やたら愛美の顔がちらついてならなかったのだ。

百代が手にした携帯を開いたところで、着信があった。

見知らぬ電話番号だ。それも携帯。

普段なら無視するのに、百代は反射的に携帯を耳に当てていた。

「あ、あのっ。百ちゃん。愛美です」

「うん」

まったく驚きが湧かなかった。

既に知っていたという感覚が、胸にある。

「父に携帯を買って貰ったので、掛けてみたの」

ほほお。

「良かったじゃん。でも、悪いこと言わないから、蘭子には内緒にしときなよ」

「その方がいい?」

「あんたのためにはね」

「わかった。そうする。あ、あのね。メールのアドレスなんだけど」

「うん、もうつけたの?」

「つけた。manami-purin」

百代は、くつくつ笑った。

「愛美らしいじゃん。可愛くていいよ」

「そ、そう?」

「これから、連絡が取りやすくて助かるよ。愛美父にお礼言わなきゃね」

愛美の笑い声を聞きながら、百代は「それじゃーねー」と言って話を終わらせ、折り返し愛美に電話を掛けた。

もちろん、愛美をぎょっとさせるためだ。

「百ちゃん、びっくりするじゃないの」

「電話は掛けるためにあるのよ」

百代は期待した愛美の反応に満足し、話を切り出した。

「それより、今日何があった?」

「な、なんで?」

百代の問いに、愛美はずいぶん焦りを感じたようだった。

「今日一日、あんたがちらつくから、迷惑だったわよ」

「は?…あの…ちらつく?」

「何か聞きたいことがあるんでしょ?何?」

そう口にしてしまったものの、聞きたいことがあるということではないのかもとも思えた。

何かある。愛美の中に、なにやら解決できない何かがある。そういう感覚。

「え…あの、なんの…」

「はい、そこで考えない。頭にパッと浮かんだこと話して。何か困ってるんでしょ?」

困っているという言葉は、百代の胸にしっくりきた。

「あ…眼鏡、失くしちゃって…困ってるけど…」

ふんふん。眼鏡を失くしたのか…

愛美は視力がひどく悪いようだから、ひとりでの歩行は危ないかもしれない。

なぜ失くしたのかと問いを続けようとした百代は、蘭子からのメールが届き、眉を上げた。

どうやら蘭子のやつ、よからぬことを考え付いたようだ。

「ふうん。明日、家まで迎えに行くわ。それじゃあ、おやすみ」

「お、おやすみ」

携帯を切った百代は、蘭子からのメールを開いてみた。

(電話ちょうだい)

メールだけでなく、蘭子は電話も掛けたようだ。

百代はすぐには電話を掛けず、階下に下りて、いちゃついていた両親の邪魔をして父の不興を買い、続いてお風呂に入り、上がってきてから電話を掛けた。

「ハロー」

「百代。なにやってたのよ。大事な話があるっていうのに」

大事とは思えんが…

「はいはい。もう話してるじゃん。何か悪巧み、考え付いたんでしょ?」

「悪巧み?…作戦よ、作戦」

「はいはい。作戦ね」

「もう最高に素晴らしい作戦を思いついたの」

「どんな?」

「内容は明日話すわ。それより、うまくゆくと思う?」

「中身を聞いてないのに、知らないよ」

「あんたに聞いてないわよ。わたしはあんたの勘に聞いてんのよ」

「はああっ?」

百代は思わず声を張り上げていた。

なんじゃそりゃ?

「あんたの勘が、うまくいきそうだと言ってくれたら、今夜、気持ちよく眠れるでしょう?」

「誰が、気持ちよく眠れるのよ」

「もちろん、わたしよ。それで、どう?」

この女はーーーー!!

眠りの気持ちよさまで、こちとら知るかっちゅーの。

「華の樹堂のプリンがあれば、うまくゆくかもよぉ」

百代は、にやにやしつつ蘭子に言った。

「あらそう」

蘭子は明るい声を出した。

「うん。それも、たっぷりあったほうがいいよ」

「わかったわ」

百代の勘とはまったく関係のない情報を鵜呑みにして、蘭子はウキウキしつつ電話を切った。

仰向けにひっくり返った百代は、腹を抱えてケラケラ笑い、気が済んだところで、愛美にメールを送った。

あのプリンに異常な執着を抱いている愛美は、きっと大喜びするだろう。

そして、その反面、大いに危惧を感じるに違いない。

さーて、蘭子がいったいどんな悪巧みを考え付いたのか…

明日が、まことに楽しみだ!





   
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