《シンデレラになれなくて》 番外編
百代視点


第7話 想定内と想定外の出来事



「それじゃ、行きましょう」

蘭子は彼女らしくエレガント風味の号令を皆に掛け、川田を先導するように歩き出した。

気は弱いようだが、川田はまずまずのイケメンだ。
きっと蘭子は、そこそこの家柄と、このマスクのみで彼を選んだのだろう。

恋人を決める基準が、ほんと根本的に間違ってるんだよなぁ。

それに気づける日が果たして蘭子に訪れるんだろうか?
いやはや…

頭を左右に振りながら、蘭子の後に続いて歩き出した百代は、自然な歩みで彼女に並んでいる蔵元三次の存在に気を向けた。

そ、そうだった。この人がいたのだ。

しかし、まさしく空気のように気配を消すひとだ。

こりゃあ、あなどれねぇぞ。

百代を無視しているわけでもなく、足の運びをぴったりあわせている三次にライバル意識を向けていた百代は、背後から聞こえてきた、愛美の相手である保志宮の声に、耳のアンテナをピピンと立てた。

「イメージがずいぶん違うので、すぐには気づきませんでしたよ」

ふんふん、今日の愛美のイメージは、パーティーの時とは確かに違っただろう。

だが、だからって、顔見てすぐに気づかないなんてことは、ありえなーーい!

彼は嘘をついている。

なぜ?

「ですが、その眼鏡は、とても可愛らしい」

百代は自分が言われたわけではないのに、気障な台詞に顔を歪めた。

「…何を考えて、百面相を?」

百代くらいにしか聞こえないほどの三次の言葉に、彼女はピクリと反応して、目玉だけ彼に向けた。

「趣味です」

百代は真顔で答えたあと、三次がいまの台詞の前に口にした言葉を頭に蘇らせた。

…おとなしいなと思っていたら…と言ったよね。

「百面相が?」

三次との会話を続けるせいで、うまいこと保志宮の言葉を頭に受け取れない。

それに、後ろにいるふたりは、歩調を緩めているのか、少しばかり百代たちから離れたようだ。

「後ろが…気になるんですか?」

「気になることがいっぱいなんです。…それより、もうすぐ唖然とするようなことが起こるかも」

「…それは楽しみですね」

「保志宮さんは、お知り合いですか?」

「ええ。先輩後輩という関係ですよ」

ふむ。
三次の表情からして、先輩後輩の関係というより、もう少しは親しいようだ。

「川田さん、みなさんと先に入っていていただける」

前を歩いていた蘭子が川田に言い、振り向きざま百代たちの後ろにいる保志宮と愛美に向かって声を掛けた。

「保志宮さん、愛美。着いたわよ」

「はーい」

愛美の余裕のない返事に、百代は小さく笑った。

どうやら保志宮とふたりきりの会話が、愛美にはしんどかったらしい。

川田が後ろの蘭子を気にしつつも、最初にドアを開けて中に入り、百代と三次も後に続いた。

掃除が行き届いたくつろげる雰囲気の店内を見回す必要も無く、百代は櫻井の姿を目にしていた。

百代を見て怪訝そうに眉を寄せた櫻井は、それでも「いらっしゃいませ」と低い声で言った。

その櫻井の表情がぴくりと反応した。蘭子がいるのに気づいたに違いない。

無表情で見つめていた櫻井は、我に返ったように動き、店の奥に入っていってしまった。

六人は、蘭子の先導で六人掛けのテーブル席へと移動し、蘭子の指示で椅子に腰掛けた。

誰も口を開かず、その沈黙に気づかない様子で、蘭子は店の奥にばかり視線を向けている。

どうやら、櫻井にしっかりと自分の彼氏を見せつけ、完璧な勝利を味わおうとしているらしい。

百代は、同席している蘭子以外の人物をさっと観察した。

まず川田は観察の必要もない、愛美は落ち着かない様子でそっと皆を窺っている。

三次はこの違和感のある沈黙に、まったく気持ちを揺らしていないし、保志宮は、どうも愛美観察に忙しいようだ。
彼は愛美の視線が自分に向けられたときだけ、巧みに視線を外している。

