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「貴方は、こうなることが、あらかじめ分かっていらしたんですね?」
車が走り出した後、まるで我慢大会のように、沈黙を続けていた三次と百代のふたりだったが、ついに三次は根負けしたかのように問い掛けてきた。
「はい。それなりに」
百代はそれだけ言って口を閉じた。
一瞬イラっとしたようだが、三次はすぐに心を静めた。
「いったい、どういうことだったのか、教えていただけるのかな?」
言葉の丁寧さに、いくぶん彼の苛立ちが感じ取れる。
別に、わざと彼をイライラさせて楽しがろうってわけじゃないのだが…
「蔵元さん、いまの騒ぎ、どう思いました?」
「蘭子さんには申し訳ないが、面白く感じましたよ」
うむうむ、正直だ。
「なにか、分かったことがあります?」
三次は運転しつつ軽く首を傾げてしばし考え込み、おもむろに口を開いた。
「…蘭子さんと、あのウエイターの男性は知り合いでしたね。蘭子さんは彼にだけ注目し、川田君と自分の仲を彼に見せつけることしか頭になかった」
まったくその通り。
まあ、あの場合、蘭子を気に掛けていれば、誰でも分かったことだろうが。
「ですが…分からないことがひとつ」
「なんですか?」
「蘭子さんは、川田君とふたりで喫茶店に行くだけでよかったはずです。なのに、なぜ私と保志宮氏が?…そして貴方と早瀬さんが?」
「今日のは、蘭子にとって、まだ本当の目的じゃないからですよ」
百代の言葉で、彼は何か思いついたようで、ああそうだったというような表情になった。
「蔵元さんは、どうして私と付き合うことにしたんですか?」
「話してもいいのかな?」
三次は思案するように口にしつつ、百代にちらりと視線を投げてきた。
「いいんですよ。だいたい予想ついてますし」
一拍間を開け、三次は頷いて話し始めた。
「蘭子さんからパーティーの前に電話をいただいて、友達をふたり連れて行くから、もし気に入ったら、どちらかの彼氏として…軽い気持ちで付き合ってみないかと」
軽い気持ちでねぇ〜
三次の説明に、さすがの百代も、蘭子に呆れた。
確かに、本気で申し込んでこられちゃ困るのだが。
そんな話を聞かされちゃ、まるきり百代と愛美は、彼氏を必死になって募集してるような印象を、男達に与えかねないじゃないか。
それにしても蘭子ってば…いったい何人の男に電話したんだ?
「それで、蔵元さんは、軽いノリで応じたわけですか?」
「いえ…興味と…心配から」
「心配?」
言葉を繰り返した百代に対し、三次は咎めるような視線を飛ばしてきた。
「関係ないといえばそれまでですが…。貴方がたふたりは、あのパーティーで、かなり注目を集めていましたからね。たくさんの男達に声を掛けられたのでしょう?」
「ええ。まあ。蘭子の頑張りが、ずいぶんと実を結んだようで」
「そういうことではありませんよ」
「はい?」
「蘭子さんから声を掛けられた者は極少数です。彼女も無闇に声を掛けるような愚かな真似はしなかったようです。私と保志宮氏と、あとふたりほどだったようですよ」
「そうなんですか?」
蘭子は、百代には三人、愛美には五人もの申し込みがあったと言っていたのに?
四人では話が合わないんだけどな…?
「でも蔵元さん、なんでそんなこと知ってるんですか?蘭子に聞いたんですか?」
「いえ、あの場にいた数人に話を聞いて分かったことです。蘭子さんがおふたりの彼氏候補を募集しているとの話は、何人かの耳に入り、すぐに広まったようでした」
ははあ、それで蘭子から声を掛けられてない男まで、候補者として名乗りをあげてきたというわけか…
「パーティー会場で、貴方が立ち去った後、蘭子さんが、貴方はとても楽しいひとだから、グループで遊びに行くような感じで、少し付き合ってもらえないかと聞かれたんです」
百代は、そう語る三次の横顔を見つめた。
「つまり貴方は、自分から名乗りをあげたわけじゃない?」
「まあそうです。ふたりきりで会うようなことはないと言われましたし」
「それならって、応じたんですか?」
「ええ。これは何かあるなと思って」
百代は、三次の横顔をじっと見つめた。
なぜか分からないが、彼に心の壁を感じる。
百代に、内面まで踏み込ませまいとでもするように…
彼の言葉にしたって、彼女に本気で恋をされたら迷惑だと思っているのだぞと、思わせようとしている。
わたし、彼に嫌われてるのか? …そうは思えないんだけど…
まあ、いいか。
「ずいぶん面白そうな体験が出来そうでしたからね。しかも相手は貴方だ。そして実際、こうして面白い場面が見られた」
「ありがとうございました」
三次は面食らったような顔になった。
「どうして、私はいま、お礼を言われたのかな?」
「蘭子の企みに気づいていて、それでも快く付き合ってくださったからです」
「そして、まだ、これで終わりじゃない?」
三次は悪戯っぽく付け加えた。
ずいぶんと楽しそうだ。
不思議な人…いや、変な人だ。
「はい。またいずれ蘭子から連絡が行くと思います。たぶん、それで終わるんじゃないかと思うので、もう一度だけ、蔵元さんにも付き合っていただけたら助かります」
「桂さん、貴方は次に何が起きるか、すでにご存知なのでしょう?」
百代は、首を振って否定した。
「もちろん何も知りません。蘭子がどんな企みを考えつくか、私も楽しみにしてるところです」
「ふむ」
三次は半信半疑なような声を出し、それで会話を終えた。
「桂さん」
五分ほどの沈黙の後、三次が話しかけてきた。
「なんですか?」
窓の外の景色を眺めていた百代は、彼に顔を視線を向けた。
「どうでもいいことかもしれませんが…」
三次のその言葉には、やたら含みがあった。
「はい?」
「いま、保志宮氏の車が、その角を右に曲がってゆきましたよ」
百代はその情報に、きゅっと眉を寄せた。
藤堂家に向かうはずなのに、右ではおかしい。
「ほんとに保志宮さんの車だったんですか?」
「ええ。あの方の乗っておられる車種は、あまり走っていませんからね、まず間違いなかったと思いますよ」
どうやら彼の見間違いとかではないらしい。
「保志宮さんの車種と色を教えてもらえますか?」
三次から保志宮の車の車種を聞いたものの、残念なことに車になど興味の無い百代にはさっぱりだった。だが、色がシルバーだということは頭に入れた。
酷く、額の辺りがくすぐったく、胸の辺りももやもやする。
百代は、無性に落ち着かない気分になった。
保志宮は、愛美をどこに連れて行こうというのか?