デートだというのに、恋というエッセンスを微少でも持っているのは、この川田のみか…

櫻井がオーダーを取りにやって来た。

「みなさん、何になさる? 川田さん、貴方はなにがよろしくて」

よろしくての言葉に、蘭子は彼女に出来うる最高の甘い笑みを浮かべた。

気の毒としかいえない川田は、その笑みに頬を緩めた。

彼はもう少し、女というものを学んだほうが良さそうだ。

いやいや、性格がいいんだろう。だからこそ、蘭子のわざとらしい演技に、こうも簡単に引っかかり、メロメロになれるのだろう。

それって、考えたら、しあわせなのかもなぁ〜

「あなた、何にするの?」

蘭子から、ちょいちょいと指で突かれ、百代は顔を上げて、ミルクティーを注文した。

全員の注文を聞き終えた櫻井は、すっと下がって行った。

だが、彼の無表情な顔の下では、真っ赤な炎が噴きあがっていた。

こりゃあ、なんかすんごいものが、くるぞぉ。

櫻井は、理知的なところもあるが、感情的にはまだまだお子様だからなぁ〜

後先考えないところは、蘭子にも劣らない。

「き、今日は…いい天気になりましたね」

沈黙が耐え切れなかったのか、川田がようやくという感じでそう口にした。

「ええ。そうですね」

保志宮が、付き合いのいいところを見せて、愛想良く返事をしたが、川田は緊張を顔に貼り付けてこくこくと頷いた。

蘭子と来たら、櫻井の姿が消えたら、川田に対して甘い声を出す演技もする気がまったくなく、それが傍からみると、滅茶苦茶不自然だということにまるで気づいていない。

悦ばしいことに、櫻井の再登場は思いのほか早かった。

櫻井はみなに飲み物を配り、一番最後に蘭子の注文したカフェラテを置いた。

「ありがとう」

勝利感をにじませて蘭子は櫻井に言った。

百代でも癇に障る言い方で、櫻井はこれ以上ないほど神経を逆撫でされたに違いない。

これ見よがしに川田に身を寄せた蘭子を見つめ、櫻井はぐっと顎を強張らせた。

「それで、保志宮さん、愛美の落とした髪飾りは?持ってきてくださったの?」

あ…

櫻井が水差しを掴んだのを見た次の瞬間、満タンに入っていた水差しの水は蘭子の頭に降り注がれていた。

やりやがった。

突然の水に驚いた川田が飛びのき、隣に座っている保志宮にドンとぶつかった。

「お客様、すみませんでした。手を滑らせてしまいました」

呆然としている蘭子を見つめ、ひどく申し訳なさそうに櫻井は言った。だがその声は、晴れ晴れとしている。

「なっ、なにするのよ。櫻井!」

蘭子の怒鳴り声に、店内が騒然となった。

驚いたマスターが登場し、彼の対応で、百代は愛美とともに蘭子に付き添って店の奥に入った。





百代は、彼女も思っていなかった成り行きがおかしくてならなった。

マスターから借りた服に着替えた蘭子を嘲笑するだろうことは予想していたが、まさか櫻井が、藤堂家まで蘭子を送ると言い出すとは…

おかげでこのトリプルデート、ずいぶん収穫があったといえる。

「よ、よかったのかな?百ちゃん」

蘭子を見送っていた愛美がひどく不安そうに言いつつ、百代に振り返ってきた。

「いいのいいの」

百代は、愛美の肩を軽く叩いた。

「蘭子のこと、櫻井が引き受けてくれて、助かったわ。ほら、彼らを待たせたままだし、戻りましょう」


「ら、蘭子さんは?」

百代と愛美が店内に戻ると、川田が立ち上がって尋ねてきた。

待ちぼうけを食らわされていた男性三人、少しは会話なんぞしていたんだろうか?

「蘭子は、着替えを借りて、そのまま店の方に送っていただけることになって…」

「か、帰られたんですか?」

「はい。すみませんが、今日はもう解散ということで、蔵元さんと保志宮さんのどちらか、わたしと愛美を藤堂の家まで送っていただけませんか?」

保志宮と三次は互いに顔を見合わせ、「私が」と声を揃えた。

「それでは、それぞれ、送るということでいいのではありませんか?」

何気なくそう提案したのは、保志宮だった。

三次は、別に異議はないというように、保志宮に向けて頷いた。

百代は、話の成り行きに、困っている愛美をちらりと見たが、別々の車であっても、結局同じところに送ってもらうだけのこと。

まあ、その間のふたりきりってのが、愛美にはしんどいんだろうけど…

肩を落として川田が帰ってゆき、四人は喫茶店のマスターから詫びの言葉で見送られつつ、喫茶店を後にした。

マスターには、ほんとうに申し訳ないことだった。

櫻井は、彼の甥だとのことでずいぶん恐縮していたが、結局、こうなった原因は蘭子なのだ。

お勘定はいらないといわれたが、百代としては正直倍払っても足りない気分だ。

駅までやってきた四人は、そこで別れた。

愛美のことが気になりつつも、百代は三次の車がある場所へ、彼と肩を並べて歩き出した。





   
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