百代は自分の意識に問い掛けてみたが、ほんの微かな答えも返ってこなかった。
百代はイライラした。
まただ、また何も感じない。
「蔵元さん、申し訳ないんですけど、保志宮さんの車が向かった方向に行ってみてくださいません?」
「いまから方向転換して追いかけても、見つかる可能性はほとんどないと思いますが…」
「気になるんです。お願いします」
「保志宮氏は…何も心配はいらないと思いますが…」
蔵元はそう言いつつも、次の角を右に曲がってくれた。
「ありがとうございます」
百代は自分の勘を最大限に働かそうとしたが、腹がたつほど勘は働かず、何も感じなかった。
「そんなに心配なら、携帯で電話を掛けてみたらどうです?」
「持ってないんです」
「いまどき珍しいですね。どちらが持っていないんですか?」
「私は持ってますよ。いまどきの女子ですから」
三次がくすっと笑った。
「とすると、早瀬さんは、いまどきの女子ではないわけですか?」
「そういうこと」
百代は適当に言葉を返しながら、進行方向に目を向け、愛美を乗せている保志宮の車を捜した。
十五分くらい、あても無く走り回ったところで、百代は愛美探索を諦めることにした。
愛美のことが、どうにも気になってならないのだが、このまま探し回ることが無意味であることも分かっている。
「蔵元さん、もういいです」
「おや、もう諦めてしまうんですか?」
「ええ。探しても見つかりません。というか、見つからないことになってるんですよ」
「見つからないことになっている?」
「走り回らせちゃって、すみませんでした」
「それはいいんですが…それより、見つからないことになっているという意味が…」
「ああ、気にするほどの話じゃありませんから。気にしないで下さい」
「桂さん、私は話をはぐらかされるのは好きではないんですよ」
「でしょうね」
「桂さん」
「ともかくUターンしません?」
百代は、進行方向を見つめて、三次に提案した。
このままではどんどん藤堂家から遠ざかってしまう。
「納得できる答えをいただけたなら、Uターンしましょう」
「納得してもらえないと、私、帰してもらえないんだとすると、一生帰れないってことになりそうなんですけど」
「説明してもらえたら、納得するかもしれない」
それはどうだろうか?
「つまりですね、見つけなきゃいけないんだったら、見つかってるってことです」
「早瀬さんと保志宮氏が見つからないのは、見つけなくていいからだと、貴方は言いたいわけですか?」
「もしくは、見つからないほうがいいということですね」
「…その根拠は、どこから導き出されたんです?」
「もちろん、私の経験からですよ」
「経験という言葉を、それほど自信を持って口にされるほどの年齢とは思えませんが」
「年齢は関係ありませんよ。経験ですよ」
「面白い方だな」
その言葉とは裏腹に、三次の声にはひどく苛立ちが含まれていた。
「怒らせるつもりはなかったんですけど」
「怒ってなどいませんよ」
そう答えた三次は、次の角を右に回り、進路を変更した。
それからずっと三次は黙り込んだままだった。
今度こそ、百代より先に口を開くまいと決めてでもいるようだった。
冷静で寡黙な彼だが、ムキになるところもあったりで、実に好ましい。
藤堂の家の門が近づき、百代は三次に声を掛けた。
「蔵元さん、もう一度、私に付き合ってもらえます?」
「それは、蘭子さんの企みに協力するということですね?」
「はい」
三次の車は藤堂の屋敷の中へと入り、車は止まった。
「でも、それだけじゃなくて…またお逢いしたいので」
「私に?」
百代は助手席のドアを開けて下りると、感謝を込めて三次に頭を下げた。
「今日はありがとうございました。楽しかったです。では、また」
眉を寄せて自分を見つめている三次に、にこっと微笑み、百代は藤堂の屋敷に足を向けた。
三次は声を掛けてくることもなく、すぐに走り去って行った。
彼はなかなかに好敵手だ。
屋敷の玄関に向かって歩みながら、百代は三次との愉快な攻防を思い返して、笑みを零した。
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